ミステリー
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ミステリー 2017年03月01日 15時00分
巌流島と名刀「厚藤四郎」の不思議な縁(5)
アントニオ猪木とマサ斎藤が死闘を演じた「巌流島の戦い」から40年だが、島には他にも興味深い歴史がある。巌流島の由来となった宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘はもちろんのこと、その以前にも隣接する岩礁で豊臣秀吉の乗船が遭難し、太閤殿下も海へ投げ出され、生死の境をさまよったとされる。その危機を救ったのが若き日の毛利秀元であり、秀吉も名刀「厚藤四郎」を贈って功に報いたという。 また、太閤殿下御座船の水手頭(かこがしら、船長)である「明石与次兵衛」は遭難直後に自害し(入水説あり)、後に主たる細川忠興が篠瀬に配下の供養塔を建てている。供養塔は灯台代わりの目印となり、何度かの再建を経て、江戸期にはシーボルトもスケッチを残している。供養塔は明治期の航路標識設置に際し海中へ投棄されたが、大正期の岩礁爆砕工事の過程で発見され、曲折を経て現在は門司のめかり公園に設置されている。 興味深いことに、巌流島と隣接する山口県の彦島には、秀吉遭難に関する異伝がいくつか残されている。特筆すべきは前回の記事で取り上げた毛利謀反伝説であり、もうひとつは秀吉の御座船が当時最大の軍船である「日本丸」だったと言うもの。この「日本丸」は朝鮮出兵に際して秀吉が集めた軍船のひとつで、中でも最も大きく優れていたことから、太閤自ら命名したとされる。ただ、日本丸は秀吉遭難の直前に安骨浦海戦へ参加しているばかりか、沈没こそ免れたが大損害を受けているため、伝承に歴史的な根拠はない。 とはいえ、どの地域で、いつごろから、どのような変化を経て、このような伝承が発生し、かつ現代まで生き延びたのかは非常に好奇心を刺激する知的なミステリーであり、学問的に取り組む価値を秘めた謎でもある。 いわゆる都市伝説のたぐいにも、意外と古い起源を持つものがあり、反対に古くから伝わると思われていた神話や民話にも、昭和戦前期に端を発する物や、中には戦後生まれのものさえ存在するという。こういった謎を解明するのが、ミステリハンターの醍醐味とも言えよう。(了)
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ミステリー 2017年02月28日 11時50分
小柄な宇宙人をひき殺した!? 「エイリアン交通事故死」事件の真相とは
1953年7月8日の夜、アメリカはジョージア州オーステル近郊の高速道路上にて、警察官が道路の真ん中に停車したピックアップトラックを発見した。事情聴取のために彼がトラックに近寄ると、トラックの中には3人の青年が怯えた様子でいた。そして、トラックの前には奇妙な人型の生物が倒れていたのである。 それは大きさ約60センチほど、全身に毛はなく、丸く暗い目をしていた。青年達は高速道路を走行中、突然空に赤く輝く円盤状の物体が浮かんでいるのを目撃。小型の円盤はそのまま高速道路上に降りてきたが、彼らのトラックが近寄ってきたのを知るとゆっくり浮上しはじめた。だが、その時には既に道路上に3人の小柄なエイリアンらしき小さな人影が降りており、そのうちの1人をトラックではねてしまったというのだ。なお、その後円盤はすぐに現場に戻ってきて、残る2人のエイリアンを回収して飛び去っていったという。 当時、ジョージア州ではマリエッタ近郊にて大型で円錐形をしたUFOの姿が複数回目撃されていたため、メディアはこぞって彼らの証言を掲載し、より詳しい当時の状況を聞きたがった。また、彼らはひき殺してしまったエイリアンを冷凍保存していたため、記者達は彼らにエイリアンの死体を撮影させてほしいと頼み込んだりもしたらしい。 だが、このエイリアンの死体を見た記者の中には、本物かどうか疑問を持つ人物も少なからずいた。そこで警察は解剖学や生物学の教授らにエイリアンの死体の鑑定を依頼した。その結果、エイリアンは尻尾を切り落とし、脱毛クリームで毛をなくさせた猿の死体であることが判明したのである。 UFOらしき物体を目撃し、エイリアンをひき殺してしまったと証言した3人の青年達は、仲間内の悪戯でこの騒動を思いついたのだが、思いの外メディアに注目されてしまい、大騒動になってしまったのだった。文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所
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ミステリー 2017年02月25日 16時30分
1970年代にネッシーの死体が発見されていた!?
