ミステリー
-
ミステリー 2019年08月10日 23時00分
親族死亡で再燃する「ケネディ家の呪い」 多くの親族の不幸な死の謎
8月1日、ロバート・F・ケネディ(Robert F. Kennedy)元司法長官の孫娘であるシアーシャ・ケネディ・ヒル(Saoirse Kennedy Hill)氏が自宅で亡くなったと複数のアメリカメディアが報じた。22歳、死因は薬物の過剰摂取とみられている。 彼女はケネディ大統領の弟に当たるロバート・ケネディとエセル夫人の11人の子供のうちの1人で、全米で行われた銃暴力に抗議するデモ行進に参加したり、メキシコで先住民のための学校を作るボランティア活動に参加するなど、人権活動や女性支援活動に熱心だったと遺族は語っている。また、高校時代には、うつ病などの心の病に苦しんでいると、学生新聞の中で告白したりもしていた。シアーシャ・ケネディ氏の自殺でにわかに囁かれているのが、「ケネディ家の呪い」だ。 ジョン.F.ケネディ大統領は、1963年11月22日にテキサス州ダラスで銃殺されるが、大統領以外にも、彼の多くの親族達が不幸な死を遂げている。 1944年7月に長兄のジョゼフ.Jr.が戦死、1945年8月に妹キャサリンの夫のハーティントン侯爵が戦死し、1948年にはキャサリン自身も事故死、1956年にはケネディ大統領の妻ジャクリーンが娘を死産。1961年にはケネディ大統領の父ジョゼフが脳溢血になり、1963年にはケネディ大統領の息子パトリックは生まれてから2日後に死亡。1964年にはケネディ大統領の末弟のエドワードの乗った飛行機がイギリスで墜落(ここでは本人は助かっているが、パイロットが死亡する大事故だった)。1966年にはロバートの妻の兄(つまり、ロバートの義兄)が飛行機事故で死亡、1968年にはロバート本人も大統領になることを期待されながら、暗殺されてしまうのだ。1969年にはエドワードのスキャンダルが発覚し、大統領への道を絶たれている。 これらの呪いはケネディ大統領のすぐ下の妹、ローズマリーによるものだという噂があるのだ。ローズマリーは成長するに連れて、癇癪を起こして暴れるようになったため、父ジョセフによって脳に外科的な処置を施し、精神疾患を治療するロボトミー手術を受けさせられてしまう。現代では非人道的とされるロボトミー手術だが、当時は最先端かつ人道的なものと考えられていた。そして、手術が行われて以降、ローズマリーは廃人同然になって障碍者用の施設に入れられることになった。これ以降、ケネディ家に不幸が続くようになっていくのである。 2005年01月09日、ローズマリーは兄弟たちに見送られながら亡くなった。これ以降、不幸な死亡者がケネディ家から出て来ていなかったため、呪いは終わったかに思われていたのだが…今も呪いは継続しているのだろうか。(山口敏太郎)
-
ミステリー 2019年08月04日 23時00分
全ての文明の起源は日本? 偉大な神主か、とんでもない山師か…竹内文書と竹内巨麿
古代の日本には、錆びない金属「ヒヒロカネ」があったとか、世界各地にある文明は日本に起源があり、エジプトやメキシコにあるピラミッドのルーツは日本にあるとか、世界には「五色人」と呼ばれる黄人、赤人、青人、黒人、白人の5種類の人間が存在し、日本人はそのすべてに君臨する「黄金人」であると記述しているのが、謎の古文書『竹内文書』である。 こんな”とんでも話”を信じる者は、今や誰もいないだろうが、戦前の日本人を驚愕させた『竹内文書』では、このようなマジカルな神話が喜々として語られている。 この『竹内文書』を突如公開したのが、怪人・竹内巨麿である。