本作は1985年から絶え間なくシリーズ出版が続き、累計発行部数は2,000万部を突破。
かつての“七日間戦争”から30年ほどの時が流れた2020年の北海道が舞台で、原作のスピリットを受け継いだ新たなストーリーがアニメーション映像によって展開されている。
宮沢は、同映画で日本アカデミー賞新人賞を受賞。一躍脚光を浴び、1987年のCM『三井のリハウス』の初代リハウスガールを務めて注目を集め、一世を風靡した。
1989年に『ふんどしカレンダー』を発売し、91年発売のヘアヌード写真集『Santa Fe』(朝日出版社)で世間を騒然とさせた。また、当時マネージャーを務めていた実母(通称りえママ)とは、“一卵性親子”とも言われ、その手腕は大きな話題にもなった。
そして1992年11月、当時の関脇・貴花田(花田光司氏)と婚約し、2ショットで会見。“世紀の結婚”と注目されたが、93年1月に破局を迎えた。
急転直下の展開に世間は困惑したが、1994年9月には歌舞伎俳優の故・中村勘三郎さん(当時・勘九郎)との“不倫報道”で世間を騒がせたのだ。
当時、泥酔した宮沢が京都のホテルで左手首を切り、“自殺未遂”と騒がれた事件があった。宮沢側は、「泥酔し、持っていたグラスで手首を切った」と釈明。だがほどなくして、事件の直前に既婚者である勘三郎さんが宮沢と飲んでいたことが明らかになり、不倫報道へと発展したのだ。
同月、勘三郎さんは記者会見を開き、声を荒げながら不倫を悲観した自殺未遂説を否定した。
「勘三郎さんは、約3分間、怒りの表情で一気にまくしたてた後、事件直前の宮沢の様子を明かしました。事件前日に夕食の約束をした2人でしたが、宮沢の二日酔いでキャンセルを食らい、勘三郎さんはホテルで就寝。すると、深夜に宮沢から泥酔状態の電話で呼び出されたそうです。勘三郎さんは、東宝の宣伝マンとタクシーで“りえママ”が滞在するホテルに送り届け、そのときは陽気な感じだったと説明していました」(芸能ライター)
そして明け方、ホテルの従業員が宮沢の部屋に踏み込むと、鮮血で真っ赤に染まった床と、腕にタオルを巻いて横たわる宮沢の姿を目にしたという。
事件後に連絡を取った勘三郎さんは、そもそも泥酔状態になった原因とされた、りえママとのケンカについて「ただの親子ゲンカでしょ」と一笑したという。
「当時、勘三郎さんとの交際が噂されていたタレント・牧瀬里穂が自殺未遂の直接的な原因なのではと報じられていました。会見では、『牧瀬里穂との三角関係に悩んで切ったと書いてたところがあるけど、じゃ、それしゃべった歌舞伎の大物ってダレなの?連れてきてよ!不倫?してないよ』と宮沢との不倫を否定していました」(前出・同)
婚約解消や自殺未遂、さらには拒食症の噂など芸能マスコミから格好の餌食にされた宮沢は、やがて心身ともに衰弱。米・サンディエゴへの移住を発表し、一時期は芸能活動休止状態となった。
その後、病は徐々に回復したとされ、2002年公開の映画『たそがれ清兵衛』での演技が高く評価され、以降は女優としての地位を築き上げた。
私生活では、2009年4月にハワイ在住の日本人実業家と“できちゃった婚”を発表。同年5月に女児を出産したものの、16年3月に離婚が成立。18年3月にV6の森田剛と再婚に至った。
連日、マスコミに追われた宮沢だったが、それはそれだけ人気を博していた証拠である。現在もその人気は衰えず、夫とともに息をつく暇もないようだ。だが、これらの苦い経験が大女優に上り詰める糧になったのではないのだろうか。