以前、リアルライブにて「ネッシーが捕まえられていた!?」という内容のニュースを紹介した。 1934年に写真付きで新聞に掲載されていたものだったが、見るからにネッシーの造形が模型であったり、第一、記事が掲載されていた日が4月1日のエイプリルフールだったこともあって、ただのジョーク記事であったことが判明している。 だが、こちらの写真はどうだろうか。これは1972年にネス湖にて発見されたという「ネッシー」だ。以前紹介した記事のものと違い、確かに胸びれも存在し、何らかの生物らしきものである事が解るものとなっている。通説として、ネッシーは古代の首長竜の生き残りと言われているように特徴的な長い首をしているとされている。だが、この写真では首は短く、鼻面が長い少し変わった姿をしていることが確認できる。 この生物はヨークシャー州にあるフラミンゴパーク動物園に所属する、8人の科学者チームが発見し、捕獲に成功したものだとされている。初めは沖合を泳いでいるのかと思ったのだそうだが、ボートで近づいてみると巨大な生物の死体であることが判明したのだ。もっとも、ネッシーにしては小さいので、子供の個体ではないかという説も出た。 この記事はかなりの注目を集めることになったが、このネッシーもすぐに正体が明らかになった。実はこのネッシーの正体はゾウアザラシであり、ダッドレー動物園で短期間飼育され、死亡してしまったものを動物園が引きとり、数日間冷凍保存して「ネッシーの死体を発見した」という記事に使用されたのである。この「ネッシーの死体」記事の掲載日も4月1日。やはりエイプリルフールの悪戯だったのだ。しかし、実際の動物の死体を用いていたこともあって、本物が発見されたのかと考えてしまった人も多かったようだ。文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所
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ミステリー 2017年02月22日 15時00分
巌流島と名刀「厚藤四郎」の不思議な縁(4)
猪木対マサ斎藤の一戦や宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な下関の巌流島は、明治期に隣接する岩礁が爆砕されるまで、関門海峡の難所としても知られていた。その岩礁は篠瀬と名付けられていたが、転じて死の瀬とも呼ばれるほど多くの船を沈めており、天下人たる豊臣秀吉すら遭難した魔の海域である。 ただ、秀吉の遭難については文禄元年(1592年)に肥前(佐賀県)の名護屋城から大坂へ帰る途中の出来事であることと、当時14歳の毛利秀元が小舟を漕ぎ寄せて太閤を助けたこと、その功績によって秀元が秀吉より名刀「厚藤四郎」を賜ったことがわかっているものの、その他の細部については謎が多い。例えば、秀吉御座船の水手頭(かこがしら、船長)である「明石与次兵衛」は、遭難に激高した太閤が自ら名刀「備前三郎国宗」で手打ちにしようとしたとか、そこから刀には水手切りの異名を奉られたなどの伝承も残されているのだが、明石与次兵衛は毛利秀元の懇願によって処刑ではなく切腹を申し渡された、あるいは沙汰を待つことなく自害(入水)したなど諸説あって真相は判然としない。 ともあれ、地元彦島の人々は与次兵衛の最後を悼んで手厚く葬った他、墓所に植えた松を「明石松」と呼んだとされている。また慶長年間(1600年ごろ)には、細川忠興が配下の不運を哀れんで篠瀬に明石与次兵衛の塔を建てさせ、以後は「与次兵衛ヶ瀬」と呼ばれるようになったという。 ただ、その与次兵衛には信憑性が薄いものの「毛利はいまだ野心を捨てておらず、長門の岸へ寄せるのは危ういこと。そのため、あえて篠瀬の沖へ船を回したのでございます」と弁明したものの、明石与次兵衛とは仮の名で正体は秀吉に切腹させられた小田原北条家の重臣「松田尾張守(松田憲秀)」の遺子であると讒言を受け、結局は打ち首になったという伝承がある。とは言え、明石与次兵衛は名が示すように播磨の明石を拠点としていた海賊衆で、秀吉配下の水軍武将として小田原攻めにも参加しており(!)、遭難当時は後に豊前小倉藩主となる細川家の組下だったとされる。 つまり、歴史的には全く根拠も整合性もない、単なる伝承のひとつにすぎないが、それだけに「なぜ、そのような伝承が生まれ、語り継がれてきたのか」が、大きな謎として浮上する。ただ、この伝承には秀吉御座船に関する「神話」も含まれており、また下関の彦島周辺でのみ語られてきたというのも、謎を解くひとつの鍵となろう。 次回は、彦島における秀吉遭難の伝承を踏まえつつ、明石与次兵衛の塔と「与次兵衛ヶ瀬」のその後を解説する。(続く)
