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大谷見たさに再移住? 松田聖子、米在住時の逆セクハラ裁判の行方は【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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松田聖子

 米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手が11日(日本時間12日)、オールスター戦に3年連続での出場を果たした。ファン投票ではアメリカン・リーグで最多の票を獲得するなど、敵地のシアトルでも主役の一人となっている。そんな大谷選手のとりこになっているというのが歌手・松田聖子のようだ。『女性自身』(光文社)では、松田が野球好きの実母の影響で大谷選手に「ビビビ!ときた」と報じられ、「90歳母と現地観戦&ロスへの再移住も計画」とも伝えている。

 松田というと、80年代を代表するトップアイドルとして老若男女問わず、絶大的な人気を誇った人物。“聖子ちゃんカット”が女性の間で大流行するなど、まさに時代のアイコンとなった一人である。『青い珊瑚礁』(1980年)や『赤いスイートピー』(1982年)などの名曲は次の世代へと語り継がれ、61歳を迎えた今も現役のアイドルとして活動を続ける。

 私生活では、“恋多き女”としても話題が絶えず、1981年に熱愛が報じられた歌手・郷ひろみとの破局会見(1985年1月)では「今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうね」との泣きながら語る一幕は、芸能史の歴史に刻まれる出来事となった。そして、涙の会見から10日後に主演映画のポスター撮影のため、米・ハワイに旅立つ直前の松田が、自身の主演映画『カリブ・愛のシンフォニー』(同年4月公開)の相手役となった俳優・神田正輝との交際を宣言。さらに同年4月に神田との婚約を発表し、同年6月にスピード結婚へと至った。

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 だが、結婚後の松田は家庭に収まるタチではなかった。1986年10月、長女で故・神田沙也加さんを出産するも1989年2月に『FRIDAY』(講談社)が、アメリカ・ニューヨークの地で歌手・近藤真彦との“密会キス”をスッパ抜いた。翌90年には、米国の無名俳優のジェフ・二コルスとの密会を日本でキャッチされ“青い目の愛人”などとやゆされた。

 「松田は、1990年に全米デビューを果たしましたが、結果は失敗。その後、再トライするために渡米するも、現地男性とのスキャンダルが発覚したのです。結局、神田とは1997年1月に離婚。各地で号外が発行されるほど、注目度の高さを物語っていました。沙也加さんは松田が引き取り、仕事との両立を図るも同年12月、松田のバックダンサーだった米国人のアラン・リードによる『BACKSTAGE OF SEIKO MATSUDA』(いれぶん出版)にて聖子と過ごした5年間の日々を告白。2年間にわたってアランが性的関係を拒み続けたことなど、実に刺激的な内容が暴露され、神田と婚姻時代に不倫をしていたということが裏付けられたのです」(芸能ライター)

 1997年、松田はエステ『たかの友梨ビューティクリニック』のCMでアランらとの“行為”をイメージさせるようなシーンを再現し、話題に。これらのスキャンダルを逆手にとり、まるで自分のパワーに変えてしまうかのような強さを見せた。

 さらに1998年4月、アランは「夜も奉仕しなければ、バックダンサーとして使ってあげない」などと松田にと言われたとして5000万円の損害賠償を求める“逆セクハラ裁判”を起こしたのだ。だが結局、裁判は証拠不十分で却下されたが、世間の大きな注目の的となった。

 「そんな最中の1998年5月、松田は歯科医師と出会って2カ月の“ビビビ婚”を遂げ、世間の度肝を抜いたのです」(前出・同)

 2000年12月、松田はまたしても離婚。そして、2012年6月に医師と3度目の結婚を発表し、現在に至る。

 常にスキャンダルと隣り合わせだった松田。60代となり、さすがに色恋沙汰は落ち着いたのだろうか。冒頭の大谷も、松田がスタジアムに駆け付ければさらなる記録を生み出すことだろう。

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