ミステリー
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ミステリー 2019年04月20日 23時00分
タイムマシンの原理はブラックホールにあり!?未来人ジョン・タイター
ここ最近、海外を中心に「未来人」を自称する人物が登場し、ネットでインタビュー動画を公開するなど、精力的に活動していて注目を集めている。 そんな未来人ブームの先駆者が、アメリカに登場した未来人ジョン・タイターという人物だ。 1998年4月27日、ジョン・タイターは自分の両親のもとに姿を現す。当然のことだが、両親は驚いた。何故なら、その時点でまだ2歳の我が息子が未来から36歳の成人男性となって訪ねてきたのだから、当然であった。ジョンは2001年3月まで滞在し、数々の予言を公開、未来へと帰還したという。 その予言の幾つかを紹介すると、「2008年北京オリンピックの中止」「2015年第三次世界大戦勃発」「2015年中国による日本、台湾、朝鮮の強制合併」「中国に核兵器で攻撃されるオーストラリア」「ロシアの暴走と中国軍の世界侵攻」「中東での大量破壊兵器の使用」「2020年タイムトラベル反対派の抹殺」などが主な予言だ。中国の世界侵攻やロシアの暴走は的中しているが、北京オリンピックの中止などは外している。 そんな彼がどうやって現代に戻ってきたのか。彼は自分が利用したタイムマシンの原理と仕組みを図解も含めて公開している。彼のタイムマシンは、今注目されているブラックホールを利用したものだという。人工的にカー・ブラックホール(回転するブラックホール)を作り出す。 カー・ブラックホールは、通常のブラックホールとは違いドーナツ状をしており、このドーナツ状の特異点を潜り抜けることで別の世界線に移動できる。この小型のマシンを自動車に積載し、稼動させタイムトラベルを行う。但し、年数を遡るほど歴史線の誤差が生じるので、1回につき数十年単位でしか移動できないそうだ。 彼は2000年11月2日に「約一年後にはCERN(欧州原子核研究機構)でタイムトラベルの基礎研究が始まり、2034年に初の『タイムマシン』の完成により研究は完了する」とジョンは予言したが、2007年よりCERNは、陽子ビームの加速実験を開始することを発表している。 当然だが、この研究の延長線上には、タイムトラベルの可能性が秘められている。更に、2001年2月2日には「IBM5100は、APLやBASICが普及する前に書かれたIBMのプログラミング言語を解読できる能力を持っています」とジョンは断言したが、これはジョンが指摘した当時、一般には普及していない知識であった。 果たして、彼が語っていたのは真実だったのか。ジョン・タイターは今もネット上で発言を繰り返している。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年04月14日 23時00分
ザビエルの弟子が作った?禁忌の風習が存在する?謎に満ちた「クロ宗」
人気漫画であり、ドラマ化もされた「Dr.コトー診療所」の舞台となった離島、甑島列島。鹿児島県に属し、上甑島・中甑島・下甑島の主な3島で構成され東シナ海に浮かぶこの島には、隠れキリシタンの伝承が多い。 上甑在住の郷土史家・塩田甚志氏は著書で、「甑島のクロ宗は、島原の乱のキリシタン残党の末裔から来るものではないか?」とする仮説を発表している。 事実、甑島にはザビエルの弟子・ヤジロウが島原の乱の後、信者たちを連れて避難してきたという話が残されている。ヤジロウは別名アンジロー、アンジェロとも言い、殺人を犯し逃亡していた罪人であったが、ザビエルと出会って改心、キリスト教に帰依したとされている人物だ。同島に存在する天上墓はヤジロウの墓と言われており、同地に根付くクロ教(クロ宗とも呼ばれる)は、ヤジロウたちが密かに代々伝承していたキリシタン信仰が変貌していたものであるという仮説がある。 キリスト教が禁教とされていた江戸期、キリスト教徒は幕府の目を離れつつ、密かに信仰を続けていた。