ミステリー
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ミステリー 2012年01月28日 17時59分
天狗だらけのパワースポット!? 鎌倉・建長寺の半僧坊
古都・鎌倉でも有名な観光地の建長寺。鎌倉五山の第一位でもある、長い歴史のある禅宗の寺院だ(臨済宗建長寺派大本山)。 昨今のパワースポットブームを受けてか、日曜祝日になるとより多くの人が参詣するようになった建長寺だが、その後ろにそびえる勝上ヶ岳の中腹に少し変わったパワースポットがある事はご存じだろうか。建長寺一山の鎮守を司る、半僧坊大権現だ。ここに祀られている“半僧坊”は、実は天狗とされているのである。 半僧坊は一風変わった人物で、後醍醐天皇の子であり、出家して臨済宗の僧となった無文元選禅師の従者であったとされている。彼は元選禅師の元を突然訪れて弟子入りし、以後長年にわたって従者を務めた。死後も墓守を務めるなど生涯彼に仕えた。彼が亡くなった時、方広寺は彼の志を汲んで禅師の墓の傍らに埋葬したと言う。しかし、彼は仏門の弟子ではなく半僧半俗であったため、彼の墓は半僧の墓と呼ばれるようになった。また、一説には弟子入りした頃から既に白髪頭の老人であったという話や、非常に強い神通力を持っていたという話もあり、いつしか彼は山を守る半僧坊という天狗として祀られるようになったのだという。 無紋元選禅師は後に静岡県浜松市にある方広寺を創建した人物でもあり、半僧坊はここの鎮守であった。それが明治22年に建長寺に勧請され、以降はこちらの方が本家に勝る人気を得る程になっているのである。 建長寺の裏から案内板通りに順路を辿っていくと、半僧坊の堂が見えてくる。もっとも、初めて来た人は最後の石段がある岩壁にずらりと並んで立つ大小様々な天狗像を見て驚くだろう。階段の左右に鼻高天狗に烏天狗、岩壁にはそれぞれ色々なポーズをとる小さな烏天狗が並んで、今も参拝者ににらみを利かせている。(写真は鎌倉半僧坊絵姿/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月25日 15時30分
山口敏太郎事務所に、MIB現る!?
ごく最近の話である。作家であり、オカルト研究家でもある山口敏太郎の事務所に、頻繁に不審車両が停まるようになった。それとほぼ時を同じくして、事務所の郵便受けに「“山口敏太郎のオカルト黙示録”や電子書籍の配信を止めるように」と妙な文言の書かれた手紙が届くようになったのである。夜中に無言電話や、「UFOの真実に触れるな」と言うような怪しげなメールも届いていた…が、オカルト研究家をやっていると、こういったイタズラで興味を惹こうとする人は多いもので、こちらとしても事務所スタッフ共々「ああ、またか」と言って流していたのである。 それにしても最近はイタズラの頻度が高い、等と思っていた所、深夜に郵便受けを覗く怪しい男をスタッフが発見。その人物は、全身黒づくめの服装でサングラスをかけており、スタッフに気づくときびすを返してそこから立ち去ろうとした。この時は車は止まって居らず、男はそのまま足早に住宅地の方に逃げようとしたのである。その男はまるで機械仕掛けの人形のようなひょこひょこした奇妙な動きでぎこちなく歩いていた。 すわ不法侵入者か、そうでなくても不審者だと、スタッフと山口敏太郎が追いかけたものの、数メートル先の丁字路を折れた所で、姿は消え失せてしまった。 ハリウッド映画『MIB』の題材にも使われていたこの“黒い男達(Men in Black)”は主にアメリカなどで報告される、「UFOや宇宙人を目撃した人々の元に現れて、警告を発して去っていく」とされる奇妙な人物のことである。見た目はスーツを着込んだ黒づくめの男達なのだが、奇妙な言葉を操ったり、非人間的な動きをしてみせることもあるという。 まさかこの人物がMIBだと言うわけではないが、不気味この上ない事件であった。MIBにまつわる都市伝説は、このような体験や目撃談から生まれたと言えるのかもしれない。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月23日 15時30分
滋賀県甲賀地方の妖怪と不思議話「鏡岩の鬼」
