アメリカの初代大統領にして建国の父と崇められるジョージ・ワシントンの少年時代、新しい手斧で目につく物を手当たり次第に両断しまくっていたところ、彼の父が大切にしていた桜まで切り倒してしまった。無残な木を見た父がワシントン少年を問いただしたところ、素直に悪事を認めて謝罪した。父はワシントン少年の正直さに免じて、切り倒したことを責めなかった。
細部にいくつかのバリエーションがあるものの、大筋は以上である。このエピソードはアメリカ人の琴線に触れたばかりか、正直さの美徳を伝えるものとして世界的にも広く語り継がれ、日本で出版されたワシントンの伝記にも収録されている。また、アメリカでは斧が大統領のイメージと深く結びついており、現オバマ大統領に至るまで斧を持ったイラストが描かれるのは恒例となっている。とはいえ、それは基本的に皮肉な意味であり、風刺を目的としている。
もちろん、風刺のネタになるのはワシントンと桜の木にまつわるエピソードが「創作実話」であり、歴史的な事実にもとづいていないためで、根底には正直の美徳を訴える逸話が「ウソだった」という皮肉がある。ワシントンと桜のエピソードが創作であることは19世紀末に判明しており、アメリカン・ゴシックで有名な画家のグラント・ウッドの絵画でも皮肉たっぷりに描かれている。
とはいえ、ワシントンを英雄視するアメリカ人にとってはあまりいじられたくない話でもあるようで、ウッドはワシントンと桜の絵を描いたことでかなり攻撃されたようだ。また、ワシントンの誕生日にちなむ大統領の日には、さくらんぼのパイを食べるアメリカ人も少なくないように、創作実話であってもアメリカ人の精神に根付いたエピソードといえる。
しかし、いかに建国の英雄にまつわる良い話であっても、創作実話がそれほどまでに広く深く浸透したのは、いかなる要因があったのだろうか?
その手がかりは、グラント・ウッドの絵に隠されている。絵のタイトルは「パーソン・ウィームズの寓話」で、桜を切ったワシントン少年を指差している人物こそが、ワシントンのエピソードを創作した本人、パーソン・ウィームズなのである。
(続く)