文書の内容は神代文字で記されており、解読が難しいはずなのだが、巨麿はあっさり読み解けたという。このあたりいかにも怪しい。この文書は、武烈天皇の勅命を受け、武内宿禰の孫である平群真鳥が記した写本群と、鉄剣などの宝物から成り立っている。 竹内巨麿は武内宿禰の子孫と称し、富山にあった皇祖皇太神宮から大量の宝物と文書を運び出し、茨城県北茨城市磯原に移転した。日本が世界の中心であったと説く彼の仮説は、当時の軍人や南朝支持者から好意的に迎えられ、竹内巨麿は一躍時代の寵児となった。 しかし、巨麿が武内宿禰の系譜であるという証拠はなく、虚言の可能性が指摘されている。よくよく調べてみると、この男は富山県の樵の家に生まれており、地元の旧家・竹内家の養子となっており、血縁は途絶えているようだ。 だが、数々の不思議な逸話のある人物であった。「竹内巨麿伝」によると、空中に神代文字を書くほどの霊能者であったという。当然の流れだが、戦後この竹内巨麿を取り調べたGHQは「誇大妄想の人物である」と断定している。 もちろん、常識的に考えて『竹内文書』が「偽書」「偽史」であるのは明白だが、戦前の神道的な思想を探る上で、『竹内文書』は、貴重であったと言えよう。「偽書」「偽史」には、庶民の深層心理が含有されているのは言うまでもない。 残念ながら『竹内文書』は、東京大空襲の業火に焼かれ、焼失してしまった。現在、『竹内文書』についての資料は、竹内巨麿や研究家たちによって写されたメモや写真に頼るしかない。 希代の山師・竹内巨麿は、政治的に世界で孤立し、経済・軍事両面で欧米に太刀打ちできない、戦前の日本人のジレンマが生み出した幻想だったのかもしれない。だが、妄想や虚偽ではなく、本当に世界に誇れる日本を創るためには、現実を冷静に見据える強い心が必要なのだ。(山口敏太郎)
-
ミステリー 2019年08月03日 23時00分
繰り下げられ続ける石器時代!日本最古の石器は12万年前だった?
石器の出現から農耕が始まるまでの時代は、旧石器時代(および中石器時代)と呼ばれている。特に、打製石器が使われ始めた石器時代初期〜前期にかけてが、狭義の旧石器時代にあたる。旧石器時代は、一昔前は、現代より1〜3万年前頃とされていたが、今や7〜8万年前どころか、12万年前と発見の度に遡りつつあるのだ。 ちなみに、縄文時代は約16,500年〜約3,000年前(紀元前1万4500年〜紀元前1000年)、弥生時代は紀元前1000〜3世紀中頃と、やはり発見の度に時代が新しくなっている。 現在、日本最古の遺跡とされているものが、島根県出雲市の砂原遺跡である。松藤和人同志社大教授を団長とする学術発掘調査団の研究発表によれば、この遺跡からは、約12万年前の尖頭器など人間の手が入った石器が多数発掘されたという。石器の見つかった地層は、約11万年前にできた火山灰層の下にある地層で、約12万5000年前後に形成されたと言われている。 砂原遺跡から発見された石器は、予備調査で加工の証拠となる剥片など5点、本調査でもヘラに似た石器である削器(スクレイパー)2点、打製石器の一種である礫器(チョッピング・トゥール)1点など、最終的には30点もの石器が発見された。礫器は石の周囲ないしは一部を打ち欠いて刃としたもので、通常我々が思い浮かべる原始的な石器の形を思い浮かべて頂ければいい。また、砂原遺跡からは他にも、石器の加工や果実などを押しつぶすのに使った敲石(ハンマー・ストーン)なども発見されている。石器を加工するための石器も同地から発見されたということで、よりこの地に人類が生活していたことが明らかになった形だ。今まで日本最古の石器と言えば、岩手県の金取遺跡から発掘された9万〜8万年前の石器であったが、砂原遺跡での発見はそれを塗り替える事になる。 