ミステリー
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ミステリー 2019年02月10日 23時00分
琉球王朝の始祖は源氏だった?源為朝の不思議伝説
源為朝と言えば平安時代末期の武将であり、源為義の八男。有名な源頼朝や源義経から見ると叔父に当たる人物である。為朝は弓の名手であり、2メートル超えの巨躯を使って巨大な弓を豪快に引き、相手を粉砕する豪傑であった。あまりにも粗暴で父親に嫌悪され、九州に飛ばされてしまうのだが、九州でも暴れまくり鎮西八郎という異名をとることになった。その武勇を買われ、保元の乱では父・為義とともに崇徳上皇方につき奮戦するが敗れてしまい、伊豆諸島に流罪となってしまった。 伊豆諸島でも大人しくすることはなく、武勇に任せて伊豆諸島を統一、結局朝廷から送られた討伐軍と交戦することに。いくら豪傑でも多勢に無勢である。最期は戦いに敗れ、為朝は命を落としてしまう。 だが為朝は伊豆に流される前に琉球に立ち寄っており、そこで妻をもらい子供を授かっていた。今帰仁村(なきじんそん)にある運天港(うんてんこう)は為朝が上陸した場所だという伝説が現在でも残されている。妻子を残して為朝は伊豆に旅立つ。琉球に残した子供が琉球王統の始祖・舜天になったと言われているのだ。 これは大和側だけの主張ではない。琉球王国の正史『中山世鑑』、『琉球神道記』、『おもろさうし』、『鎮西琉球記』などに記述されており、江戸や大阪でも滝沢馬琴の『椿説弓張月』などで広く知られるようになった。 もちろんこの伝説は、日本陸軍の大陸支配の正当化に使用された義経=ジンギスカン説と同じように、薩摩の琉球支配の正当化を狙った「日琉同祖論」であり、情報操作である可能性が高い。薩摩を支配していた島津氏も源氏だったため、同族とした方が何かと都合が良かったのであろう。 だが果たして、本当にそれだけの理由でこの伝説が琉球に残ったのだろうか。筆者は琉球国内において、ヤマトの勢力をバックボーンにして王朝内で力を握りたいという勢力が、伝説を琉球国内で広げた可能性も捨てきれないと思っている。幾ら薩摩側の圧力があったとしても、琉球側の資料にはこの説があまりにも多く採用されている。琉球王朝内部にこの為朝伝説を自らの利益のために利用した連中がいた可能性はあるだろう。 また、為朝本人ではないにしても、伊豆諸島の武士たちが海流に乗って琉球に定着した可能性だって十分ある。伝説には何らかのモデルがいる場合が多いからだ。果たして、海を駆けた武将・為朝は琉球に渡ったのであろうか。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年02月09日 23時00分
予言、そして削られた猿…日光東照宮「三猿」にまつわるミステリー
江戸幕府を開いた徳川家康が眠る日光東照宮。家康を東照大権現として祀(まつ)る東照宮には、極彩色のさまざまな彫刻が社殿を飾っている。寺社仏閣の建築は、縁起の良いものを装飾のモチーフとしている。東照宮の場合も龍や象など、神道や仏教で「瑞獣」や「神獣」とされるものを多く扱う。しかし、中にはメッセージ性を持つ変わったものも存在している。 「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿などはその代表格だ。三猿の彫刻は東照宮の神馬をつなぐ厩舎に彫られており、人間の人生を象徴するように8体のサルが彫られている。そのうち、「親元を離れる前には世間の悪いことを見たり (見ざる)、聞いたりせず(聞かざる)、人の悪口を言ったりしてはいけない(言わざる)」という格言に通じる三猿がピックアップして見られるようになった。 また、この三猿の故事は中国の論語に由来するものであり、その故事に合わせてもう一匹「せざる」という猿を加えて四猿だったという説もある。なぜ「せざる」が排除されたのかというと、これは「過ぎた欲(=性欲)は身を滅ぼす」という意味があり、これにしたがうと猿が股間を押さえたポーズをとることになる。訓戒としては良いものであるが、神社の彫刻としてこのような姿を採用するのはいかがなものか、ということ4番目の「せざる」が排除されたという。 