ナベアツが相方の山下しげのり(39)とジャリズムを結成したのは91年。吉本興業のお笑い養成学校NSCの10期生で、96年10月には千原兄弟、雨上がり決死隊とともに冠番組「アメジャリチハラ」を持つまでになった。97年に東京進出を目論み上京するものの、関西では視聴率のよかった同番組も東京では低空飛行だったため半年で打ち切り。さらに、若手後輩芸人の台頭もあって、コンビ間の考えにずれが生じ、98年にジャリズムは解散した。
これを機にナベアツは放送作家の道を選んだのだが、同誌は放送作家への道の険しさをこう説明している。
「1番組で20万円近くもらえる人もいますが、普通は何本もの企画書を出させられ、拘束時間も長いのに、もらえるのは1番組で4万〜5万円程度。それだってすごい競争率の仕事なんです」(放送作家)
しかしもともとダウンタウンの松本人志が芸人として評価していたナベアツだけにアッという間に売れっ子になり、「笑う犬」シリーズ、「ポンキッキーズ」「めちゃ×2イケてるッ!」「笑っていいとも!」「アメトーーク」「ワンナイR&R」といった人気番組の構成を担当するようになったという。
「作家としても爆笑問題の太田光さんや他の人気芸人も太鼓判を押す才能で、一時はレギュラーが週10本近くありました。単純計算して、週に200万円、月に800万円で、特番も入れると年収は1億円を超えていたといわれます」(テレビ局関係者)
そんな中、ナベアツが千原兄弟のコントライブに出演した際、楽屋を訪れた松本人志がナベアツに相方の山下が引退を考えていることをほのめかす。それをナベアツは「山下を引きとめろ」という意味に勝手に解釈し、山下にコンビ再結成を打診。04年に6年ぶりに復活を果たし、ナベアツは放送作家、ピン芸人と3つの顔を持つに至ったそうだ。
「コンビ再結成してからの仕事と、ピン芸人の仕事が増え、放送作家の仕事は抑えるしかなく、いまレギュラーの担当は『いいとも』と『めちゃイケ』くらい。年収は4分の1に減ったそうです」(同)
「3の倍数と3のつく数字の時だけ」といったネタも面白いが、彼の人生も相当オモローッと言えそうだ。