ミステリー
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ミステリー 2015年05月09日 18時00分
石化した宇宙人か? 謎のミイラが発見される!
河童のミイラや妖精のミイラ、鬼のミイラなどが展示してあるお台場の「山口敏太郎の妖怪博物館」に今春より新しいミイラ仲間(?)が加わっている。 写真はただいま妖怪博物館にて展示中の「謎のミイラ」の実物である。 全長は約15センチほどの手のひらサイズ。山口敏太郎事務所へ届いた際には黒い重箱に収められており、箱には「半石化木乃伊」との記載があった。 また、付属品としてミイラ専用と思わしきガラスケース(約20センチ)と台座、ミニサイズの座布団が同封されていた。 まるでコレクターズフィギュアのような豪華オプションであるが、恐らくはこれは妖怪博物館へやってくる前から貴重な展示品として扱われていたということだろう。 さて、このミイラの正体であるが、一般公開から2か月が経過した今も一向に正体がわからず博物館の従業員を悩ませている。 触ってみたところ、非常に固く「半石化木乃伊」の名に恥じないカチカチのボディを持っているが、ミイラ独特の死臭は全く感じられず元が生物だったかどうかはわからない。 ミイラには眼球のくぼみやあばら骨などは見受けられるが、人間にしては体に比べ大きい頭蓋骨を持ち、指や足が細長いのが特徴的である。 河童や座敷わらしといった人間タイプの妖怪とも形状が異なるため、妖怪博物館では「分類不明」「宇宙人らしき生物のミイラ」として紹介するのが精一杯なのである。 さて「生物が石となる」「死ぬと石になる」という現象はギリシア神話の「メデューサ」やファンタジー作品、SF作品にはお馴染みの設定だが、近年「触れると石になる湖」が実在したことが広く世界で報道された。タンザニアの北部ナトロン湖のほとりには石と化した鳥やコウモリなどが多数発見されているのだ。 これはナトロン湖のアルカリ度が異様に高く、動物が湖へ飛び込むやいなや肉が石化をはじめ、そのまま死に至らしめるためとされている。 もしかすると今回のミイラも宇宙からやってきた宇宙人が地球の環境に耐えられず徐々に石化し死んでしまったものかもしれない。 なお、余談ではあるがこのミイラ専用の台座には「ラーミ」と書かれた紙も貼りつけてあった。これは戦前の日本でよく見られた「右横書き」でこのミイラが古くから日本にあった証拠の一つと考えられるが、「ライミ」や「伊乃木」ならともかく「ラーミ」とはなんともおまぬけな印象を与える。 現在、妖怪博物館ではこの悲劇のミイラは愛着を込めて「ラーミくん」と呼ばれている。 是非、あなたも「ラーミくん」の「第二の人生」を見守ってみてはいかがだろうか。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2015年05月07日 17時30分
カエルから妖精まで、不思議写真の謎(5)
およそ百年前の1917年7月、イギリスのコティングリーで2人の少女が妖精の姿を写真におさめ、やがてシャーロック・ホームズの作者として有名なコナン・ドイルが写真を本物と認めて雑誌に掲載させたことから、イギリス全土で激しい論議が巻き起こった。 当時9歳のフランシス・グリフィスと、いとこで15歳のエルシー・ライトの2人が撮影したモノクロ写真には、蝶のような羽を持つ小さな人影がが少女の周りを舞い踊っている姿が、はっきりとおさめられていたのである。 当時、既に多重露光や複数のネガを用いた画像合成による偽心霊写真が数多く出まわっており、当然ながら妖精写真も偽造が強く疑われた。しかし、コナン・ドイルらは専門家の鑑定により偽造ではないことが明らかになったとして譲らず、議論は白熱した。ただ、論争が熱を帯びるにつれて少女らは疲れ果ててしまい、それぞれ結婚して海外へ移住していた。 その後、ドイルがオカルトへ非情に強く傾倒していったこともあって、妖精写真もドイル自身の心霊主義を巡る議論のひとつとして扱われるようになり、ネッシー写真などと同様の定番オカルトエピソードとして語られることはあっても、まじめな考察の対象となる機会は減っていった。しかし、エルシーが1966年に帰国し、新聞が妖精写真を取り上げたことから論争が再燃する。そして、最初の写真が撮影されてから57年後の1974年に、美術史家のフレッド・ゲティングスが1914年発行の絵本「メアリー王女のギフトブック」の図版が撮影された妖精と酷似していると指摘したことから、事態は大きく動き始めた。 結局、エルシーは周囲の人々と相談した結果、本をなぞった妖精の絵を使ったトリックを告白し、撮影から66年後の1983年にはその事実を広く公表したのである。 ただし、エルシーもフランシスも1920年8月に撮影した妖精写真について、最後の1枚はトリックを用いなかったと語った。そして、エルシーとフランシスは、それぞれが最後の写真を撮影したのは自分だとも語ったのである。 既に年老いたエルシーとフランシスが、この期に及んで嘘を重ねるとは考えにくく、彼女たちは真実を語っているであろうと考えられた。そのため、他の4枚はともかく、最後の1枚については、本当に妖精が写っていると考える人も少なくないのだ。 最後の写真におさめられた謎の人影とは、いかなるものであろうか?(続く)
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ミステリー 2015年05月05日 16時30分
未確認生物発見への第一歩! 残された足跡のから導き出されるものとは?
