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戦艦陸奥爆沈の謎(5)

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画像はイメージです。

 日本の敗勢が明確となりつつあった1943年6月8日、日本海軍にとって最も安全な海域であるはずの瀬戸内海、柱島泊地に投錨していた戦艦陸奥が一瞬にして爆沈した。当時、陸奥は開発されたばかりの新型対空砲弾「三式弾」を搭載していたが、新兵器であるがゆえに安定性や信頼性の検証、運用経験の蓄積が不十分であり、爆沈原因のひとつとして自然発火説が浮上した。

 しかし、海軍の調査によって三式弾の自然発火ではないこと、またその他火薬の「自然発火」でもなかったことが明らかとなった。そして、これまでの爆沈事件と同様に、またしても最終的には何者かによる放火、あるいは破壊工作の可能性が濃厚であるとの判定が下されたのである。

 にも関わらず、陸奥の爆沈に関する情報管制があまりにも徹底的であったためか、戦後出版された戦艦の解説や戦記には原因を三式弾の自然発火としているものが多く、吉村昭氏の「陸奥爆沈」が1970年に出版されるまでは、その傾向が続いていた。確かに、乗組員による放火という可能性はあまりにも衝撃的であり、関係者ならずともにわかには信じ難い仮説ではあろう。実際、日本の戦艦を解説した資料の大半はこれらの爆沈事故にほとんど触れておらず、現在でも陸奥について「謎の爆沈」とすることが多い。しかし、著書を一読すればすぐ理解できるように、吉村氏の調査は極めて入念に行われており、放火説は動かしがたい定説となっている。

 単に原因不明とするにとどまらず、特にネット等ではいまだに陸奥爆沈の原因を三式弾の自然発火とする解説すら散見される。だが、三式弾の開発担当者はあらぬ疑いをかけられた末、嫌疑が晴れるまでの間は強い自責の念に苛まれており、本来であれば名誉回復が図られてしかるべきだ。そのような事情を知ろうともせず、再び濡れ衣を着せるかのような解説がネットなどに存在し続けるのは、関係者にとっても極めて不本意であろう。

 さらに、最近では陸奥の爆沈海域に誤って落下したまま遺棄された対戦爆雷があったとして、それがなんらかの要因で爆発し、さらに陸奥の火薬庫の誘爆をもたらしたとの説が唱えられた。ただ、船体調査によって外部爆発説が否定されている上、爆雷の爆発にともなう誘爆なら爆発は複数にわたっているが、生存者や目撃者の証言は異なっている。そもそも爆雷の誤爆程度で主砲弾が誘爆するような構造ではなく、艦底にも防御が施されていたことなどから、現在では否定されている。

 それにしても、ただ不運としか言い様がないのは生き残った乗組員たちである。彼らは爆沈の事実を秘匿するために半ば軟禁状態におかれたばかりか、最終的にはサイパンやギルバート、マキン、タラワなどの最前線に送られ、そのほとんどは再び故国の土を踏むことなく戦場に屍をさらしたのである。

【各国戦艦の事故亡失率】

フランス
9.76%
41隻中4隻
マッセナ(汽缶爆発)イエナ(爆沈)リヴェルテ(爆沈)フランス(座礁)

イタリア
7.41%
27隻中2隻
ベネデット・ブリン(爆沈)レオナルド・ダ・ヴィンチ(爆沈)

アメリカ
1.59%
63隻中1隻
メイン(爆沈)

イギリス
3.15%
127隻中4隻
ヴィクトリア(衝突)ブルワーク(爆沈)モンターギュー(座礁)ヴァンガード(爆沈)

ロシア
2.5%
40隻中1隻
インペラトリッツァ・マリヤ(爆沈)

日本
14.28%
28隻中4隻
三笠(爆沈)筑波(爆沈)河内(爆沈)陸奥(爆沈)

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