東海道の鈴鹿峠は、昔から難所の1つであったが、平安時代には「阿須波道」と呼ばれる官道となっていた。しかし、欝蒼とした林が覆って、昼間でも薄暗い場所であった。やがて、鈴鹿山には鬼とその娘の鬼女「立鳥帽子姫」が棲みつくようになった。鬼の母子が住んでいる近くには大きな岩があり、その岩を二人は朝晩毎日磨きあげ、鏡のようにしていた。そして鬼の母子は、岩に映る旅人や村人の姿を見るたびに、峠で待ち伏せし金品を取り上げては苦しめていた。母子は「鏡岩の鬼」とに呼ばれ、人々に恐れられていた。 この噂を聞きつけたのは、武将の坂上田村麻呂(758〜811)であった。田村麻呂は平安時代初期の武将で、蝦夷征伐に大きな功績を残した。また、征夷大将軍であり、模範的な武将として、民衆に支持を得ていた。 田村麻呂が軍勢を率いて、鈴鹿の峠の近くの辺りまでやって来た時、鏡岩に映った田村麻呂の軍勢を見た鬼の母子は、何千もの鬼に分裂して襲いかかった。田村麻呂は少しも恐れることなく、その場に座り必死に祈った。すると突然、千手観音様が現れて光りを出しながら、千の手の一つ一つに弓をもち、鬼目がけて一度に矢を打ち放った。果たせるかな、何千もの鬼に全ての矢が当り、鬼は残らず倒されてしまった。 鬼の母子はこれでは敵わないと分かって諦め、今までやってきた悪事を悔い改め「二度としません、命だけは助けてください。」と請い、鈴鹿の峠から去っていったという。 それ以後、坂上田村麻呂の鬼退治の成功を記念して、滋賀県甲賀郡土山町に田村神社が建立された。田村麻呂が鬼を仕留めたとされる2月18日前後には「厄除大祭」が開催されるように。また、現在、鏡岩は、「鬼の姿見」とも呼ばれ、三重県の天然記念物に指定されている。(写真:「田村神社」滋賀県甲賀市土山町)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月21日 17時59分
因縁の地の生首地蔵「道了堂」
東京都八王子市、大塚山公園内にある道了堂跡はかつて東京・多摩郡から横浜港への街道として栄えた“絹の道”沿いに建ち、人々の信仰を集めていたお堂の跡である。 『道了』とは曹洞宗の修験層、妙覚道了の事であり、道了尊、道了大権現などとも呼ばれる。彼は怪力の持ち主で、神奈川県南足柄市にある最乗寺の建立に助力。師の没後は寺門守護と衆生救済を誓って天狗となったと伝えられ、最乗寺の守護神として祀られている。民間信仰としてかなり人気のあった神様らしく、この地に道了堂が出来たのは明治7年、鑓水商人が浅草花川戸より勧請されたことが始まりだという。かつては絹の道の中継点として栄えたものの、鉄道の開通により街道が衰退してゆき、昭和58年には解体されて今の土台のみが残る状況となっている。 本来なら歴史的・文化的にも注目されるべき道了堂だが、現在では残念ながら心霊スポットとしての側面が強くなってしまっている。道了堂付近では堂が解体される前に何件かの痛ましい事件が起こっており、その事件の「被害者の霊が今もさ迷っている」との噂も流れている。特に、公園内の首無し地蔵は「触ると祟りがある」と言われ、稲川淳二の怪談によってさらにその認知度は全国に広がった。 付近には街灯がなく、治安の関係もあってこの近辺に住む人は「夜の道了堂には絶対近づいてはいけない」と特に子供に言い聞かせているという。事実、八王子に実家のある事務所スタッフ(今回の写真提供者でもある)も「幼い頃からそう言われて育ったので、今回が初めての来訪だった」と語る。昼間の道了堂跡近辺は自然が豊かで「晴れた日は散策に良いかもしれない」との印象を受けたそうだ。しかし、近年になってちゃんと修復され、首の着けられた『首無し地蔵』には違和感を感じたという。それは、単純に体と頭で年期の入り方に違いがあることからくる物だけではなかったそうだ。そして、彼は更に異様な物を発見する事になる。 それは、今までの『首無し地蔵』とは全く逆の『生首地蔵』とも言うべき物。側には「地震の影響で一部倒壊しておりますが、余震の影響等がありますので、復旧まで時間がかかります。しばらくの間ご迷惑をおかけします」との注意書きの文章があった。 「震災直後なら解らなくもないですが、そろそろ直しても良いはず。何もあんな風にさらし首のままにしなくても…。それに、しばらくの間『ご迷惑』って、どういう『迷惑』何でしょうか…?」 彼は、写真を見ながら首を傾げていた。(写真提供:穂積昭雪/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月18日 15時30分