古い時代の遺跡や石器の発見といえば、2000年に発覚した藤村新一氏による「旧石器捏造事件」が記憶に新しい。1980年代頃から、旧石器時代のものとされる石器などが日本各地で相次いで見つかり、日本全国で古代遺跡へのロマンが高まっていった。藤村氏は周囲の研究者の期待に応えるように、推測された場所から石器を発見することで知られており、学会では「神の手」と呼ばれるほどだった。しかし、後に毎日新聞の記者により、捏造の瞬間を捉えられ、彼の発見に基づいた多くの遺跡が、史跡としての登録を抹消される事態になった。なお、彼が捏造に用いていた石器は、別の縄文時代の遺跡から持ち出してきた本物の石器だったという。 この事件もあって、旧石器時代に関する研究に関しては、かなり厳しい視線が注がれる現状となっている。しかし、それでもなお新しい発見がなされ、歴史の定説が覆されていくことに期待したいものである。(山口敏太郎)
-
-
ミステリー 2019年07月28日 23時00分
正体不明ではなかった? 謎の天才浮世絵師・東洲斎写楽
江戸時代の浮世絵師、東洲斎写楽。この写楽という男だが、登場から200年以上経った今でも、多くの人を魅了してならない。2008年7月にはギリシャのコルフ島にて、扇子に描かれた写楽の肉筆画が発見されている。描き方の癖や題材の選び方からして、本人による肉筆画だと判明した。 では何故、この写楽という絵師に謎が多いのか。それは寛政6年(1794)年5月に現れてから、僅か10か月で140点という膨大な作品を残したまま、忽然として出版界から姿を消した点にある。無論、本名や出身地も明らかにしていない。役者の顔をデフォルメすることから評判も悪く、活動後期には絵柄も変わることから、売れ行きが芳しくなかったことが窺える。 その正体に関しては、今まで多くの研究家や作家が仮説を唱えてきた。葛飾北斎説、喜多川歌麿説、写楽のライバルであった歌川豊国説、円山応挙説、谷文晁説、なんと作家の十返舎一九説や、版元であった蔦谷重三郎説さえある。役者を生々しく描いたことから、歌舞伎役者の中村此蔵説や、歌舞妓堂艶鏡説など、芸能関係者が正体とされた時期もあった。 だが、結論は早々に出ていた。考証家・斎藤月岑が天保15年(1844年)に著した『増補浮世絵類考』に、「写楽斎」とは「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」という記述がある。月岑は『江戸名所図会』など、今でいうところの旅行ガイドブックの編著者であり、リアルな記述で知られた人物である。ましてや写楽の活動時期から50年後に発売された出版物である。その後もしばらくは写楽が生きていたとしたら、月岑は写楽を直接知る人物から取材ができたはずである。だとしたら、これほど信頼できる記述はあるまい。これでほぼ決まりではないか。何故、他の絵師を当てはめる必要があるのかと徳島出身の筆者は憤慨しながら、そう思っていた。 だが、世の中には、ひねくれ者がいるもので、「斎藤十郎兵衛」が実在した証拠はない、と言い出す人も出る始末で、膠着状態が平成に入っても続いていた。 その後、「写楽の会」の調査により、埼玉県越谷市の浄土真宗本願寺派今日山法光寺が写楽の菩提寺として確認された。同寺の過去帳には「文政3年 (1820年)3月7日に、八丁堀地蔵橋阿州殿御内 斎藤十良(郎)兵衛 58歳で死去」と記述されている。これで阿波藩に仕える斎藤十郎兵衛の実在が確認され、写楽の正体がほぼ確定したのだ。(山口敏太郎)
-
ミステリー 2019年07月27日 23時00分
福岡・志賀島の金印「漢委奴國王」は偽造だった?
