鎌倉時代の話である。破塚の里(現在の滋賀県東近江市辺町)の村長の3歳になる一人息子が高熱で寝込んでしまった。正月8日の深夜、息子は体を硬直させ、白目をむいて意識を失ってしまった。「このままでは死んでしまう。これは仏様にお願いするしかない」と、村長は着物を脱ぎ捨て井戸水を頭から浴びると、裸のまま法徳寺の薬師堂に駆け込んだ。破塚の里は雪が多いので、冬の木枯らし吹く夜半に雨戸がカタコトと音を立てる頃、「早く寝ないと「雪んこ」が連れて行くよ」と、子供をさとしていたほどだ。寒い中、彼が1時間程願掛けをして家に戻ると、息子は何事も無かったように眠っていた。翌日、村長はお薬師様に感謝して、木の枝に餅をつけた繭玉を薬師堂に奉納した。これが正月八日に薬師堂で「チョチセイ(頂礼)、チョチセイ(頂礼)」と繰り返し唱えながら、天井高くつるした繭玉の争奪するという「薬師堂裸まつり」の起源である。
さてある年のこと。正月から雪が降り始め、8日の「裸まつり」の当日には猛吹雪で積雪量も家の軒下までも雪が積もるほどになっていた。夕方になると吹雪は益々激しくなり、一寸先も見えず、何処に道があるのかもわからない。村人は外出もせず、雪の止むのをジッと待つしかなかった。その日は薬師堂に参拝する者も無かったが、まつりの係の者だけが、薬師堂に数人集まっていた。皆、吹雪が止むのを待っていたが、あまりの荒れように「今年の護摩供養と裸まつりは中止だ」と決まり、帰り支度を始めた。すると、誰もいるはずのない薬師堂の中から太鼓の音と賑やかに踊り回る声がする。村人はコッソリとお堂に忍び寄り、扉の隙間から中を覗いた。すると、薬師堂の中では薬師如来像と四天王、十二神将らが踊っているのが見えた。「このお寺のお薬師様は踊りがすきなのか?」と、村人は驚いた。そして、お薬師様は自分達のために子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣、家内安全、息災延命を願って、一人でも踊っているという事に思い至ったのだ。「これでは、お薬師様に申し訳ない」と、村人達は考え、それ以来「薬師堂裸まつり」はどんなことがあっても中断しない、という決まりになった。この冬の裸祭りの風習は、現代もなお続いている。
(写真:「法徳寺・薬師堂」)
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)