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ミステリー 2017年02月21日 16時59分
魂が抜け出た瞬間が写真に撮影された!? 魂の存在を裏付ける心霊写真
人が死ぬと魂が抜け出る…と洋の東西を問わず言われ続けている。 しかし、魂は空気のように目に見えないものであるため、それが実際に「ある」かどうか判断することは難しい。霊感のある人ならば幽霊などの形で視認できるのかもしれないが、霊感のない人には困難がつきまとう。 そこで、もし魂が質量のある物体として存在しているのなら、人が臨終を迎えて亡くなった際には必ず重量が僅かながらも減るはずだ、と考えた人がいる。 アメリカはマサチューセッツ州の医師、ダンカン・マクドゥーガル博士はこの推論から、入院している瀕死の結核患者をベッドごと当時の最新型の秤に載せ、人が亡くなった直後から生じる体重の変化を計測することにした。 もっとも、遺体はそのまま放置していけば乾燥したり、内容物が流れ出たりする。そこで博士は死後に失われる体液や漏れる空気なども考慮に入れて計算した結果、魂の「重さ」は21グラムであると結論づけた。 もちろん、この説には様々な異論が出てきている。蒸発した水分の量ではないかとする意見や、サンプルが少ないので結論付けるには早過ぎる、という意見などだ。だが、多くの人々にこの実験は興味深いものとして捉えられたようで、彼以外にも魂の重さを計ったりした人物はいたようだ。 こちらの写真も、そんな臨終の人を観察していた際に撮影されたものだという。 床に伏せている男性の耳元あたりに奇妙な白く長い光が尾を引いて映っており、繭玉のような白く大きなぼんやりとした塊が男性の上に乗っている。 これこそが、男性の体から魂が出た瞬間を捉えた写真であると言われている。だが、もちろん真偽は定かではない。ネガに指紋が付いてこのように写ったとされる意見もある。 ともあれ、我々が魂の存在を実証する日が来るまで、この写真の謎が解かれる日は来ないのではないだろうか。文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所
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ミステリー 2017年02月18日 16時14分
1934年にネッシーが捕獲されていた!? 衝撃の新聞記事が存在した
1934年3月、ドイツはベルリンのIllustrirte Zeitung紙がかねてより噂になっていたネス湖のネッシーを撮影、さらに捕獲にも成功したとする衝撃の記事を掲載した。 同紙はネス湖のネッシーを調査するチームを結成し、数か月にわたりネス湖を調査。何度かネッシーらしき生物の姿も確認し、それらのデータを精査したところ湖の一か所を頻繁に行き来し、浅瀬にも近づいていると結論づけた。そこでネッシーの行動範囲を予測し、複数の漁船でネッシーを待ちかまえ、追い込み漁のようにして網の中に捕まえることに成功したというのである。 新聞にはネッシーが捕獲された様子の一部始終が、多くの写真と共にこのような見出しで掲載されていた。 “世界の動物学者たちが熱望していた瞬間:ネス湖のネッシーを捕獲!” この時捕獲されたネッシーは体長31メートル、体高7.8メートル、総重量は約36トンだったという。確かに写真には、追い立てられるネッシーらしき姿や網に捉えられた巨大な首の長い生物の姿が確かに捉えられている。だが、生物の様子が明らかにおかしい。どう見ても、模型を利用した作り物なのだ。 この新聞記事が掲載されたのは4月1日。そう、エイプリルフールのジョーク記事だったのだ。欧米では昔からエイプリルフールには新聞にこのようなネタ記事を載せることが多かった。この記事も当時欧州で注目されていたネッシーにヒントを得て、大がかりな模型や写真合成技術などを駆使して作製されたものだったのだ。文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所