福岡・志賀島で百姓の甚兵衛に発見された金印といえば、漢の王が倭の国王に与えたというものであり、日本の国宝である。 だが、この金印が発見当時の鑑定者である儒学者、亀井南冥(なんめい)の偽造だという説が頭をもたげてきているのだ。 その発端となった『金印偽造事件』(幻冬舎刊)は、千葉大学名誉教授・三浦佑之氏の著作であり、大胆な推理展開で読者を興奮させている。金印の真贋論争については発見以来何度かあったが、この書籍で論じられている内容は、かなり激しいものとなっている。今回はこの書籍での記述を参考に話を進めさせて頂く。 そもそも、金印は天明4(1784)年、水田の溝から発見され、福岡藩の儒学者・亀井南冥が鑑定、福岡藩(黒田藩)に保管されてきたものである。 この金印が本物だという根拠は、以下の三点になる。1)文字が彫られた面の長さ(一辺約2.3cm)が、漢王朝の一寸と合致する点2)戦後、中国にて、同じ蛇形のつまみを持つ金印が発見された。3)そっくりな字体での金印、「廣陵王璽」(西暦58年に光武帝の子に贈与)が出土。 この金印が偽造とする根拠は、1)同じ蛇鈕でも前漢代に造られたとされている「テン王之印(※テン=さんずいに眞)にくらべて造形が稚拙。2)江戸時代でも漢代の一寸の印を造ることは可能。3)出土場所が不明。また、発見者の甚兵衛が住民記録にないなど、発見時の記録があいまいである。 2)に関しては、金印に関する記述が文献に残っている事、また、漢代の尺に関する資料は当時でも容易に得られた事から、当時の技術であっても、文献の記述を元にすれば、正確に再現することが可能であるとされている。 また、3)に関して、地元の記録では、発見者の甚兵衛は地主であったとされている。しかし、「黒田家家譜」の記述によれば、文化六(1809)年、甚兵衛火事と呼ばれる大火が発生、110戸が延焼したとされている。この時の火元が正に発見者の甚兵衛の屋敷であり、彼は大火の責任を負って志賀島から出たとされている。それ故に住民記録から名前が抹消された可能性も考えられるそうだが、逆に甚兵衛が初めから存在しなかったならば、大火に乗じて消えたという設定にできる。 つまり、金印の発見は亀井南冥の名声を上げ、藩校甘棠館(かんとうかん)の開校を図るのが目的であるというのだ。 国宝である金印発見の背景に、隠されたストーリーが存在していたと考えるのも、面白いのではないだろうか。参考文献 金印偽造事件−「漢委奴國王」のまぼろし 三浦佑之 幻冬舎(山口敏太郎)
-
-
ミステリー 2019年07月21日 23時00分
昔の人の練習したあと? 日本最古の「いろは歌の手習い書き」
伊勢神宮に仕えた斎王の住居跡から、日本最古のいろは歌の手習い書きが発見されたというニュースがあった。 三重県立斎宮歴史博物館によると2010年10月、三重県明和町に存在する、伊勢神宮に仕える皇族の女性「斎王」が過ごした斎宮跡から「いろは歌」が書かれていた土器片(11世紀末〜12世紀前半)が出土した。文字が書かれた土器は縦約7cm、横約4cm、厚さ約1cmの破片で、破片をつなぎ合わせると皿の外面に「つねなら」、内面に「ぬるをわか」と書かれていることが判明した。 今までの最古のいろは歌は、岩手県の志羅山遺跡から出土した12世紀後半の木簡だった。この出土で記録が更新されたことになる。 今回発見された土器片は、宴や儀式で用いられ、使い捨てされる皿。前述の斎宮歴史博物館によれば、「筆跡が繊細であるため、斎王の身の回りの世話をする女官が文字を練習するために書いたのではないか」と推測している。 いろは歌は、ひらがななどの文字を覚えるための手習い歌のひとつ。これまでの文献などから、成立は10世紀末から11世紀中ごろと考えられている。斎宮歴史博物館では「京の都の貴族文化が、斎宮にいち早く伝わっていたことを示している。いろは歌の普及を分析する上でも価値ある史料」としている。 斎宮は伊勢神宮に仕えるために都から赴任した未婚の皇女「斎王」が過ごす宮殿、または役所であり、7世紀後半から14世紀前半まで約660年間続いた機関。 ひらがなが書かれた土器片は、宮殿があったと考えられている区域で発見された。