また、この「三猿」は、江戸幕府の滅亡を予言していたのではないかと筆者は考えている。三猿が特に有名だが、実は15匹設置されており、徳川将軍の数と一致するのだ。しかも、それぞれの猿が歴代将軍の業績と一致する。 最初の猿は小猿を脇に置いており、長男・信康が信長によって切腹に追い込まれた家康を表しているとも推測できる。また2匹目から4匹目の猿たちは俗に言う「見ざる、聞かざる、言わざる」という三猿だが、この猿たちは江戸幕府の鎖国政策を意味しているのではないか。さらに5匹目から6匹目の猿は「上を見てもキリがない猿、下を見てもキリがない猿」であり、江戸幕府の士農工商に合致する。 また8匹目の猿は周りの猿をいたわる余裕を見せている。この猿こそが中興の祖・徳川吉宗ではないか。13匹目の猿から波に乗り始めるが、これは13代将軍の頃から幕府の屋台骨が揺らいでくることを意味しているのだろうか。最も不気味なのは最後、15匹目の猿である。この猿はどこかに「立ち去る(猿)」姿を見せている。この最後の猿こそが幕府の幕を引いた徳川慶喜ではないのか。 このように謎を秘めた東照宮の猿たちは、徳川幕府がなくなった現在でも参拝客らの前で当時から変わらぬ姿を見せている。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年02月03日 23時00分
歴史ミステリー「影武者・徳川家康」
天下人・徳川家康には影武者伝説が存在する。実は家康は伝えられているよりも早く死んでおり、途中から世良田次郎三郎という人物が家康を演じたという説がある。 影武者との入れ替わりの時期に関しては諸説ある。桶狭間の戦いから数年後、松平元康は無事に今川家の支配から独立したが、家臣によって討たれてしまい影武者に入れ替わったとも、1600年の関ヶ原の戦いにおいて、徳川家康が討たれてしまい、影武者が徳川家康を演じ続けたとも、大阪夏の陣において真田の猛攻で討たれてしまい、影武者と入れ替わったとも言われている。 確かに、これらの説には不審な点がいくつかある。もし松平信康時代に入れ替わっていたとすれば、長男である信康の切腹も平気で命じたであろうし、後に結城秀康や徳川秀忠になる実子たちのためにも信康を始末したくなる気持ちも分からなくもない。 さらに家康と徳川秀忠は親子であるにもかかわらず、晩年は不仲であった。これが赤の他人であったとしたら納得がいく。それと関連して、筆者が事務所を構える船橋にかつて存在していた船橋御殿(船橋東照宮付近。東金の鷹狩に行く際、家康が何度か宿泊した)に家康が宿泊した際に不審火が出ており、秀忠に命じられた間者が家康暗殺を狙ったのだという伝承が残されている。 また筆者も数年前に取材に行ったのだが、堺の南宗寺には「家康の墓」と称される史跡がある。もちろん、これは近代において関西系の企業家たちが建立したものであり、当時のものではないのだが、もとになった文書はある。『堺鑑』には家康が討たれたという記事があり、寺そのものにも徳川秀忠や徳川家光が墓参りに来た時に、収めた奉納物が残されているという。二代、三代の徳川将軍がまったく縁もゆかりもない堺の寺に参拝に来るであろうか。やはり、南宗寺には大阪で討たれた家康の魂が眠っているのであろうか。 この家康の影武者説は1902(明治35)年に村岡素一郎が『史疑 徳川家康事蹟』という書籍を出版してからブームとなり、戦後は隆慶一郎の『影武者徳川家康』や、同作品を原作としたコミックで一般に広がった。 ちなみに筆者は、家康がひょっとしたら、3回は殺されているのではないかという妄想を抱いている。松平元康時代にも殺され、関ヶ原でも殺され、大阪夏の陣でも殺され、最後は老衰でも死んだ。つまり、家康を演じた人物は本物・影武者合わせて合計4人もいるのではないだろうか……。 ”徳川家康”がある種のプロジェクトチーム名だとしたら、なんと楽しいことだろうか。本物が夏の陣で死んでおり、あとは影武者であったとしたらどうだろうと思っている。むろん、これは真剣な仮説ではない。あくまで小説のタネである。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年02月02日 23時00分
天草四郎は豊臣秀頼の落し種だった?