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ミステリー 2017年02月15日 15時00分
巌流島と名刀「厚藤四郎」の不思議な縁(3)
関門海峡の巌流島は、その名の由来ともなった剣豪宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で知られており、近年でも格闘技の聖地としてアントニオ猪木対マサ斎藤の一戦をはじめとする、幾つもの名勝負が繰り広げられた。だが、まだ巌流島と呼ばれる以前、正式な地名の船島と呼ばれていた時代、太閤秀吉が島に隣接する岩礁(篠瀬、転じて死の瀬とも)で遭難するという事件があった。そして、遭難した太閤を救助したのが、当時14歳の毛利秀元とされる。ほんの数か月前に自分が「秀」の字を授けたばかりの若武者が、小舟に乗って岩場へ進んでくる姿(これにまつわる異説があるので、次回に紹介する)に感激した秀吉は、助け出された浜辺で秀元へ名刀「厚藤四郎」を授けたと言う。 この「厚藤四郎」は東京国立博物館が所蔵する国宝で、最近はゲームの影響もあってか「あつくん」あるいは「藤四郎」などと親しまれている短刀だ。ただ「厚藤四郎」に関しては関白秀次から秀吉へ渡った経緯に関しては血なまぐさい異伝もあり、謎めいた名刀でもある。 ともあれ、日本各地の名刀を記録した台帳である江戸期の享保名物帳には、秀吉から秀元へ渡った経緯が概ね以下のように記載されている。 太閤が肥前の名護屋城より帰る際に赤間が関(下関)にて乗船が座礁した時、わずか14歳の秀元が小舟を漕ぎ寄せて太閤を助けたことから、海岸の砂浜にて秀元に「厚藤四郎」を賜ったとの物語が伝わっている。 さておき、あくまでも名刀の記録であるため、享保名物帳に秀吉遭難の詳細は記載されていない。ただ、水手切りの異名を持つ「備前三郎国宗」の解説には、秀吉が水手の頭である「明石与次兵衛」をこの刀で手打ちにしようとしたことから、水手切りの異名がついたとの記述がある。ここでようやく巌流島(船島)と篠瀬、明石与次兵衛、そして名刀のすべてがそろい、伝説の謎を解き明かす準備が整ったと言えよう。 次回は秀吉遭難の異説を中心に、物語としてどのような尾ひれがついていったのかを解説する。(続く)
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ミステリー 2017年02月14日 17時00分
撮影の最中にビッグフットに誘拐された!? 「ビッグフットの花嫁」事件
アメリカはカリフォルニア州ユーレカ郊外の森林にて、女性がビッグフットに誘拐され、結婚してしまう!? という事件が起きた。 女性は撮影のためビッグフットを探していたスタッフの一員だった。撮影隊は捜索中、当初の目論み通りビッグフットに遭遇する事には成功したのだが、ビッグフットは女性スタッフを見つけるとすぐさま彼女を捕らえて森の中に消え去ってしまったのだという。 撮影隊からの通報を受け、カリフォルニア州フンボルト郡は警察らを動員し、捜索パーティーを組織した。しかし、山林は広く彼女を見つけることは出来なかった。 やがて暫くの後、拐われた女性スタッフは同州ダーヴェルのリゾート地に姿を現した。彼女の姿は拐われた時そのままで、体に目立った傷などは無かった。しかし、彼女に何が起きたのか記者らが尋ねても、答えは返ってこなかった。彼女の口から出るのは叫び声やうなり声であり、人とまともに会話出来なくなっていたのである。 世間は、彼女はビッグフットの花嫁になってしまったのだと噂した。 しかし後日、彼女の仕事仲間で映画監督を務める男性がある映画を世に出した。タイトルは「ビッグフットの花嫁」で、彼女が誘拐された時の様子も踏まえた内容の映画だった。つまり、この「ビッグフットによる拉致事件」は単純に自分たちが撮影した映画のための宣伝活動だったのである。文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所
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ミステリー 2017年02月11日 15時21分
昔の人類は恐竜の生き残りを飼い慣らしていたのか? 謎の生物「サーポパード」