しかし、閉鎖され秘密化されていくうちに教義が変質していき、信仰も土着化して本来のキリスト教とは違う宗教形態を持つようになってしまったのだという。クロ教もその一つだとされている。今でもクロ教に対する信仰を続けているのは、わずかに20戸ほどに過ぎないとされるが、実態は明らかになっていない。島の人々にとってもタブーなのか、クロ教の存在自体に対して固く口を閉ざしている。クロ教の信徒らは一地域に集まって暮らしているのだが、塀を高くし窓すら見えないようにしているのだという。実際に島を訪れた人によると、家すら見えないほどの高い壁が組まれていたという。この地域であれば、台風よけのために家の周囲に壁を築く家も多いのだが、クロ教信徒の集落はそれとも違う様子であったという。 クロ教の、信徒以外の者に対する徹底した秘密主義故か、はたまた詳細が解らない事が人々の憶測を呼んだのか、そのどちらもか。興味本位の風聞に過ぎないが、クロ教には血なまぐさい風習の伝説がまことしやかに囁かれている。 クロ教徒の誰かが臨終を迎えると、周囲の信者は集まって集会を開く。そして、臨終を迎えた者の息があるうちに、体から血を抜き取り、集まったすべての信者がその血を飲んだり、生き肝を取り出して食べると言われているのだ。そして、残った遺骸は布で巻かれて運び出され、埋葬されるという。 だが、これはオカルト系の書物で見られる記述であり、結局、クロ教の信仰形態の真実はまったく不明のままである。この手の書物では読者の注目を引くように、わざとおどろおどろしく内容を強調して記述される事が多いので、クロ教の噂も現代になってより加速した一面がある可能性も高い。 なお、甑島はどの島も過疎化が進んでおり、信者も減少傾向にあるという。クロ教は誰にも知られぬまま、消滅してしまうのかも知れない。
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ミステリー 2019年04月13日 23時00分
日本初のマラソン大会「安政遠足」
現在放送中のNHKの大河ドラマ『いだてん』は、日本で初めてオリンピックに参加した金栗四三と、日本にオリンピックを招致した男、田畑政治を軸に物語を展開している。 金栗四三はオリンピックに参加した経験から、日本でのスポーツ振興の必要性を痛感。箱根駅伝などの駅伝大会やマラソン大会を開催し、高地トレーニングを行うなど、日本のマラソン界やスポーツ界の発展のために尽力した。 さまざまな業績から金栗は「日本マラソン界の父」と呼ばれるが、それでは日本で初めてのマラソン大会は何だったのだろうか。それは江戸時代に開催された「安政遠足(あんせいとおあし)」だとする説がある。 「安政遠足」は1855(安政2)年に安中藩主の板倉勝明が開いた、鍛錬のための競走である。板倉は学問を好み、後藤松陰らと交遊した知性派の殿様。西洋軍制の導入や杉の栽培など、近代的な藩政改革に取り組んだ名君であった。 板倉は、迫り来る欧米諸国に対抗するために、藩士の鍛錬を心に誓い、50歳以下の藩士98人(96人という説もある)を数隊に分け、5月中旬から6月初旬にかけて、安中城門から碓氷峠山頂の熊野権現まで7里強(29.17km)を走らせた。これを「安中御城内御諸士御遠足」と呼んだ。 5月18日に藩主の命を受けた代官・窪庭谷五郎は、碓氷峠に熊野権現の神主の組頭だった曾根出羽を呼び出し、藩士たちの遠足を行うので完走の証拠に割札を渡すよう依頼した。数日間、数回に分けて走らせたが、配慮がきく藩士たちは自分の上司を追い抜くことはできなかった。 この時の藩士たちのタイムや着順は、1955(昭和30)年に、碓氷峠の茶屋で発見された『安中御城内御諸士御遠足着帳』に記録されている。見事、ゴールした者には賞品として力餅が与えられたという。この力餅がどのようなものかは想像するしかないが、達成した者だけが味わえる餅だけにさぞやおいしかったことだろう。 この日本初のマラソンは、1956年に『マラソン侍』として映画化された。現在でもこの伝統は受け継がれており、1975(昭和50)年以降は毎年「安政遠足侍マラソン」という、仮装での参加が可能な愉快な大会が5月第2日曜日に開催されている。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年04月07日 23時00分