繰り返されなかった悲劇
1912年4月10日。イギリスのサウサンプトン港からニューヨークへ処女航海に出航した豪華客船は、14日深夜に氷山と衝突、沈没した。タイタニック号の悲劇である。 それから、23年の時を経た1935年4月。イギリスからカナダに向け航行中の貨物船があった。船上で見張りに立つ水夫ウイリアム・リーブスは、この時、タイタニック号の事故に思いを馳せていた。すると、穏やかだった海が様相を変え始め、やがて視界が効かなくなった。タイタニック号が氷山と衝突した夜のように。奇しくも見張りが終わる時間は、タイタニック号が氷山と衝突した時刻。そして日時が1912年4月14日。それはリーブスの生年月日でもあった。 卒然として襲われた恐怖に、リーブスは警報を鳴らした。エンジンは全速後進、逆回転を始めたスクリューは海水を撹乱させ、貨物船は停止した。数メートル前方には、そびえ立つ巨大な氷山が迫り、周囲に目をやると、無数の氷山がひしめいていた。それが、如何に危険な状況だったかは、救援の砕氷船が海路を切り開くのに要した日数が9日だったことから窺える。 シンクロニシティがもたらせた幸運だろうか。貨物船の名は「タイタニアン号」。更に、タイタニック号の事故を予言した小説と話題になった、モーガン・ロバートソンの小説に出てくる船の名は「タイタン号」。シンクロニシティは連鎖している。(七海かりん/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月16日 15時30分
静岡県御前崎市桜ヶ池「龍神伝説の石」
静岡県御前崎市佐倉にある桜ヶ池は、三方を屏風のように原生林に囲まれた所にあり、池は深い緑色の水を湛え、2万平方メートルもの広さがある。今から約2万年ほど前、地殻の変動により形成された丘陵の谷が風や波によって運ばれた砂によってせき止められて出来た堰止湖だ。そんな桜ヶ池には「龍神伝説」が伝わっている。 平安末期の12世紀頃、比叡山の名僧皇円阿闍梨が、「末法思想に悩む一般大衆を救済するには56億7千万年後の弥勒菩薩の出現を待つほかなし」として自ら龍と化し桜ヶ池に入定され、その後高の弟法然上人が恩師の供養をされたという。この「龍神伝説」にまつわる不思議な石が、花園村(現在の愛知県豊田市花園町)に住んでいた酒造りで有名な寺田伝兵衛の家に伝わっている。 2代目の寺田伝兵衛という人物は大変な癇癪持ちで、何か気に入らないことがあると怒ってばかりいた。時には妻にも手を上げることもあり、家人も困っていた。しかし、そんな時もどうすることも出来ず、ジッと我慢する他なかった。ところが、優しい妻も若くして亡くなってしまった。伝兵衛は嘆き悲しみ、今までの自分の行いを深く反省した。 明和2(1765)年3月2日、心を入れ替えた伝兵衛は妻の追善のために巡礼の旅に出た。『二十四輩巡り』といって、親鸞聖人の遺跡24ヶ所巡るというものである。大変な旅であったが、伝兵衛は一か所づつ一心不乱にお参りし、その確認として巻物に印を押してもらい、旅を続けていた。 遠州(静岡県)に辿り着いた時、龍神伝説で有名な桜ヶ池に立ち寄った。この池の畔で石を拾い、旅の記念に持ち帰ることにした。そして、同年8月17日、半年近くも掛かった巡礼の旅は終わった。 家に戻った伝兵衛は巻物を仏壇に備えて、桜ヶ池で拾った石も汚れを落とそうと取り出した。そして水をかけたところ、石には見る見るうちに「南無阿弥陀仏」という文字が浮かび上がってきた。伝兵衛は、石を何度も手を合わせて拝み、家宝として大切に保管したという。 それ以後、毎年、正月とお盆になると、寺田家ではこの石と巻物が飾られるようになったのだそうだ。(写真:「寺田伝兵衛屋敷跡地」愛知県豊田市花園町)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月14日 17時59分
アンコール・ワットのレリーフは恐竜と人間が共存していた証拠なのか!?
