服部半蔵は、そんな忍者の中でも最も有名な存在と言って過言ではないだろう。伊賀忍者衆を率いる頭領として知られ、漫画などでは凄腕忍者といった役柄で登場することも多い。読者の中には、彼を本当の忍者だと思っている方も多いだろう。
しかし、半蔵が忍者なのはあくまで漫画の話。実際の半蔵は忍者ではない。いや、正確に言えば初代・服部半蔵(保長)はたしかに忍者であったが、家康に取り立てられた2代目の服部半蔵(正成)は三河生まれの武士だった。正成は忍術も苦手で手裏剣も使わず、槍で戦っていたそうである。ちなみに忍者の仕事を継がなかった理由は、父の保長から「忍者には将来性がない」と教えられてたためと、意外と現実的な理由だったようだ。
しかし、忍者ではなかったにしろ、忍者の頭領だったことは事実。父親が伊賀忍者の出身という縁で、徳川家が召し抱えた伊賀忍者を統率する立場を任せられたのだ。とはいえ、正成の立場は非常に難しいもので、武家からは「忍者上がり」、逆に忍者からすれば「父親は知ってる」程度ということで、それぞれの板挟みに耐えながら仕事していたのが本当のところのようだ。そこだけだと忍者の頭領というより、どこかの会社の中間管理職の話を聞いているようだ。
そんな服部半蔵の複雑な立場が正成の死後、3代目服部半蔵(正就)の時代に鮮明になる事件が発生する。正就が徳川家の忍者を無断でクビにしてしまったのだ。忍者は正就の管理下にあるとはいえ、もともとは徳川家から預かっているもの。勝手にクビにする権利はないので、忍者たちからクレームが徳川家に入り、結果、正就は管理職をクビになり服部家の名は長らく歴史の表舞台から姿を消すこととなる。最後の最後まで中間管理職的な悲哀に満ちた家系である…。