新元号「令和」に関連の深い場所と現代も続く「飛び梅」の伝説 太宰府のパワースポット
4月1日、新しい元号が「令和」に決まった。この元号は万葉集の「梅花の歌三十二首」の序文にある「初春の令月にして気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮(はい)後の香を薫らす」という一説を引用したもの。序文は当時、太宰府の長官であり歌人でもあった大伴旅人によるものだともされている。 新元号の発表もあり、現在福岡・太宰府には多くの人が足を運んでいるのだとか。 特に注目を集めているのは「坂本八幡宮」だ。ここはかつて大伴旅人の邸宅があった場所であり、「梅花の歌三十二首」が詠まれた宴が開かれた場所でもあるのだとか。この宴の様子を再現したジオラマが「太宰府展示館」にも存在しているので、気になる人は見に行ってはいかがだろうか。 また、太宰府といえば菅原道真の太宰府天満宮を思い出す人も多いだろう。道真も梅に関する有名な和歌を詠んでいる。 「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな」 901年、菅原道真は政敵たちの讒言(ざんげん)により京の都から、太宰府(現在の太宰府天満宮)へと左遷される。京を去る際、邸宅に植えられていた梅に対して、この句を詠んだと言われている。不思議なことに、その梅は主である菅原道真を慕い、一夜にして太宰府まで飛んだという伝説が残されている。 太宰府まで飛んできた梅は、通称「飛梅」と呼ばれ、現在でも太宰府天満宮の本殿に向かって右側に、「神木」として鎮座している。あまりの美しさに足を止めてながめる人も多い。現在、太宰府天満宮には数多くの梅が植えられている。その中でも最初に花を咲かせるのは飛梅であると言われている。 さまざまな歌人たちが歌を残した太宰府。春休みや連休に訪れてみてはいかがだろうか。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年04月06日 23時00分
改元は菅原道真の怨霊を止めるため 平安時代に起きた改元騒動
4月1日、平成に代わる新しい元号「令和」が発表された。 現在の元号は天皇陛下の在位期間を基準とするもので、生前退位に伴って施行されるものだ。 だが歴史をさかのぼると、元号は吉事や凶事があった際に変更することもたびたびあった。吉事の場合はそれを記念して改元されていたが、凶事の際は、これ以上凶事が続いていかないよう願って新元号に代えられていた。 代表的な事例は平安時代、菅原道真の祟り騒動に関するものだ。 優れた政治家であり、右大臣の地位にあった菅原道真は左大臣の藤原時平により「謀反を起こした」という虚偽の訴えを受け、遠く九州の太宰府に左遷され、現地で没することとなる。彼の死後、天変地異が続き宮中にも不幸が重なったこともあり、菅原道真の怨霊を鎮めようと改元されたことがあるのだ。 最初に道真の祟りに遭ったとされるのは、道真が謀反を企てたとして後醍醐天皇に進言した、定国であった。定国は道真の左遷以降、昇進を重ねていたが、906年に40歳で急死する。その2年後には、進言したもうひとりの人物で、定国同様に出世を続けていた藤原菅根が54歳で急死した。死因は落雷だったと言われており、2人の死は道真の祟りではないかという噂が立つようになった。 藤原家に動揺が広がる中、首謀者だと目される時平が、菅根が死亡したのと同じ年に39歳の若さで死去。藤原家に死者が相次ぎ、慌てたのは醍醐天皇であった。道真を慰霊し怒りを鎮めようと、道真の墓に神社を建てることを決め、造営を開始。道真が謀反を起こしたと記述された書物を全て焼くよう指示し凶事が終わることを願い、元号もそれまでの「延喜」から「延長」にした。 