江戸時代を通じ最も幕府が追い込まれた、最大規模の農民の反乱と言えば、天草四朗が指揮した「島原の乱」であった。最近では「島原一揆」と表記されることも多いが、幕府が本気で潰しに行かないと鎮圧できないほどの破壊力を持っていた。 この反乱軍の象徴であったのは「神の子」天草四郎であった。元和7(1621)年に生まれたとされており、寛永15(1638)年に原城で玉砕するまで、波乱の人生を駆け抜けた。無論、このような青年の力だけで大勢の人間は束ねることは大変だ。背後に欧米の勢力がおり、クリスチャンの信仰心を利用して日本国内にキリスト教徒自治区を作ろうとしていたとも言われている。 天草四郎は、本名を「益田四郎時貞」といい、洗礼名を「ジェロニモ」、または「フランシスコ」と言った。何の変哲もない四郎が突如「神の子」として祀り上げられたのは、マルコス宣教師が国外に追放される際に奇妙な「預言」を残していたからだ。「今から25年後に神の子が出現し、弾圧に苦しむキリシタンたちを救う」というものであった。 それから約25年後の1637年6月頃、小西行長の元家臣たちがマルコス神父の預言を天草・島原の村々に言い回り「神の子」への待望論が拡大。聡明な四郎は「神の子」として認められ、一気にキリシタンの旗印に担ぎ上げられたのだ。 この一連の動きで怪しく思えるのは、小西行長の元家臣たちである。クリスチャンであったのは事実であろうが、わざわざ村々で神の子の預言を言って回るのは不可解だ。しかも、天草四朗の馬印は秀吉と同じく千成病単であり、暗に豊臣家ゆかりの人物であることを示している。また、薩摩の書物では天草四郎の事を「豊臣秀綱」という名前で記している。さらに、大阪夏の陣で破れた豊臣秀頼が真田幸村とともに薩摩に逃れたという噂がささやかれていた。つまり、当時天草四郎は秀吉の孫であり、豊臣家復興の旗印でもあったとも言われているのだ。 これは関ケ原で敗れた大名に仕えていた浪人たちの勢力を、自軍に引き入れるための小西家旧臣たちの戦略のようにも思えるが、天草四郎が豊臣秀頼のご落胤(らくいん)であり、豊臣家の嫡流(ちゃくりゅう)の血が流れているとしたら、徳川幕府があそこまで必死になったのも理解できる。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年01月27日 23時00分
平和な江戸時代が始まったことを示す彫刻 日光東照宮の「眠り猫」
江戸幕府を開いた徳川家康が眠る、日光東照宮。家康を「東照大権現」として祀る東照宮では、極彩色のさまざまな彫刻が社殿を飾っている。寺社仏閣の建築には、装飾として縁起の良いものがモチーフとして用いられている。東照宮でも龍や象など、神道や仏教で瑞獣や神獣とされるものが多くある。しかし、中にはメッセージ性を持つ変わったものも存在するのだ。 そんな東照宮の不思議でかわいい彫刻が「眠り猫」である。眠り猫は東照宮東回廊の中ほど、家康が眠っている奥宮の参道入り口に存在するのだが、この眠り猫は人々がイメージするよりもずっと小さいのである。書籍やテレビではカメラが「寄っている」ため大きく見えるが、実際は他の彫刻に比べると埋もれてしまうほどのサイズなのだ。 そんな小さく、穏やかな彫刻が家康の墓所へと続く参道の入り口にあるのには、ちゃんとした理由があると言われている。一説には、奥宮の入り口であることを踏まえて「不浄なものは鼠(ねずみ)一匹通さない」という意味が込められているという。眠り猫は横から見ると目がちゃんと開いていて、起きていることが分かる。小さな体を丸めているように見えて、猫が獲物に飛びかかる前のように、足に力を込めているように見えるのだ。 そしてもう一つの説は、戦国の世が終わり、平和な時代が訪れたことを象徴しているという説だ。眠り猫の裏には雀の彫刻が存在する。飛びかかろうとしている猫が本当に起きているのであれば、雀は食べられてしまう位置関係だ。しかし、猫は居眠りを選んで雀と共存している。ここから、江戸時代という平穏な時代が始まったことを意味しているとされているのだ。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年01月26日 23時00分
ある人物が見つけだすのに成功していた?武田信玄の埋蔵金