斎王に仕えるためには身分の低い女官であっても教養が必要だったのだろう。 使い捨ての土器に書かれていたことや、きちんと順番通りに書かれていることからも、密かに練習していた様子がうかがえる。 いろは歌は、かな文字を覚えるための手習い歌であるが、具体的にいつごろ作られたかは不明である。背景には仏教の教えもあるとされており、中には隠されたメッセージがあるのではないか、とする話も存在するほどで、現在も研究が進められている。古代から我々にとってなじみ深かった歌だが、その実態は謎が多いものなのだ。(山口敏太郎)
-
ミステリー 2019年07月20日 23時00分
日光にもその名残が? 楽園を目指した過酷な渡海『補陀落渡海』に挑んだ人々
海の向こうの楽園『補陀落(ふだらく)』に、閉ざされた船で向かう『補陀落渡海(とかい)』。この『補陀落渡海』はクリスチャンから見ても衝撃的だったらしく、ルイス・フロイスも著作で触れたほどである。観音信仰が広がった中世には、熊野灘だけでなく足摺岬、室戸岬、那珂湊などでも『補陀落渡海』が行われ、僧侶だけでなく武士や庶民さえも海を渡った。 これらの『補陀落』信仰は、関東にも影響を与えている。日光が昔、二荒(フタラ)と呼ばれていたのは、「ふだらく」から来ている可能性が高いというのだ。やや乱暴な言い方だが、観音信仰の霊場になっている場所には、『補陀落』信仰があったと言ってもいいかもしれない。 この『補陀落渡海』は、868(貞観10)年の慶竜上人の時から始まり、1722(享保7)年まで続いたとされており、境内に設置された石碑には、平安時代に5人、鎌倉時代に1人、室町時代に12人、安土桃山時代に1人、江戸時代に6人が渡海したとされている。この人数は、熊野補陀落寺から出発した人数であり、他の地域も入れるとものすごい数の人間が補陀落渡海を行っていると推測できる。 だが、江戸期には既に死んでいる人物の遺体を生きているように扱って渡海船に乗せて水葬にした。これには、きっかけとなる事件があったのだ。 戦国時代、金光坊という僧侶が渡海したものの、船を内側から打ち破って逃げ出し、小島に上陸した。この体たらくに役人は激怒、海に突き落として金光坊を殺害してしまった。その結果、生きたままで渡海することはなくなったと言われている。 何人か著名な人物も渡海している。『平家物語』によると平重盛の嫡男・平維盛が滅んだ一族を供養するために渡海したといい、その供養塔も残されている。交易で栄え、海で滅んだ平家の残党が補陀落渡海をするとは意味深である。 また、源頼朝の家臣であった下河辺行秀は、那須野で頼朝が狩りをしたとき、目の前に飛び出してきた大きな鹿を射止めることができず、これを恥じた。その後、行秀は逐電。熊野で法華経を読んだ後、那智の浜から補陀落渡海をしたとされている。 中には生き残って沖縄まで漂着してしまう僧侶もいた。『琉球国由来記』(1713年)によると、日秀は補陀落山を目指したものの沖縄に漂着、金峰山観音寺(金武宮・観音寺)を建立したという。(山口敏太郎)
-
ミステリー 2019年07月14日 23時00分
海の向こうにあるとされた楽園『補陀落』を目指す、異教徒も衝撃の修行
日本では『補陀落』と書いて「ふだらく」と読む、観音菩薩の住む楽園だとか、あるいは観音が降り立つとされる山に対する信仰があった。『補陀落山』とも称し、その形状は八角の形状であり、別名『小花樹山』、『光明山』、『海島山』とも呼ばれる。 日本各地でも『補陀落』信仰が盛んになったが、特に南紀の熊野一帯は中心的な信仰の場であった。そもそも、『ニライカナイ』や『竜宮』など、我々日本人は、海の向こうに楽園があるとか、神仏がいる場所があるとか考えてきた。つまり、海上異界の一種が『補陀落』なのだ。 『日本書紀』には、大国主の国づくりを補佐してきた少彦名が海の向こうにある常世に還っていったという記述がある。「少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適しぬ」。