しかし道真の怨霊は静まらなかったのか、923(延長元)年、醍醐天皇の皇太子にあたる保明親王が21歳で死去。さらに2年後には、保明親王と時平の娘の間に生まれた慶頼王がわずか5歳で病死した。 これを受けて醍醐天皇は道真左遷の詔(みことのり)を取り消し、右大臣に復位させたが、930年6月26日に醍醐天皇の御所、清涼殿に落雷が起き、道真の左遷に加担した5名が死亡。醍醐天皇もこの後に体調を崩し、3ヶ月後に譲位して崩御する。当時は、干ばつの他に疫病なども蔓延しており、人々はそれらも道真によるものだと信じていたという。 偶然が重なっただけかもしれないが、40年も続いた凶事はそれだけ人々の心に強烈な印象を残したのだろう。この話は長く語り伝えられ、現在も菅原道真は日本三大怨霊の一人、かつ学問の神様として信仰を集めている。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月31日 23時00分
トラウマが日本妖怪の総称を生んだ? 妖怪の呼び名にまつわる諸説
異形のモノたちを示す呼称には「モンスター」「クリーチャー」「化け物」「お化け」などがある。「モンスター」は欧米文化における異形をさす言葉。「クリーチャー」は、映画やドラマでは「創作の怪物」か「未確認生物」と翻訳されることが多い。また「化け物」という言葉は意味の範囲が広くなり、変わった人間を含むこともある。最後の「お化け」は、異形のモノを現す日本の幼児語であり、現代では分離されている「妖怪」や「幽霊」を総括した呼称になっている。 この異形のモノを示す総称の幼児語だが、実は地域性がある。まずは主に西日本に分布する「ガ」や「コ」を含んだ用語群がある。ガオー、ガガマ、ガゴジ、ガッツァン、ガガモ、ガンゴー、ガモ、ゴンゴチ、ゴンゴン、ガンゴーなどが挙げられる。また東日本を中心に分布するのが「モー、モウ」を含んだ用語群である。モッコ、アンモ、モモッコ、モモコ、アモー、モーモー、モモンガなどがある。 これらの言葉がどこから生まれたのか、決定的な証拠はない。だがいくつか推論は出されている。まずは「噛もう」「がおーっ」という、口を開けて幼児を驚かせるアクションや発音から生まれたという説だ。確かに幼児にお化け話を聞かせるとき、このようなアクションや言葉で威嚇した記憶は誰にでもあるだろう。 また、奈良「元興寺(がんごうじ)」に出現した「がごぜ」という古い鬼が伝承して生まれたという推理もある。 さらに、蒙古襲来がきっかけとなっているという説もある。襲来は日本に深刻なダメージを与えており、その恐怖心から、異形のモノは「モ・ウ・コ」という発音がもとになっているという仮説もある。この「モウコ」という発音に起因する幼児語は、主に東日本に多いことから「蒙古来襲の損害を東日本は受けていないではないか」と異議を唱える者もいるが、蒙古襲来は西日本だけではなく、日本中から集められた武士たち全員が共有した”怖さ”であった。ならば、東日本に帰った武士たちが妻や子供に「モウコ」の恐怖を語り継いだ可能性はあり得るし、実際に損害があった西日本では逆に口を閉ざしてしまったのかもしれない。 異形のモノの総称は、今後も歴史の影響や偉人によって変化していくのかもしれない。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月30日 23時00分
武蔵と小次郎、剣豪伝説の嘘・ホント
国民的な人気小説「宮本武蔵」は、吉川英治の代表作。吉川は滞在した場所を舞台にして、小説を書くのが好きだったらしい。宮本武蔵の新聞連載中に千葉県の行徳を訪問した吉川は、江戸期に行徳のうどん屋が人気だったと聞くと、作中で武蔵にうどんを食わせ、行徳の徳願寺の檀家が船橋市で開墾した場所があると聞くと、その場所で野伏と武蔵を戦わせた。つまり、吉川の取材先の各地に「小説・宮本武蔵」の舞台があったのだ。 最近、墓石に十字(クロス)マークらしきものが確認され、「実は、隠れキリシタンではなかったのか」という珍説すら出ている佐々木小次郎だが、この小次郎の必殺技・ツバメ返しの開発は、小次郎の故郷にほど近い山口県岩国市にて編み出されたと言われている。