かつて地上を闊歩し、約6500年前の白亜紀末期に絶滅したとされている恐竜。隕石の衝突や気候の変動など、何らかの要因で絶滅に至ったとされる。 しかし、実は恐竜は絶滅を免れており、一時期は人類と共存していた。そして、今でも細々と生き残っている…という説がある。例えばメキシコはアカンバロの恐竜そっくりの土偶や、恐竜と人間の姿が共に描かれているカブレラストーンなど、共存していた証拠とされる遺物が多く出土されている。 そして、今回紹介するのがカンボジアの世界遺産、アンコール遺跡の『恐竜のレリーフ』だ。 カンボジアのアンコール遺跡は、9世紀から11世紀頃にかけて建設されたクメール王朝の建築群である。代表的な寺院遺跡であるアンコール・ワット、城塞都市の遺跡であるアンコール・トムなど複数の建築群から成る大規模な遺跡群だ。このアンコール遺跡東部に、タ・プロームという寺院の遺跡がある。仏塔に大きな顔が彫られた観世音菩薩像や、遺跡に根を張るガジュマル群といった自然と文化が渾然一体となった景観が魅力的な遺跡である。この独特の景観はアンコール遺跡の中でも特に異彩を放つものであり、映画『トゥーム・レイダー』の撮影が行われたりもした。 このタ・プロームにある門の一箇所に、奇妙な動物が彫られているのだ。四つ足で歩き、背中に花びらのような背ビレを生やした奇妙な生物…どこからどう見ても中生代に生きていたステゴサウルスとしか思えないシルエットなのだ。しかし、タ・プロームが建立されたのは12世紀頃。恐竜が絶滅したとされる時期からは大きく隔たっている。このレリーフをして、「実は恐竜はジャングルの中で生きており、人間と共存していたのだ!」とする説がある、のだが…。 実際に現地へ赴き、実物を見て写真に納めた山口敏太郎氏は「恐らく、サイなどの動物をデフォルメして彫ったものではないか」とみている。実際、よく見るとサイ独特の鎧のような皺ににた彫り込みがされているのも解る。 とは言え、当時の人が実際に何をモチーフにしてこのようなレリーフを作ったのかは解らない。もしかしたら既に絶滅してしまった動物かもしれないし、架空の、全く空想の生き物を彫り込んだのかもしれない。果たして、このレリーフの正体は何なのだろうか?(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月11日 15時30分
木の上の焼死体
日常で遭遇する、小さな驚きをもたらす偶然。それは、時に人を酷く動揺させ死へと追い詰める。 1980年頃のアメリカ。消防士たちの決死の消火活動により鎮火した森林火災は、アメリカでは珍しくない森林火災の一つとして、すぐに忘れられる筈だった。しかし、焼け跡から発見された一体の焼死体が人々の関心を誘った。木の上、それも、とても人が登れないような高い木の上で発見され、更には傍にシュノーケルの付いたゴーグルがあったことからダイバーらしいということで、ちょっとした騒ぎとなった。 さて、翌日。消火活動の一端を担った一人の男が自殺した。言わばヒーローとも言うべき男が何故…。 森林火災が起きる2日前のこと。男はカジノでブラックジャックに高じていた。だが、大負けした男はディーラーに殴り掛かった。森林火災発生の際、男にこのことを思い留め置く余裕はなかっただろう。あったところで運命が変わろうはずはないが。 男はセスナ機の操縦士だった。消防当局から要請を受けた男は、すぐさま湖へと向かうと湖水を汲み上げ、燃え盛る炎目がけ散布した。同じ時、ダイビングを趣味とするディーラーは湖で潜水中、突然強い力で引きずられ宙を舞った。そして、その強い力から解放されるや、炎の中へと落ちて行った。 男がセスナでディーラーを引っ掛けたのは偶然である。だが、森林を焼き尽くそうとする炎を鎮めたヒーローも、己の罪悪感を鎮めることは出来ず、頭に当てた銃の引き金を引いた。 (七海かりん/山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月09日 15時30分
踊る薬師如来と薬師堂裸まつり
