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滋賀県甲賀地方の妖怪と不思議話「鏡岩の鬼」

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画像はイメージです。

 東海道の鈴鹿峠は、昔から難所の1つであったが、平安時代には「阿須波道」と呼ばれる官道となっていた。しかし、欝蒼とした林が覆って、昼間でも薄暗い場所であった。やがて、鈴鹿山には鬼とその娘の鬼女「立鳥帽子姫」が棲みつくようになった。鬼の母子が住んでいる近くには大きな岩があり、その岩を二人は朝晩毎日磨きあげ、鏡のようにしていた。そして鬼の母子は、岩に映る旅人や村人の姿を見るたびに、峠で待ち伏せし金品を取り上げては苦しめていた。母子は「鏡岩の鬼」とに呼ばれ、人々に恐れられていた。

 この噂を聞きつけたのは、武将の坂上田村麻呂(758〜811)であった。田村麻呂は平安時代初期の武将で、蝦夷征伐に大きな功績を残した。また、征夷大将軍であり、模範的な武将として、民衆に支持を得ていた。

 田村麻呂が軍勢を率いて、鈴鹿の峠の近くの辺りまでやって来た時、鏡岩に映った田村麻呂の軍勢を見た鬼の母子は、何千もの鬼に分裂して襲いかかった。田村麻呂は少しも恐れることなく、その場に座り必死に祈った。すると突然、千手観音様が現れて光りを出しながら、千の手の一つ一つに弓をもち、鬼目がけて一度に矢を打ち放った。果たせるかな、何千もの鬼に全ての矢が当り、鬼は残らず倒されてしまった。

 鬼の母子はこれでは敵わないと分かって諦め、今までやってきた悪事を悔い改め「二度としません、命だけは助けてください。」と請い、鈴鹿の峠から去っていったという。

 それ以後、坂上田村麻呂の鬼退治の成功を記念して、滋賀県甲賀郡土山町に田村神社が建立された。田村麻呂が鬼を仕留めたとされる2月18日前後には「厄除大祭」が開催されるように。また、現在、鏡岩は、「鬼の姿見」とも呼ばれ、三重県の天然記念物に指定されている。

(写真:「田村神社」滋賀県甲賀市土山町)
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)

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