巨大猿人「ビッグフット」「雪男」などメジャーな未確認生物発見の第一歩は(そのままであるが)残された足跡の発見である。 足跡は未確認生物界にとっては重要な証拠資料となり、雪男に関して言えばその大きさや指の本数、また付着していた体毛があればどのような生物なのかを割り出すことができる。今回は日本で発見された謎の足跡の発見騒動についてご紹介したい。 右の写真は今から10年ほど前、2004年にオカルト研究家・作家の山口敏太郎氏とそのスタッフが千葉県船橋市某所で撮影した「謎の一本足」の写真である。 歩幅は14〜15cm程度。足跡の直径は12〜13cm。奇妙な蛇行を繰り返し畑の上を歩いている。船橋では狸や野犬も稀に目撃されるが、野生動物の足跡が一直線に付くことはない。また、1本足の生物が船橋市内で目撃されたことは過去一度もなく、また同時期に和歌山県田辺市で同様な謎の一本足跡事件が発生し、和歌山県の新聞などでは大きく取り上げられていたこともあり、山口敏太郎はこの一本足跡の調査を行っている時期があった。 山口敏太郎氏は和歌山市内の一本足事件については和歌山県の伝承妖怪の「がしゃんぼ」のものではないかと推測していた。この「がしゃんぼ」は河童の仲間とされており、夏は川に棲息し、冬は山に住むという特徴を持ち、なぜか一本足ではねるという。また和歌山には同じく一本足、一つ目の妖怪である「一つだたら(一本だたら)」と呼ばれる妖怪が存在するという。この妖怪も山中を一本足で、(ぴょんぴょん)はねくるとされている。 和歌山ではこの足跡の正体については上記の通り一時期、かなり話題になったが時間が進むにつれ話題は風化していき、また船橋の一本足についても正体はハクビシンではないか、ということで一旦の決着を見た。 しかし、このような足跡騒動は今もTwitterなどを中心に盛り上がる傾向があり、10年前より今のほうが具体的な正体が割り出せるのではないかと一部の研究者は語っている。 皆さんもぜひ、謎の足跡を見つけたら山口敏太郎事務所までメールをいただきたい。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2015年05月03日 11時45分
カエルから妖精まで、不思議写真の謎(4)
いまから百年ほど前、イギリスのコティングリーで2人の少女(当時9歳のフランシス・グリフィスと、いとこで15歳のエルシー・ライト)が妖精の姿を撮影したとされ、シャーロック・ホームズの作者として有名なコナン・ドイルが写真を本物と認めたことから、当時のイギリスで激しい論議が巻き起こった。有名な「コティングリー妖精写真事件」である。 写真には、蝶のような羽を持つ小さな人影が少女の周りを舞い踊る姿などがおさめられており、当時の鑑定では「ネガもプリントも修正を施されておらず、写真は野外で撮影され、多重露光でもない」との結果が出ていた。 妖精写真が撮影された当時、既にレントゲン写真や動体連続撮影写真などが存在しており、人間の目には写らない現象でも「写真にはおさめられる」という認識が社会に広まっていた。他方、そういった認識を悪用して心霊写真を偽造したり、あるいは写真によって心霊の実在を証明しようと試みる人々も出現していた。そのため、妖精写真が撮影された段階でも、心霊写真の存在と真偽に関する論争が半世紀ほど続いており、偽心霊写真の検証についても手法が確立されていた。 妖精写真についても心霊写真と同様の疑惑にさらされ、偽心霊写真を暴いた技術や手法による検証がなされたのである。 現在、確認されている最古の心霊写真は1861年にアメリカで撮影されたとされるプリントだが、亡霊として示された人物が生きていたことから偽造が発覚している。撮影者が全てのネガを廃棄してしまったため、具体的な偽造方法は不明だが、恐らくは単純な多重露光と推測される。 