今年で平成が終わるが、平成のテレビ番組で注目を集めていたものに「埋蔵金の発掘」というものがあった。1990年代から数年前まで、赤城山に隠されているとされる徳川埋蔵金を実際に発掘しよう、という企画でTBS系列の特番として放送されていた。 そこで、昔の「埋蔵金伝説」をひもといてみよう。1月20日の原稿では明智光秀の埋蔵金について紹介したが、他にも埋蔵金の伝説は数多くある。 勢力の大きな有名武将には埋蔵金伝説はつきものであった。例えば武田信玄にも埋蔵金伝説がある。武田信玄は日本で初めて金貨を造り、金脈を開発する集団「金山衆」を抱えた。この金山衆、平時は金脈を見つけるための作業に従事し、戦の際には工兵として城の石垣を崩したり、敵の井戸の水源を絶ち、敵の城内へと至る地下道を掘るなど活躍した。まさに武田軍の強さは「金」のおかげだった。 また、軍用金は甲斐の各地に隠したと言われる。有力な候補地が、現在甲州市塩山にある黒川金山だ。最盛期には1000人以上の坑夫がおり遊郭まで存在した場所で、信玄にとって重要な資金源だったところである。幕末にはこの地を旅行で訪れた夫婦が、偶然埋蔵金を発見したが、何者かに惨殺されるといった逸話も。明治の終わりには金山近くの谷で転落死した男の遺体の脇にあった荷物から金の延べ棒10本と、水に濡れて判別できない一冊のノートが発見されている。どうやら、この男は信玄の埋蔵金を発見し、一部だけ持ち出したものの、非情な最期を遂げてしまったものと推測されている。 かっての黄金の国・ジパングと呼ばれたわが国の地下には、まだまだ未知の埋蔵金が眠っているのかもしれない。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年01月20日 23時00分
「護法救民の宝」明智光秀の埋蔵金
今年で平成が終わるが、平成のテレビ番組で注目を集めていたものに「埋蔵金の発掘」というものがあった。1990年代から数年前まで、赤城山に隠されているとされる徳川埋蔵金を実際に発掘しよう、という企画。TBS系列の特番として放送されていた。発掘した規模はかなり大規模で、周囲におよそ400メートル、深さ50メートルの大穴が存在していたという。糸井重里氏が隊長を務め、調査をしている様子を覚えている人も多いのではないだろうか。 そんなわけで、当時はちょっとした「埋蔵金ブーム」が起きた。埋蔵金の伝説は日本全国にかなり存在しており、信ぴょう性の高いものから低いものまで、さまざまなものが存在している。 中でも「護法救民の宝」と言われたものが明智光秀の埋蔵金だ。財宝の名前としては不思議な呼称であるが、もともと明智光秀が仏法を信じる人道的な人物であったからこそ、この名前がついたと言われている。 一説によると、光秀が本能寺の変を起こしたのも、仏教を弾圧した信長の残酷さに幻滅したからとも言われる。死んだとされる光秀はあくまで影武者で、その後天海と名を変え、僧侶として戦で死んだ人々を弔い、家康に協力して早く平和をもたらそうとしたと言われている。一方で、比叡山焼き討ちの際 、最も僧侶を惨殺したのは光秀の軍だったという説もある。 伝奇小説での天海聖人にはダーティなイメージがつきまとい、江戸の結界を張るなど“怪僧”のイメージが強い。だが、この「護法救民の宝」伝説で天海は、仏法により民衆を救済したいという志を持った。光秀として武将時代に築いた財産や、もしくは天海として以後に得た財産を世のため人のために使おうとしたらしい。 これほど、イメージがさまざまに伝わる人物も珍しい。 また隠し場所の有力地は光秀の城であった亀山城跡、縁の寺である慈眼寺である。実際、この伝説を裏付けるような古文書が発見され、財宝を探した人物もいたらしいが、結果は失敗したらしく真相は不明である。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年01月19日 23時00分
鬼は鬼を持って封印すべし、晴明神社
平安時代、人々の生活を脅かす天災や疫病などを、恨みを残して死んだ人の「怨霊」が起こしているものとみなし、この魂を鎮めて「御霊」とすることで平穏と繁栄を願う「御霊信仰」が盛んだった。 当時は貴族たちの権力争いが盛ん。自らの権力を高めるために権謀術数を使い、密かに政敵を追い落とすことなど日常茶飯事であった。そのため、貴族たちは自身の手を汚さずに相手を消す手段として呪詛を用いようと考えたのである。 もちろん、自分と同じことを相手も考えているだろうということで、同時に呪詛から身を守る方法も考えなくてはならなかった。そこで呪詛や占術のスペシャリスト・陰陽師の助言を仰ぐようになったのである。なお、陰陽師はもともと宮中で祭祀等を行う文官の一種だった。 さて、そんな陰陽師の中にひときわ強い力を持った人物が登場する。式神を操り、占術で吉凶を判断し未来をも見通したという別格の陰陽師、安倍晴明である。彼は幼い頃から鬼が見えるなど優れた才能を持っていた。成人してからも式神による呪詛を見破るなどの活躍を見せ、惨殺された父親を生き返らせたとも言われている。 晴明が1005年に亡くなった時、一条天皇は彼を稲荷神の生まれ変わりであるとして、その屋敷跡に晴明自身を祀(まつ)る社を建立した。これが現在、京都市上京区にある晴明神社である。あまりに強大かつ特異な力を持っていたため神格化されたのだが、この神社がひとつの封印ではないかと見る説もある。 なぜならこの神社そのものが晴明の自宅であり、その近くには晴明が父を生き返らせたところもある。同時代、武士渡辺綱が鬼から変化した女性と出会った場所でもある一条戻り橋があるからだ。 もしかすると、この場所そのものが結界であり、鬼と縁の深い場所だったのかもしれない。だからこそ、霊力の強い人物が監視する必要があり、死んだ後も封印のためにこの地にとどめておく必要があったのかもしれない。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年01月13日 23時00分