具体的な特訓の場所は、岩国の名物・錦帯橋のたもとだったと記述されているのだ。 だが残念なことに、戦国時代から江戸初期にかけて、錦帯橋はかかっていなかった。橋そのものがなかったのだ。実は、吉川英治の定宿「深川楼」からほど近いところにあった錦帯橋に感銘した吉川英治が、創り上げたイマジネーションの産物であったのだ。ちなみに、現実の小次郎の出身地は、豊前か越前が有力で、岩国出身説は弱い。つまり、橋がかかっている、かかっていない以前の問題である。越前生まれの説を詳しく見ると、福井県福井市浄経寺町に存在する、足羽川支流が流れる一乗滝が彼の修行の場であったとされている。 また、巌流島の戦いも、「実は武蔵が卑怯な手段で勝った」という説が強い。当時、試合を検分したであろう門司城代・沼田延元の子孫が1672(寛文12)年に編集した『沼田家記』によると、巌流島での対決は、実際には武蔵が大勢の弟子を率いて集団で小次郎を打ち破っているというのだ。本当だとすれば複数による個人の殺害であり、武芸の試合ではない。 しかも、当時の小次郎は老人であり、中年の武蔵が集団で老人を殺害したという説も存在している。われわれが思い浮かべる若く美青年の佐々木小次郎像は、吉川英治の造形によるものだ。彼は生年が不明で、豊前小倉で細川家に仕えた時点で、経験と実績を重ねた壮年以上の剣士であった可能性も考えられるのだ。そう仮定すると、彼がすんなりと細川家への仕官が決まった理由も納得できる。 現在では、武蔵と小次郎はちょっと変わった決闘を繰り広げている。岩国の錦帯橋を挟み、「佐々木小次郎」というアイスクリーム屋と「武蔵」というアイスクリーム屋がしのぎを削っているのだ。ある意味、平和な時代である。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月24日 23時00分
奥の細道で有名な俳諧師・松尾芭蕉は忍者だった!?(後編)
江戸時代の俳諧師で「奥の細道」の著者でもある松尾芭蕉には、正体は忍者だったという話がある。この仮説は昭和のころからテレビ番組や書籍で取り上げられており、近年は都市伝説として流布されている。 その詳細については「前編」に譲るとして、このようなスパイ、調査員を大名や幕府が派遣した事例はほかにもある。有名な例は水戸光圀の「大日本史」編纂事業に関わるものである。当時漫遊していたと言われる光圀は実際にはほとんど漫遊せず、調査員を各地に派遣し歴史や地理を調べ上げている。当時の感覚として藩が違えば完全に「外国」。その外国の調査をするために偽装したスパイを送り込むことは一般的な感覚であった。 このようなスパイは、俳諧師以外でも旅の僧侶である雲水、虚無僧、山伏、薬売りや芸人など、巡回する商売人などがいる。武田信玄が歩き、巫女を各地に派遣し、諜報部隊として活用したことは広く知られている。 芭蕉忍者説の証拠として芭蕉の死後、江戸幕府は芭蕉の弟子であった曽良に第四回諸国巡見の随員として検分依頼を出しているのだ。曽良は旅の途中に死去してしまうが、芭蕉一門が幕府側のスパイであった証拠とは言えないだろうか。 なお余談だが、某タレントが松尾芭蕉の正体が「家康から自由にしてもらった服部半蔵ではなかったのか」とか、また「半蔵という名前は半蔵門という地名から取った」とか、奇妙な仮説を展開している。 だがこの仮説に対して筆者は異論を持っている。松尾芭蕉と家康が使った服部半蔵とでは時代が100年ばかり違う。子孫である四代目服部半蔵ならば芭蕉と時代が合うが、四代目の半蔵は忍びではなく事務官になってしまっていた。また、半蔵門という地名から服部半蔵の名前がついたのではなく、服部半蔵の名前から半蔵門という地名が生まれたのだ。 都市伝説の仮説と言えども、最低限の歴史的常識はカバーしていただきたいものである。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月23日 23時00分
奥の細道で有名な俳諧師・松尾芭蕉は忍者だった!?(前編)