日本ではマイナーだが、海外では名の知られている未確認生物にサーポパードというものがある。 サーポパードは主に古代遺跡の彫刻や出土品の装飾に登場するものであり、現在も生息しているかは非常に怪しい。しかし、その特徴的な姿は見た人に大きなインパクトを与えるものだ。 有名なサーポパードの姿は、古代エジプトを初めて統一したというナルメル王のパレットに刻まれていたものだ。ちょうど化粧品を入れるくぼみの周囲を取り巻くように、蛇のように長い首の生物が2匹、手綱を握られた状態で向かい合っている。だが、その体は豹に似ている。 この生物には特別な伝説などもなく、しかし古代エジプトや古代オリエントの彫刻に頻繁に登場するため、当時はこのような奇怪な姿の生物が生息していたのではないかと言われ、名付けられたものがサーポパードなのだ。 サーポパードの正体については諸説あり、一つは実在する豹等を元に考え出された創作の生物である説。もう一つは、恐竜の生き残りを表現したものであるという説だ。 だが、生きているサーポパード自体の目撃証言が存在しないため、いずれも推測の域を出ない。もしかすると、いつか本当にサーポパードが生存していた証拠が出てくるのかもしれない。文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所
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ミステリー 2017年02月08日 15時00分
巌流島と名刀「厚藤四郎」の不思議な縁(2)
巌流島はかつて宮本武蔵対佐々木小次郎の決闘が行われ、現在はプロレスをはじめとする格闘技の聖地として知られている。だが、武蔵対小次郎の決闘以前は船島と呼ばれており、住所表記も下関市大字彦島字船島であるように、正式な地名は今なお船島である。 さておき、その巌流島はまだ船島と呼ばれていた頃にも、とある歴史的な大事件の舞台となっていた。それは文禄元年(1592年)の秀吉遭難で、太閤が九死に一生を得たとされる事件だった。 ところが、秀吉遭難事件には細部の異なる様々な伝承があり、現在でもなお解き明かされざる謎を秘めているのだ。まず、下関周辺に伝わる伝承を検討する前に、それらの基本形とも言える江戸時代後期の医者「橘南谿」が記した『西遊記』の記述を現代風に紹介しよう。 「関門海峡の中ほど、わずかに水上へ出ている長い岩山があった。その名は与次兵衛瀬と呼ばれ、付近を航行する船舶から恐れられていた。なぜこのような名がついたのかと地元で尋ねたら『太閤秀吉公が朝鮮征伐の際に肥前の名護屋まで御出陣された時、この付近を船で通ろうとしたら潮流に押し流され、御座船がこの瀬に座礁しました。御座船はたちまち大破し、沈没しつつありましたが、周辺より救助の船が駆けつけ、太閤殿下は無事に助けられました。その時に御座船の船頭だった与次兵衛は、事故の責任を感じて即時にこの瀬へ登り切腹したそうです。そのことから、この瀬は与次兵衛瀬と名付けられました』太閤の御座船ですらも流されたほど、潮の流れは強いのだ」 *橘南谿・西遊記:板本正編巻之五第八章(写本巻之十第十一章)与次兵衛瀬より。 とまぁ、これが伝承の基本形というか、最もシンプルな話である。このバージョンでは前回に解説したような秀吉が渡海した理由(母である大政所が危篤との報を受けたため)や、救助したのが毛利秀元の船であったこと、以前は篠瀬(あるいは死の瀬)と呼ばれていたこと、戸ノ上おろしと呼ばれる突風、そして何より秀吉の御座船や名刀「厚藤四郎」にまつわる部分が存在しない。 もちろん、これはあくまでも橘南谿が海峡を渡る際に船頭から聞いた話であり、また激しい潮流に揺られて恐怖や船酔いに苦しみながら聞かされたらしきことなどを考えると、漏れがあったとしても不思議ではない(いちおう、与次兵衛瀬の下手に巌流島が見えたとの記述はある)。ただ、橘南谿の記述は客観的な紀行文というより、異国での見聞を面白おかしく膨らませた「奇譚」というものであった。その方向性を考えると、いくつかの美味しいネタを気軽にスルーしたとは思いにくく、やはり船頭の話には含まれていなかった可能性が高い。 では、秀吉遭難をもうひとつの方向、名刀「厚藤四郎」の伝承から、改めて検討してみよう。 (続く)
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