このように海の向こうの楽園から神々がやってきて、役割が終わるとその楽園に還っていくという概念があった。 そして、この『補陀落』に行くために命を捨てる『補陀落渡海(ふだらくとかい)』という捨身行があった。これは命懸けで『補陀落』を目指す仏教修行の一環であった。 この行の中心地となったのが、熊野・補陀落山寺である。同寺は、仁徳天皇の治世、インドから熊野に漂流してきた裸形上人によって開かれたと言われており、平安時代の作といわれる秘仏「三貌十一面千手千眼観音立像」(この像には補陀落世界からこの地に漂着したという伝承がある)を本尊に据え、『補陀落』信仰のメッカとなり、多くの修行者が集まってきた。 この『補陀落渡海』は、まさに即身成仏の行であったと言っても過言ではない。歴代の住職は61歳の11月になると、30日分の食料と灯火のための油を乗せて、渡海船(小型の木造船)に入り、外から釘を打たれ、場合によって煩悩の数と同じ108個の石を全身にくくりつけ、『補陀落』を目指したのだ。 その渡海船には、『補陀落』を目指す住職が入る空間を取り囲むように4つの鳥居が設置されており、「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」という仏教の修行の経過を表している四門だという。 また、一説によると死後、魂はこの4つの門をくぐって浄土往生すると言われており、この船そのものが異界を表現していると言われている。この渡海船は、伴走船によって沖まで曳航し、頃合を見て綱を切って見送る。 この『補陀落渡海』に関しては、クリスチャンから見ても衝撃的だったらしく、ルイス・フロイスも著作で触れている程である。他にも観音信仰が広がった中世には、熊野灘だけでなく足摺岬、室戸岬、那珂湊などからも『補陀落渡海』が行われ、僧侶だけでなく武士や庶民さえも渡海したという。この『補陀落渡海』の実例に関しては、面白い記録が残っているのだが、これはまた別の機会に譲ろう。(山口敏太郎)
-
ミステリー 2019年07月13日 23時00分
夕日のキレイな海辺の町に現れる奇妙な家族の正体は…【実話怪談】
Rさんは、某海岸近くに住んでいる。駅から海岸に通じる古い商店街で、3代続くお店を経営している。本業はお堅い商売なのだが、現在は副業でマリングッズを扱い、爆発的な売れ行きで最近すこぶる羽振りがいいらしい。 「山口さんも、心霊や妖怪調査の帰りに、うちの近くに来たらぜひ寄ってくださいね。何かおいしいものごちそうしますよ。心霊談でもしながら一杯やりましょう」 そんな心霊好きのRさんが語る奇談を紹介しよう。 Rさんが住む某海岸は、風光明媚な海岸で、季節に関係なく多くの観光客が訪れる町であった。 「この海岸はねえ、夏には夏の顔、秋には秋の顔があるんですよ。どうしても夏だけのイメージがありますが、秋や冬も感慨深いものですよ」 Rさんは日焼けした顔をくしゃくしゃにして、いつもこう語る。 いつごろか、そんな海辺の町に奇妙な噂が立ち始めた。夕暮れに奇妙な家族を引き連れた男が、海岸にときどき姿を現すのだという。出会って恐怖のあまり、腰を抜かした者もいるらしい。 「じゃあ、どんな奴らなの?教えてよ」 Rさんが商店街の仲間たちに聞いても、みんな大きくかぶりを振ってこう言うのだ。 「とんでもない、思い出したくもないよ。とにかく一度見たら分かるよ」 (なんだ、臆病だな。全く、バカバカしい話だ。単なる変わりもんの一家だろうよ) Rさんは、笑ってその噂を相手にしてなかった。 ある年の秋、Rさんは、その奇妙な一家と遭遇する。 夕暮れ時、車椅子を押した男が海岸沿いの歩道を歩いていた。犬の散歩で通りがかったRさんは、男に思わず声をかけたという。 「こんばんは、いい風ですね」 「ええ、病気の妻にはもってこいですよ」 男は覇気のない声で答えた。横顔もいくぶん青ざめて見える。 (妙な奴だ。奥さんの看病疲れで顔色が悪いな、奥さんの気分転換で海岸まで来たのか) 「そうですね。寒くならないうちは気持ちのいい風ですよ」 Rさんはそう返すと、車椅子の奥さんの方を見つめた。 「…んんっ?」 人形である。人間ではなく人形であった。 明らかにビニール製の人形が衣服を着せられ、車椅子にのせられていた。 いや、縛り付けられていると表現した方が正解かもしれない。 「うちの子供は砂で遊んでますよ」 男は指さす方には、海辺の砂浜に突き刺さった市松人形の姿があった。 (こいつは異常だ、明らかに変だ) Rさんは男に適当にあいさつすると、犬と共に商店街方面に逃げ帰った。 男の姿が小さくなるにつれ、人形という偽装家族しか愛せない男の背中がなんともいえず、悲しく不気味に見えたという。(山口敏太郎)