写真の発明が公開されたのは1839年だが、心霊写真が撮影された当時は1851年に発明された湿式コロジオン技法が主流で、ガラスネガに像を写す点が大きな特徴であった。ガラスネガとは光に反応する乳剤を塗布したガラス板で、後のネガフィルムと同じ役割を果たす。ガラスネガの登場によって、複数のネガからひとつのプリントを合成することが可能となり、実際にそのような合成写真がいくつも制作されていた。 また、ガラスネガは比較的大きかったので(例えば、コティングリー妖精事件で使用されたガラスネガは、概ね5〜6インチ級のスマートフォンに近い大きさだった)、映像そのものを修正したり、あるいは合成素材用に加工することも可能だった。その他、ひとつのネガを繰り返し撮影して映像を合成する多重露光も盛んに行われ、代表的な心霊写真の偽造手法となっていた。 まとめると、当時の心霊写真偽造手法は複数のネガを用いた合成写真、ネガの修正による加工写真、多重露光、そして「心霊に扮した人や人形を用いる作為写真」のいずれか、あるいはそれらの複合となる。 しかし、いずれもネガに加工の痕跡が残ったり、あるいは野外での撮影が難しいとされていた。そのため、コティングリー妖精事件においては、先述の鑑定結果が非常に大きな意味を持ったのである。(続く)
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ミステリー 2015年05月02日 18時00分
タコが人間界を支配する日は来るのか?
今年4月、ニュージーランドの水族館で世界初となる「タコのカメラマン」が誕生した。 水槽内にカメラが設置してあり人が集まるとタコ自身がカメラへ近づきシャッターを押してくれるという。 タコがどこまでカメラについて認識しているのかはわからないが、カメラの操作自体はすぐに覚えたようで水族館内で高い人気を呼んでいるという。 タコはビンの中に閉じ込められてもフタを開けて逃げてしまうなど高い知能指数を持つことは広く知られており、また2010年に話題になったワールドカップの結果を予言する「パウルくん」など超能力に近い不思議な能力を持っている個体もおり「タコがもう少し長生きできれば地球を支配する存在になる」と断言する研究者も多いという。 それだけ人間に近い存在ということだが、実は日本には非常に人間に近いタコが千葉県で捕獲されたという記録が残っている。 明治18年(1885年)7月3日の「東京絵入新聞」には頭部が人間の頭のような「章魚人形(たこにんぎょう)」なる怪物が捕獲された記事が掲載されている。 記事によると千葉県の木更津沖において漁師の勘右衛門という人物が下ろした網を引き上げた際に奇妙なタコが引っかかっているのを発見。大きさは約1mの大物で人間の上半身にタコの足が生えていたという。上半身に腕はなく、まさにタコ人間といった風体だ。 章魚人形は捕獲後、品川の富豪が木更津まで行き高値で買い取られその後の消息は不明だという。 章魚人形の正体は未だ持って不明だが水死した人間の魂がタコに乗り移った説がある。また津波などの水難で海に飲み込まれた村の近くでは人間の髪の毛が絡まった状態のタコが釣られることがあるという。これはタコが人間の死肉を食べることがあるということであり、人間を食べたタコが人間に精神を乗っ取られることは本当にあるのかもしない。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)参照:「本当にいる日本の未知生物案内」(山口敏太郎著)
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ミステリー 2015年04月28日 15時30分
元国王も目撃? 「ジャージー・デビル」は悪魔なのか? 生物なのか?