正月の温泉地で足跡が確認された未確認生物『伊香保温泉獣人』
世界中で日々目撃されている未確認生物。出現し、目撃されるタイミングは時と場合を選ばない。中には正月早々に目撃されることもある。 2015年の正月には、日本で教育に従事する外国人が、体を回転させながらスカイツリーの横を上昇していく『フライングヒューマノイド』の写真撮影に成功。報道されると日本中から注目を浴びた。外国人からも人気の観光地・東京スカイツリーと未確認生物のコラボレーションは非常に興味深いものだった。 2006年に注目を集めたのは、新たな獣人型『UMA』の生存に関する報告だった。日本で確認されたのは、写真の足跡の主である『伊香保温泉獣人』だった。雪の上に残された一対の足跡は、三本指が特徴的な人とも獣ともつかない奇妙な形をしており、二足歩行をしていた可能性がある。 この写真を撮影したのは漫画家の箱ミネコ女史。2006年の正月、我が子とともに伊香保にある身内の家を訪れていたところ、雪の上に奇妙な足跡を発見。当時、地元では鳥なのか獣なのか分からない怪物が出現するという噂が流れており、その生物の足跡ではないかと推測された。東京スポーツに掲載されるとき、記者からネーミングを求められ、筆者が大好きな温泉への愛を込めて『伊香保温泉獣人』と名付けた。 この『伊香保温泉獣人』だが、2000年代初頭に伊香保近くの森林地帯で遭遇したという目撃情報もある。その人物が池のほとりを散歩していたところ、人がいたので近寄ると全身毛だらけの類人猿だったというのだ。怪物はそのまま立ち去ったが、この類人猿こそが足跡を残した『伊香保温泉獣人』と同一のものではないだろうか。 どちらにしろ、日本猿界にも人間界のように背の高い個体はいるもようだ。猿界のジャイアント馬場のような存在かもしれない。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年01月12日 23時00分
地獄にも正月休みがある 藪入りと六道珍皇寺
地獄。人が亡くなった後、生前に犯した罪が重いものが落ちるとされている世界だ。小さい頃に「嘘をつくと地獄で閻魔(えんま)様に舌を抜かれるよ」と叱られたことがある人も多いだろう。 年明けに地獄を取り上げるのも不思議に思うかもしれないが、実は正月は、地獄と縁の深い月である。1月16、17日は「藪入り」といい江戸時代、田舎から商家に出稼ぎに来ている奉公人が休みをもらい、郷里に帰省するという習慣があった。この藪入りの期間は地獄も休業状態になるという。閻魔様も地獄の亡者たちを裁き、責め、苦を与えることがなくなると言われていたため、閻魔様を祭っている寺社仏閣では藪入りに合わせて行事や縁日を開くこともあった。 地獄の概念は仏教とともに日本に伝来したもの。古代インドの民間信仰にあった死後の世界に対する概念が中国の道教と結びついた。そして日本では仏教における因果応報の考えも手伝って、人々に広く信じられていくようになった。 地獄の有名人といえば閻魔様だが、閻魔様は地獄で裁判に携わる10人の王「十王」のうちの一人である。人は亡くなって初七日を迎えると、十王の中からまず、秦広王に裁かれる。この後に三途の川を渡り、以降7日ごと、四十九日を迎えるまでに十王達の裁判を受け、最終的に六道のうちのどこに転生するか決まるのだ。 地獄で主に亡者たちに責め苦を与える極卒鬼たちであるが、彼らは特おり現世に現れることもあるとされる。平安時代の書物には現世で獄卒と遭遇した話が多数残されており、中には「実在する人物が生きていた時から地獄で働いていた」という話も残っている。 小野妹子の子孫であり、小野小町の親戚に当たる小野篁がそうだ。彼は現世でも嵯峨天皇に仕える高官であったが、夜は井戸を通って地獄に下り、閻魔様の補佐官として仕事をしていたとされている。小野篁が地獄へ行くために使った井戸は、京都の六道珍皇寺に現存している。興味のある人は参拝に行ってみてはいかがだろうか。(山口敏太郎)
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