-
-
ミステリー 2019年07月07日 23時00分
“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?
前回、日本史の謎の一つである邪馬台国の位置について、実は阿波にあった?という衝撃的な説を書かせて頂いた。 今回は幾つか残る『阿波風土記』の断片のうち、興味深いものを紹介しよう。その内容は、空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされているのだ。これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。 不気味なことはまだある。阿波出身の国学者である池辺真榛は、延喜式の研究を行い、自分の故郷である阿波国が日本のルーツだと確信した。その後、池辺は阿波藩政を非議したという罪を被せられ、文久3年(1863)に身柄を拘束され、阿波藩邸に監禁され、不審な死を遂げている。 また、日本神話において、一番最初に生まれたのが淡路島であり、その次に四国である。この四国は四つの顔を持って生まれたと言われた。讃岐と土佐は男の顔で、阿波と伊予は女の顔であった。つまり、徳島は卑弥呼を連想させる女の顔の国であったのだ。さらに、同じ女の顔とされた地域、伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」と同じ発音なのも気になる。 徳島県阿南市椿町に位置する蒲生田岬には「因幡の白兎」伝説があり、出雲大社の元となった社も、伊勢神宮の元となったとされる社も徳島には存在する。日本神話のルーツは阿波なのであろうか。となると、悪神に殺されたヤマトタケルの御霊が讃岐まで飛んできた上、白鳥になったということは祖霊の地である四国に死後に帰還したという暗示ではないのだろうか。つまり、神武東征とは、邪馬台国が四国から畿内に攻め込み、その後、畿内に定着し大和朝廷となった事実を意味しているのではないだろうか。 それから、邪馬台国の条件の一つに、“柑橘類のある土地であった”というものがある。特別に記述したということは、ただ単に柑橘類が採れたという程度ではないだろう。かなり、柑橘類が豊富な土地であったという意味にとれる。この条件は様々な種類の蜜柑が育つ柑橘王国である徳島は申し分ない。 さらに、魏志倭人伝の記述によると、邪馬台国の山には丹があるとされている。この丹とは水銀のことを指しており、徳島は水銀の産地である。つまり、邪馬台国の候補地には水銀丹(朱)の出る山がないといけないのだ。水銀産出跡地に関しては、徳島以外でも三重や和歌山でも確認できる。だが、どれも小規模なものであり、鉱山と呼ぶには程遠い。だが、我が徳島には、邪馬台国時代から続く水銀鉱山と呼ぶべき大きめの遺跡が阿南市にある。それが若杉山遺跡である。これこそが証拠の一つではないだろうか。 しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ。ヒルコ(蛭子)という異形の神が守護するこの遺跡には、何か深い意味があるように思えてならない。このように蜜柑、水銀など、状況証拠は十分にある。 そして、邪馬台国の時代から続く「阿波忌部一族」も徳島の特殊性を裏付けている。1800年続くこの一族は、一時期中断してきたが、古代から現在まで天皇家が大嘗祭で着用する麻の衣服を献上してきた。阿波こそが天皇家のルーツ。邪馬台国である証拠ではないだろうか。(山口敏太郎)
-
ミステリー
「人食いミドリガメ」は実在したのか? いまだ明かされていない亀の生体とは?