今年、2015年は年頭から「鳩山由紀夫氏宇宙人説」「アントニオ猪木議員のUFO論争」など日本政治界でUFO騒動が盛んである。 その一方、未確認生物(UMA)については「幻の鳥ドードー発見?」「ジョニー・デップのチュパカブラ騒動」なる海外ニュースはあったもののUFOに比べると日本の未確認生物業界はやや大人しめである。 業界では新種の生物こそ多数発見されているものの、UFOのように政界を揺るがすような情報は近年出てきておらず少々さびしいのが実感だ。 しかし今から200年ほど前、一国の王が目撃証言を発表したことで社会問題へと発展した未確認生物騒動が存在したという。 それが米国ジャージー州での目撃証言が相次ぐ怪物「ジャージー・デビル」である。 写真がジャージーデビルのイラストなのだが、馬に似た長い頭部、細い体に手足、背中から生えた悪魔のような羽はアンバランス極まりなく、まさに悪い夢に出てくる怪物の姿そのものである。 ジャージー・デビルの目撃例は古くから存在し1700年代から情報があるが、もっとも湯名なのが、1820年における元スペインの国王ジョセフ・ボナパルトの証言だろう。ジョセフ・ボナパルトは生前、「ジャージー・デビル」の姿をニュージャージーで目撃したと語っている。国の王が「未確認生物を見た」という例は(神話時代はともかく)近代ではかなり珍しい例ではなかろうか。ジョセフ・ボナパルトの目撃以降、ニュージャージー州には多数のジャージー・デビルの目撃証言が相次いでおり、最近では2007年にも証言が発表されている。 ジャージー・デビルは出生の不気味さでも人気を集めている未確認生物である。 誕生談は2種類あり、ひとつは数人で魔術遊びをしていたグループのメンバーの連れてきた赤ちゃんが悪魔に体を乗っ取られジャージー・デビルに変身してしまった話、もうひとつは子だくさんの母親が13番目に産んだ子供がジャージーデビルへと変身してしまった話である。どれも子供が怪物に変身するという筋立てであるが、元が人間だったという点に変わりはなく未確認生物というよりも悪魔話に近い印象を受ける。 果たしてジャージーデビルの正体は本物の悪魔なのか? それとも本当に存在する生物なのか? 伝説の究明が待たれるところだ。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2015年04月22日 15時30分
カエルから妖精まで、不思議写真の謎(3)
およそ百年前の1917年7月、イギリスのコティングリーで2人の少女が妖精の姿を写真におさめ、やがてシャーロック・ホームズの作者として有名なコナン・ドイルが写真を本物と認めて雑誌に掲載させたことから、イギリス全土で激しい論議が巻き起こった。当時、寄せられた反響の大半は否定的なものだったようだが、ドイルは1922年に「妖精の出現−コティングリー妖精事件」を著して反論するなど、肯定派と否定派は全面対決の様相を見せたという。 ドイルはかねてより心霊現象を始めとするスピリチュアリズムに強い関心をいだいており、また心霊の存在を科学的に立証する手段として写真にも大きな期待を寄せていた。実際、彼が1920年に妖精写真に出会う以前から心霊写真家集団「クルー・サークル」とは親交を深めており、また1918に設立された「超常写真研究会」では副会長も務めていた。 心霊写真の歴史は意外と古く、確認されている最古の事例は1861年にアメリカのボストンで撮影された写真とされる。写真の発明が公開されたのは1839年だが、心霊写真にとってより重要なのはガラスネガに像を写す湿式コロジオン技法が1851年に発明されたことであった。技術的な要素は割愛するが、それまでの銀板写真や紙ネガを用いる方法よりも撮影が簡単で、シャープな画像を得られる上、多重露光や撮影後の修正といった写真加工が可能となり、写真家にとっての自由度が大幅に向上したのである。 そして、スピリチュアリズムへの関心が高まっていた19世紀後半の時代背景もあり、降霊術などと組み合わせた心霊写真が続々と撮影、公表されていった。 ドイルが妖精写真を目にした時には、既に心霊写真の存在と真偽に関する論争が半世紀ほど続いており、偽心霊写真の検証についても手法が確立されていた。もちろん、最初に妖精写真を持ち込まれた神智学協会のロンドン支部長はプリントやネガを専門家に鑑定させており、重ねてドイルもコダックなどの専門家に鑑定させている。その結果、いずれの鑑定においても「ネガもプリントも修正を施されておらず、写真は野外で撮影され、多重露光でもない」との回答を得たことから、ドイルらは写真が本当に妖精の姿をとらえたと確信したのであった。 しかし、鑑定結果はあくまでも「偽造ではない」ことを示したに過ぎず、写真が妖精の姿を写しているのかどうかは、また別の問題であった。黒ではないことは、白であることを意味しないのだが、オカルトに深く傾倒していたドイルは「偽造でなければよし」として、画面に写っている【なにか】が「妖精ではない」可能性を無視したのである。 次回は少々寄り道して、初期の心霊写真とその偽造方法を簡単に解説する。(続く)*写真イメージ
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ミステリー 2015年04月21日 15時30分
「アンパンマン」に似た宇宙人? フランスに現れた怪人物の正体は?
