山里と西野は、吉本興業の芸人養成所であるNSC大阪校22期出身の同期芸人。今でこそ山里もブレークしたが、当初はキングコングの人気が飛び抜けており、「ライバル一方通行」の関係だった。山里が何かしらの不満を示しても、西野の態度は「寛容というカウンターで俺をボコスコにやってくれた」と振り返っていた。
西野の動きを知った山里は「(本人に会い)『やめんなよ』的なことを言ってもいいのかなと思っていたけど」と説得も考えたようだが、「いかんせん意思が強いのは知っているし、西野はそんなに俺に心を許していない」関係のため諦めたようだ。「(西野は)笑顔で去っていくと思う」とも話していた。
西野が退社に至った理由の一つとして、自身の担当マネージャーが頻繁に変わることに不満を示していた点が挙げられる。ただ、山里はそれは「弊社(吉本興業)名物」だと話し、「他の会社のマネージャーさんとタレントさんの関係が羨ましい」といった思いも語っていた。西野のマネージャーだけが変わるというわけではないようだ。
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さらに、山里は昔を振り返り、「NSCの時から楽屋で言っていたもん。ちょっと西野の声が聞こえると思っていたら、『革命、革命』って言っていた」エピソードを披露。当時から西野のストイックなキャラクターが飛び抜けていたようだ。
ちなみに、西野が製作総指揮、脚本、原作を務めた『映画えんとつ町のプペル』についてはチケットを入手したものの、未だ映画館に足を運んではいない。「西野の大成功に対してすんなり受け入れられない自分がいた」と新人時代から西野に抱いていた負い目がいまだにある様子も語っていた。
ネット上では「やはり同期話はほっこりするね」「ラジオでの共演にも期待したいところ」といった声が聞かれた。西野の退社に関しては、吉本芸人が次々とコメントを発しているが、同期の山里の言葉はとりわけ深いものになったと言えそうだ。