2016年07月05日 17時00分
-
ミステリー
古写真の怪! 工場の集合写真に現れた「謎の手」の正体は?
2016年07月02日 15時24分
-
ミステリー
続名言の謎
2016年06月29日 18時00分
-
ミステリー
恐竜と人間は共存していた!? 紀元前の恐竜土偶なぞ
2016年06月28日 18時00分
-
ミステリー
ポラロイドカメラで撮影されたUFO写真! その驚きの撮影方法とは?
2016年06月25日 15時36分
-
ミステリー
名言の謎
2016年06月22日 17時00分
-
ミステリー
海外に「人面犬」が生まれていた? 謎のキメラ生物「人面猫犬」の正体とは?
2016年06月21日 11時47分
-
ミステリー
ネッシーを捉えた最古の動画「ティム・ディンスデール・フィルム」とは?
2016年06月18日 16時01分
-
ミステリー
続々ビッグ・セブンの謎(完)
2016年06月15日 17時00分
-
ミステリー
「恐竜VSサイ」の夢のカードが実現!? 「カサイレックス」は実現したのか?
2016年06月14日 12時00分
-
ミステリー
UFOを撮影したい人必見!? 30年越しのリベンジでUFO激写?
2016年06月11日 15時45分
-
ミステリー
続々ビッグ・セブンの謎
2016年06月08日 17時00分
-
ミステリー
月面から飛び立つ物体? 月でUFOが離陸した衝撃写真!?
2016年06月07日 15時00分
-
ミステリー
妖精実在の証拠!? 写真に収められた「妖精の靴」とは?
2016年06月04日 16時08分
-
ミステリー
続ビッグ・セブンの謎
2016年06月01日 17時01分
-
ミステリー
これは貴重! 「宇宙人の後姿」写真? 実験の代償は重かった!?
2016年05月31日 15時30分
-
ミステリー
「この恨み晴らさでおくべきか…」ターバンを巻いた女性が現れる幽霊屋敷
2016年05月28日 15時40分
-
ミステリー
ビッグ・セブンの謎
2016年05月25日 17時00分
-
ミステリー
宇宙人とのコンタクトからUFO製造!? ダニエル・フライ氏のUFO
2016年05月24日 17時00分
特集
-
少年隊・錦織、東山ジャニーズ新社長就任に意味深投稿? 植草とのYouTubeもストップ、現在の活動は
芸能ネタ
2023年09月18日 12時00分
-
ジャニーズ最大のタブー? 嵐メンバー4人と“男女の仲”報道、セクシー女優の死【芸能界、別れた二人の真相】
芸能ネタ
2023年09月17日 12時00分
-
-
Snow Man向井、ジャニー氏お小遣い秘話が拡散? グループ不仲説の真相は<実は不仲?【犬猿の仲】の有名人>
芸能ネタ
2023年09月16日 12時00分
-
一転しジャニーズ契約継続なし、モス広告Snow Manの顔を紙で隠した画像が拡散「イジメ」「涙出てきた」ファン怒り
芸能ニュース
2023年09月13日 18時00分
-
株上げた井ノ原快彦、年下に嫌われていた? 森田剛から「嫌い」緊張関係続く<芸能界【犬猿の仲】の有名人>
芸能ネタ
2023年09月10日 17時00分