アメリカと並びUFO研究が盛んなのが「花の都」ことパリを首都に持つフランスである。 フランス国立宇宙センターの内部には「未確認飛行物体研究所」があるとされ、アメリカやチリ共和国といった国とUFOについて情報交換を行っているとされている。 それだけフランスはUFOの目撃数が多いということなのだが、UFOだけに留まらず宇宙人の目撃数も多い。 右の写真は1954年に北フランスのカルーブル(Quarouble)で目撃された宇宙人らしき人物の写真である。 ウェットスーツのような衣装を着た奇妙な人間が2人写っている。顔はあるのかないのかよくわからないがマスクを覆っていると思われる。非常に不気味な姿ではあるが、丸っこいフォルムは日本の「アンパンマン」にも似ていて愛嬌があるとも言える。 この写真は1954年にフランスで発生したカルーブルのUFO目撃事件の際に撮影されたものとされる。鉄道労働者のマリウスデワイルド氏は夜21時頃、家の近くの鉱山用鉄道の上に黒い奇妙な物体が置いてあるのを発見。しばらくすると近くから謎の2人連れがやってきて黒い物体から光が放たれるとともに謎の2人は黒い物体に吸い込まれるように消え、空へと飛んでいったという事件だ。 事件名こそ付けらていないが目撃者である名前をとって「マリウスデワイルド事件」とされることがある。 日本ではあまり紹介されることはないUFO事件だが、フランスでは当時の新聞に写真付きで紹介され、現地調査や遺留品などの研究が行われていたという。 事件そのものは有名ではないが、後年宇宙人のイラストが多数発表されており、今回のマスクタイプのほか、ロボットのようなイラストも紹介されており、60年経った今も正体は謎のままである。 1954年当時は宇宙服は開発されていないものの既に研究は行われており、また潜水服は非常に似た形状のものが開発されており普及していた。1900年代前半の潜水服は技術が不足しておりまるでSF映画に出てくるロボットのような姿をしているのが特長だ。また、当時は「最先端の服」ということで若者を中心に潜水服がブームになったこともあるそうだ。 そのため、今回の写真は当時の潜水服のひとつだったのではないか、という意見もある。 事件報告から60年、UFO研究が盛んなフランスにはぜひ「マリウスデワイルド事件」の再調査を願いたいところだ。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2015年04月18日 18時00分
日本のUFO・宇宙人事件簿! 徳川家康は宇宙人と接触していた?