新しい年の始まりに合わせて、正月にちなんだ不思議な話と、それにまつわる風習を紹介しよう。 鎌倉時代の話である。破塚の里(現在の滋賀県東近江市辺町)の村長の3歳になる一人息子が高熱で寝込んでしまった。正月8日の深夜、息子は体を硬直させ、白目をむいて意識を失ってしまった。「このままでは死んでしまう。これは仏様にお願いするしかない」と、村長は着物を脱ぎ捨て井戸水を頭から浴びると、裸のまま法徳寺の薬師堂に駆け込んだ。破塚の里は雪が多いので、冬の木枯らし吹く夜半に雨戸がカタコトと音を立てる頃、「早く寝ないと「雪んこ」が連れて行くよ」と、子供をさとしていたほどだ。寒い中、彼が1時間程願掛けをして家に戻ると、息子は何事も無かったように眠っていた。翌日、村長はお薬師様に感謝して、木の枝に餅をつけた繭玉を薬師堂に奉納した。これが正月八日に薬師堂で「チョチセイ(頂礼)、チョチセイ(頂礼)」と繰り返し唱えながら、天井高くつるした繭玉の争奪するという「薬師堂裸まつり」の起源である。 さてある年のこと。正月から雪が降り始め、8日の「裸まつり」の当日には猛吹雪で積雪量も家の軒下までも雪が積もるほどになっていた。夕方になると吹雪は益々激しくなり、一寸先も見えず、何処に道があるのかもわからない。村人は外出もせず、雪の止むのをジッと待つしかなかった。その日は薬師堂に参拝する者も無かったが、まつりの係の者だけが、薬師堂に数人集まっていた。皆、吹雪が止むのを待っていたが、あまりの荒れように「今年の護摩供養と裸まつりは中止だ」と決まり、帰り支度を始めた。すると、誰もいるはずのない薬師堂の中から太鼓の音と賑やかに踊り回る声がする。村人はコッソリとお堂に忍び寄り、扉の隙間から中を覗いた。すると、薬師堂の中では薬師如来像と四天王、十二神将らが踊っているのが見えた。「このお寺のお薬師様は踊りがすきなのか?」と、村人は驚いた。そして、お薬師様は自分達のために子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣、家内安全、息災延命を願って、一人でも踊っているという事に思い至ったのだ。「これでは、お薬師様に申し訳ない」と、村人達は考え、それ以来「薬師堂裸まつり」はどんなことがあっても中断しない、という決まりになった。この冬の裸祭りの風習は、現代もなお続いている。(写真:「法徳寺・薬師堂」)(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2012年01月07日 17時59分
湖畔に建つ廃ホテル 神奈川の心霊スポット・相模湖
神奈川県相模原市にある相模湖。多くのボートが浮かび、都会からも比較的楽に来る事の出来る景勝地のここは、実は神奈川県内の知る人ぞ知る心霊スポットだ。 何度か相模湖畔へ出向いた経験のある弊社所属ライターの言によると、確かにここは一種異様な雰囲気を放っているように感じたという。 相模湖で特に有名なのは、この湖畔に建つリゾートホテルだ。かつては地上5階、地下2階と湖畔を見下ろす形で立派な姿を見せていたのだそうだが、諸事情により地上部分は現在は解体されてしまっている。地上部分があった頃は窓から湖を見下ろす幽霊らしき人影が見える事もあったそうだ。 かつてはホテル内にオーナーの幽霊や女性の霊が「出る」と噂されていたのだが、今は現存する地下スペース(従業員用の更衣室を示すプレートやエレベーター、地下駐車場の名残があった)に移動している、との噂もまことしやかに囁かれている。なお、この廃ホテルは地下部分しかないとは言え、かなり老朽化が進んでいる。面白半分で行くと、怪我をする危険性も高いので注意が必要だ。 今でこそ基礎しか残っていないとは言え、廃ホテルがあった当時は美しい湖畔にそぐわぬ一種独特の雰囲気を放っていたという。観光客や行楽客の目にはかなり異様な光景に見えたことだろう。また相模湖にはかつて悲惨な水難事故が起きた記録もあり、この2つの要因が故に心霊スポットと呼ばれるようになったのでは、と見られている。 そんな相模湖では、すぐ近くのさがみ湖リゾートプレジャーフォレストにて現在関東最大級の規模の冬期イルミネーション『さがみ湖イルミリオン』も行われている。新宿からの直通高速バスも出ており、今年の4月8日まで行われる。心霊スポットで震えた後は、ここで癒されて帰るのもまた一興、かもしれない?(写真提供:穂積昭雪/山口敏太郎事務所)
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