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ピロシキーズなどYouTubeでの活動が注目を集めていた小原はロシアとウクライナの戦争を機に、テレビなどで自身の政治的見解を大々的に話すようになった。ロシア生まれでありながらロシアを批判する姿勢も話題になったが、「あれは侵攻が始まった当日にYouTubeに自分の思いをアップしたら反響があって、その後メディアの方に声を掛けられるようになって出だしたんです」と振り返る。
小原は「その時点では、すごく発信したい意思を持って話していたわけではなくて、朝からSNSでじゃんじゃん『ブラスはどう思ってるんだ』って来るので、他のロシア人も同じだろうなって、ロシア人だからみんなあの侵攻を肯定する立場ではないというのを僕が発信しておかないと、どうなるんやろって考えた時に、自分が声を上げると他のロシア人も声を上げやすくなるんじゃないかって思ったんです」と声を上げた動機を説明する。
同じロシア人からは「裏切り者」と言われることもあったと言い、「西側諸国からはプロパガンダとされていることではあるんですけど、彼らからするとドンバスで今までどれくらいの人が殺されてきたんだっていうのがあるんです。ドンバスで亡くなった人に対してどう思っているんだって。でも、それ以外の人からは『必ずしも目の前の人全てが国を背負っているわけではない』というのをわかってもらえて、あれで少しは世論が優しくなった気がすると肯定的な意見ももらえた」と声を上げた成果を述べる。
中には「お金のためにやっている」と批判して来る人もいたと言うが、「何を言っても、どこかしらから批判が来る世の中だなというのを一年くらい掛けて気付けた」とも話す小原は、現在は逆にロシア問題に関して、言論をメディアで話すことを控えているとも明かす。「今、実はそんなに取材を受けていないです。距離を取ってるのかな。自分が思ってることとか本心で感じてることは言ってはいけないこともあるんです。僕は実際の現場を見ていないし、日本から発信しているから、侵攻を批判しなければという心情はあるけど、他の細かい状況に関しては見てないし、わからない。それを無理に言って、大げさに脚色されて発信されるというのは僕は違うと思うようになった」としみじみと話す。
小原は「最初はメディアに出て言わないと勘違いされるって頑張っていたけど、今はそのタイミングは過ぎたと思っています。わからんことは無責任に発信したらあかんなって。間違った情報だったりすると、それで傷つく人も出るんです。それって怖いことでしょ」と述べ、「ロシアの人と話した時に『なんで戦争するんやろ』って聞いたら、『未来の平和のために戦わざるを得ない』っていう人がいたんです。第二次大戦後は(抑止として)核兵器に平和を頼ってきた現実もあるんです。核兵器がなくなったら戦争をする国がたくさん出て来るかもしれない。
平和を追い求めれば求めるほど戦争につながってしまう。平和は綺麗ごとや完全なものを追い求めすぎると戦わなくならないといけないということを、一人一人が認識しないといけない」とも呼び掛けていた。
(取材・文:名鹿祥史)