日本のアントニオ猪木議員と中谷元防衛大臣の「UFO論争」をはじめ、アメリカのバラエティ番組で行われたオバマ大統領へのUFO情報公開質問など世界の政界には現在、UFO旋風が巻荒れている。 本ミステリー記事でも山口敏太郎事務所は鳩山由紀夫氏の宇宙人発言を皮切りに政界と宇宙人(レプティリアン)の関係を紹介したのだが、実は日本の政界には実際に宇宙人と接触できた大物政治家がいたという。 その大物政治家とはなんと江戸幕府初代将軍・徳川家康であるという。 江戸時代後期の書物「一宵話」の第1巻には「肉人」なる怪物が家康の居城であった駿府城(静岡県)に現れた、という記録が残されているのだ。 1609年(慶長14年)旧暦4月4日の朝、駿府城の庭に異様な姿をした怪物がいた。 その怪物は目も鼻もなく手には指もない人間が天に向かって指をさし、何かを訴えていたという。将軍が住む城のため警備は万全なはず。なぜこのような怪人物が城に迷い込んだのか誰にもわからなかったという。困った家臣は仕方なく家康本人に相談したところ、人目のつかぬ所に追い出せとの伝達が出て、肉人は城から離れたの小山に追い出されたという。現在、UFO研究家のあいだではこの肉人なる怪物は妖怪の類ではなくグレイのような宇宙人ではなかったか、と推察されている。 また徳川家康は埼玉県の伝説によると森のなかで「空飛ぶ籠」にのった人物に会っていたという記述がある。「空飛ぶ籠」とは山口敏太郎事務所が2015年1月15日付の記事で紹介した『西鶴諸国ばなし』に登場する「飛び乗り物」という謎の未確認飛行物体と同じものかと思われる。やはり政治界の大物には遠い星から異星人が接触にしに来るのだろうか。 江戸時代には「肉人」「飛び乗り物」以外にも宇宙人が日本にやってきた痕跡が残っている。これも『鶴諸国ばなし』に登場する話だが、長野県の諏訪湖に落ちて行方不明になった人物が、諏訪湖の湖底には竜宮のような楽園があったと語っていたという。豪華な宝船に乗って帰還したその人は、自分だけ楽しむのは悪いので、一緒に竜宮に行く人々を募り一緒に宝船に乗り込み旅立っていった。その結果、宝船に乗った人々は誰一人帰ってこなかったという。挿絵には水棲生物が人間化したような怪人物が描かれているので長野県に住む海底人(湖底人?)の仕業と思われるが、やり口が宇宙人のアブダクション(拉致)に近いので研究家のあいだでは宇宙人の仕業とも考えられている。 UFOの存在が注目されている現代は当然として、地球人より歴史の古いと思われる宇宙人が現代の人間にしか接触を試みていないのは不自然ではある。 UFOや宇宙人の活躍は古い歴史書にこそ真の活躍が描かれているのかもしれない。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)参考:山口敏太郎著「本当にいる宇宙人完全ファイル」(笠倉出版)写真:『鶴諸国ばなし』より諏訪湖の湖底人
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ミステリー 2015年04月16日 17時20分
ドードー鳥発見ならず! 人知れず生きている「絶滅動物」たち
2015年3月、YouTubeに掲載されたある動画が世界の未確認生物ファンの間で話題になった。 1681年ごろに絶滅したと思われた幻の鳥「ドードー」らしき生物が南米コスタリカのジャングルにて動き回っている姿がカメラに収められたのだ。 今から遡ること約350年前、西洋人によって捕食されたり、外来生物によって駆逐され滅びてしまったドードー鳥が21世紀の今、生きていたとしたら生物学の歴史を揺るがす大発見である。 この映像は日本に限らず世界でも話題になり、さまざまなネットニュースでも情報が拡散されたが後日映像は自然保護キャンペーンサイトのインターネット広告でCGを使った合成映像であったことが明らかになった。 幻の鳥ドードー生存の可能性が再び閉ざされ、未確認生物ファンおよび動物ファンは落胆した。 しかしドードー生存は夢物語であったもののとも絶滅動物が再び人間の目の前に現れることはままある。 右の写真は大型のライオン「バーバリライオン」を撮影した1893年ごろの写真である。 バーバリライオンは体長が3メートル以上もある巨大なライオンでかつてローマ帝国で剣闘士の戦いのときに使用されたほか「勝利者の象徴」としてシーザー皇帝は400頭ものバーバリライオンを飼っていたという。 バーバリライオンはほかのライオンのように草原には住まず山間の森林に住んでおり、その戦闘力はネコ科の生物で最強とも噂されていた。 しかし、強大すぎる力を持っていたためにローマ帝国衰退後も危険と判断した人間たちの手により殺されたり「ライオン狩り」といった貴族の遊びのために多くのバーバリライオンが狩られる結果となった。 バーバリライオンは1922年頃に最後の一体が射殺され絶滅したと思われたが、実は密かに生きており、1996年にバーバリライオンに非常によく似た個体を3体発見。2007年には純血種らしき最後の1体を保護するまでに至った。 絶滅したと思われてから約90年、バーバリライオンは21世紀の地球に人知れず生きていたのである。 その後もバーバリライオンは混血種の繁殖が行われ、今は50頭ものバーバリライオンが飼育され数を増やしている。 ドードーは絶滅してから300年以上がたってはいるが、この広い世界に人知れず生きている可能性は捨てきれない。ドードーをはじめとする絶滅動物が我々の目の前に現れる日は明日かもしれない!? 文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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