松尾芭蕉と言えば江戸時代の俳諧師で、誰しも知っている「俳聖」だ。一方で謎の多い人物でもあり、芭蕉の正体は忍者だったという説がある。この仮説は昭和のころからテレビ番組や書籍で取り上げられており、近年は都市伝説となっている。 「芭蕉忍者説の根拠」だが、出身地が忍者の国・伊賀であったことが理由として挙げられている。忍者の「業務」に従事してなかったとしても、忍びが周辺にいたことは間違いない。唯一、気になるのは芭蕉の健脚ぶりだ。奥の細道において芭蕉は2500キロ(約500里)を5カ月で歩いている。1日平均15〜16キロを歩き、多い時には数十キロを歩いているのだ。具体的には、江戸深川を出発し3日後には日光東照宮に到達している。当時芭蕉は46歳。平均寿命が50代だった江戸時代においては「初老」とも言える芭蕉が、160キロをたったの3日で歩けるものなのだろうか。 また、松尾芭蕉は寛永21(1644)年に、藤堂藩侍大将である藤堂新七郎良清の三男・藤堂良忠に仕えている。この藤堂家は服部半蔵の親類に当たる。芭蕉は大名家や幕府からの依頼を受け、「俳句の旅」と称して偵察旅行に行っていたのではないかと言われているのだ。大名家や幕府がスポンサーだったとすれば、芭蕉の資金源も明白で、納得がいく。 事実、奥の細道が書かれた当時、江戸幕府と仙台藩伊達家は緊張関係にあった。莫大な費用がかかる日光東照宮の修繕を命じた伊達藩から不穏な動きを察知した幕府が、藤堂藩を通じて芭蕉という「エージェント」に「スパイ活動」をさせた可能性はあるのではないか。 よくよく見てみると、奥の細道の道中における芭蕉の動きにも不審なものがある。出発の際、しきりに気にしていた松島では1句も詠まずに、たった1泊であっさり通過している。逆に伊達家の軍事拠点である瑞巌寺や、戦の物資を受け入れる石巻港などは念入りに観察している。明らかに不自然な様子が見られるのだ。 なお、このようなスパイ、調査員を大名や幕府が派遣した事例は他にも存在している。その話は次回に譲ろう。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月17日 23時00分
民間に息づいていた陰陽師「おたゆうさん」
陰陽師と言えば、安倍晴明ら実在した人々の伝説が現代、創作の世界で登場することが多いが、現実世界にも陰陽師は存在する。 現実に、晴明以来の流れを受け継ぐ正当な後継者は北陸に存在する。安部家は土御門と名称を変えて、北陸の地に根づいていたのだ。当然、陰陽道を受け継いでいる。 しかし、歴史上あった数回の断絶により、平安時代の黄金期の片鱗を見ることはできない。どうも後世に流入した密教の影響を強く受けているようだ。 ある学者は、逆に民間に流失した陰陽道の一派の方がその「霊脈」を受け継いでいるという。 奈良・平安以降、いや、卑弥呼の時代から呪術は施政者の武器であった。言い換えれば、テクノロジーとも言えよう。政府や権力者は呪術を独占することで、民衆を操作し、懐柔した。つまり、集団催眠には最も効果的な技術であったのだ。 だが、民衆もばかではない。権力が隠匿する呪術体系をたびたび盗み出し、民衆側の技術に取り入れていった。その民衆側の呪術技術者が俗に言う民間の「陰陽師」であり、同時に後世において「忍者」と呼ばれる集団の先祖となった可能性が高い。 さて、その民間陰陽道は四国にも渡来している。最も有名なのは、高知のイザナギ流であるが、徳島にも似た流儀を行う一派があったと聞いたことがある。少年時代に祖母に一度聞いただけであるが、その陰陽師は「おたゆうさん」 と呼ばれ、狐憑きを落としたり、未来の卦(け)を占ったりして生業を立てていた。 某町の某家にキツネが憑いたときなどは、憑かれた本人が天井まで駆け上ったり大変な騒ぎとなったが、おたゆうさんが祈ると一発で落ちてしまったと伝え聞いた。 今はそんなおたゆうさんの噂も聞かない。いよいよ民間の霊脈も絶えてしまったのであろうか。(山口敏太郎)
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