91年10月、マイナー色を払しょくできないテレ東が、深夜にひっそり開始したエロ番組。のちに、多くの人気タレントを輩出した。
たとえば、MCを務めた故・飯島愛さんは、セクシー女優から転身直後、同番組に抜てき。「ギルガメッシュ!」とジェスチャーつきで言うのは、ひそかなブームになった。やがて、“Tバックの女王”としてブレイク。以降は、“元アダルト女優”の黒歴史を完全に封印した。私小説『プラトニックセックス』は100万部を超える大ベストセラーになり、引く手あまただったが、芸能界引退後の08年、自室で孤独死を遂げた。
なぜか、“成仏”されないギルガメ出身タレントは多い。“巨乳の女神”として一世風靡した細川ふみえも、そのひとりだ。
グラビアの世界からバラエティ番組に進出した細川は、レギュラー番組で出会ったビートたけしの愛人に…というウワサも。07年、不動産会社経営の男性と重婚疑惑がささやかれるなかデキ婚したが、夫の経営する会社が倒産して、スピード離婚。負債者からの取り立てなどに悩まされたうえに、無収入でシングルマザー。昨年、芸能界復帰をはたしたが、前途は多難だ。ちなみに、愛称「ふーみん」は、“ギルガメ”から誕生した。
事務所社長との係争が表沙汰になったさとう珠緒も、“ギルガメ”出身。番組終了後の12年、当時所属していた事務所の女社長が新規事業に失敗して、資金繰りが悪化。さとうは「無収入」を激白したが、社長は、美容クリニックと結んだ契約を頓挫したさとうに非があるとして、今なお係争中だ。
先の細川、さとうともに、失速後はアダルト業界から出演オファーが殺到。「元芸能人」枠で、高額ギャラを提示されたという。
反して、“ギルガメ”史上最大の勝ち組は、Mr.Children・桜井和寿の正妻に収まった、元ギリギリガールズ・吉野美佳。出会った当初、桜井には所属するレコード会社・TOY'S FACTORYの社員だった妻と、そのあいだに愛娘がいた。ところが、吉野の毒牙にかかって、不倫関係に。桜井は正妻を捨てて、吉野と再婚した。
そんな吉野ほどではないものの、メガネをかけたAV女優の先駆けとして唯一無二の存在だった野坂なつみも、勝ち組だ。93年にひっそりと番組を卒業した野坂は、アダルトの世界とも別れを告げて、ギタリストの野村義男と結婚した。野村は、元ジャニーズアイドル・たのきんトリオの一員。田原俊彦、近藤真彦に比べると、大きく水をあけられたが、今では国内外からお呼びがかかる名ギタリストだ。
野坂が“ギルガメ”で人気を博したのは、なぎら健壱とのコーナー「夜食バンザイ」。のちに、同じく人気アダルト女優の憂木瞳がその後を継いだが、これが俗にいう“裸にエプロン”。発祥は、野坂だったのだ。放映時間が深夜帯で、ちょうど小腹がすくころ。そこで発案されたのが、クッキングタイム。全裸にピンク色のエプロンをかけるだけという、メイド風ウェイトレスのスタイルがウケた。当時、前掛けをめくった飯島が、「ほんとに何もはいてない!」と驚愕したことがある。
ほかにも、「乳リンピック」という、下劣極まりない競技もあった。これは、エントリーメンバー全員がパンティ1枚だけ。競技場となるプールに姿を現わした瞬間から、おっぱい全開。カップ数、乳首の面積まで明かしてくれる。やることは、飛びこみ代からそのまま降りるだけ。いかに、おっぱいが揺れるかだけを鑑賞する、ハレンチ企画だった。
同番組における温泉レポートは、基本、おっぱい丸出し。タオルを巻いて、貞淑に入浴なんていう世界とは、無縁だ。こんなことが許されていた、平成初期の地上波。のちに、倫理にかけられたことは言うまでもないが、開始から6年半は、エロを称え、エロを追求し、エロで日本が明るくなると、信じてやまなかった“ギルガメ”。今では30代、40代になった男性諸君の、若きころの下半身を文字通りワシづかみにしていたに違いない。
(毎週木曜日に掲載)