江戸時代前期、讃岐は丸亀藩初代藩主である山崎家治は、築城途中の城を視察に訪れた。敵の侵入を防ぐための堀、高い石垣等を確認していった家治は、石垣作りの名人と定評のある羽坂重三郎の手による高い石垣に関心を示した。これほど高い石垣を登る者などいないだろう。ところが、満足気な家治の前で重三郎は継ぎ目の隙間に鉄の棒を差し込み、その高い石垣を上まで登って見せた。自分が計算して組み上げた石垣である。継ぎ目も石も熟知しているのだ。
数日後の深夜。寝ている重三郎のもとへ、家治の使者がやって来た。城に侵入した曲者を探しているが見つからず、残る場所は井戸だが深くて誰も入れないという。家治に頼りにされていると思った重三郎は、すぐさま城へ行き、井戸の中へと降りて行った。ところが、底まで辿り着いたとたん、次々と大きな石を投げつけられ、避ける術も無い重三郎は、状況もわからないまま激突死してしまった。石垣をことも無く登る重三郎が、もし敵方についたらと杞憂した、家治の策略だった。
しばらくした頃、重三郎に向けて投げつけた石によって干上がっている井戸で、水音を聞いた者や、青白い炎を見た者が続出するようになった。井戸に近づく者はいなくなり、家治にとっても恐怖の日々が続いていた。ある夜、人の気配に目を覚ました家治を血まみれの重三郎が、上から覗き込んでいた。驚愕のあまり取り乱す家治に、自分が殺されたことさえ気付いていない重三郎は、律儀に井戸の中に曲者は潜んでいないことを、報告したのである。
七海かりん(山口敏太郎事務所)
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