かつて球界の“番長”と呼ばれた清原氏は先月30日、都内で行われた「ワールドトライアウト2019」の開催記者会見に出席。「トライアウト監督」への就任が正式発表され、大きな話題となった。
清原氏というと、強豪校で知られる大阪・PL学園出身。ドラフト1位指名を受けて1986年、西武ライオンズに入団。球界屈指の強打者となった清原氏は、数々の賞やタイトルを獲得し、野球史にその名を刻んだ。FA宣言した97年に悲願の読売巨人軍へ移籍。かねてからの“宿敵”といわれた同僚・桑田真澄氏との“KKコンビ”は大きな注目を集めた。
私生活では2000年にモデルの亜希と結婚。02年8月に長男、05年5月に次男が誕生し、2児の父親となった。
2008年、オリックス戦で清原氏は現役を引退。10月1日に「4番・DH」で出場し、6回には通算2122安打目となる適時二塁打を放ち、有終の美を飾った。これにて、栄光と挫折を味わった23年間のプロ野球人生に幕を下ろしたのだ。
引退後の2009年1月、『日刊スポーツ』の専属評論家として第2の人生を歩み始めた清原氏。だが、同年に銀座の高級クラブの年上ママとの不倫が相次いで発覚したのだ。
最初の話題となったのは同年3月。TBSの解説者として渡米した清原氏はWBC米国ラウンドに臨んだ際にママを同伴させたという。飛行機内や空港などではイチャつく姿が目撃されたようだ。
さらに同年5月、F1・モナコグランプリの中継番組のスペシャルキャスターとして現地入りした清原氏は、ママと成田空港に現れ出国したようだ。ママと思われる人物が、スタッフとして実際の放送画面に映っていたとも報じられ、公然の仲ともいわれていたという。そして同年9月、神戸・大阪での3泊4日にわたる“不倫旅行”がスッパ抜かれ、亜希の知るところとなったのだ。
「都内にあるママのマンション付近で、清原氏の姿が頻繁に目撃されていたようです。さらに、清原氏は将来的にママと再婚するつもりだったと報じられていただけに、単なる遊びではなかったことは確かでしょう。亜希は日常茶飯事となる夫の浮気を察知していましたが、ショックというよりは息子に不憫な思いをさせたくなかったようです」(芸能関係者)
ついに、トランス状態と化した清原氏の下半身に亜希も見切りをつけたのか、14年9月に2男を連れて離婚した。
「独身時代から『夜の三冠王』『六本木の種馬』の異名を持ち、遠征先や球場は、関係を持ったオンナで埋め尽くされていたようです。そのスタイルは結婚後も変わらず、暴走する性欲が落ち着くことはなかったといいます。地方各地に“喜び組”が常駐していましたので、遠征先でもプロに頼らず、アブノーマルな夜を謳歌していたようです。そんな清原氏ですが、生活費として普通預金通帳を亜希に手渡していたといい、その額は10億円にも上るといいます。夫としての“務め”を十分に果たした清原氏に、亜希も大金と引き換えに野放しにしていたのでしょう」(スポーツ記者)
バット1本で生涯年俸50億円を稼いだ清原氏だけに、野球界への復帰を熱望していたという。現在は、薬物の更生プログラムに取り組んでいる。執行猶予期間中の身でもありながらも球界のスーパースターだった清原氏に、この上ない手が差し伸べられた。周囲からの手厚いサポートは何よりも更生への大きな力となっているだろう。