宮崎 終戦の年に生まれた私は、来年に古希を迎えます。もう人生も終盤に近づいているわけですが、たとえ100年生きたとしても人生は儚いものです。
最近は特にそう感じて、いろいろと過去のことを考えるようになり、とりわけ自分が離脱と回帰を繰り返した共同体に思いをはせることが増えました。
−−“突破者”がそんなことをおっしゃるのは意外というか、ちょっと寂しいのですが?
宮崎 いや、誰だって最後は死ぬんですから。私の人生は、ずっと不完全燃焼でしたから、これから燃焼しようと思っているんです。
−−なるほど、まだ「これから」があるんですね。安心しました。では、宮崎さんにとって『共同体』とは何なのでしょう?
宮崎 安心して帰属できる場ですね。幼かった私には、外で悪さをしても、最後の逃げ場として家庭がありました。
「ヤクザとは哀愁の共同体である」とは、山口組の突撃部隊で“殺しの軍団”と呼ばれた柳川組二代目の谷川康太郎さんの言葉ですが、在日の谷川さんは差別や貧困で非常に苦労したと聞いています。ヤクザ組織も、行き場のない人たちを包み込む立派な共同体であり、昨今の過剰な暴力団排除にはこうした意味でも違和感がありますね。
一方、現在の家庭や学校、地域社会は共同体としてどうでしょうか。例えば国内の殺人事件を見ても、この30年ほど半数以上が親族間によるものです。ヤクザよりカタギの方がよっぽど人を殺しているんです。
これには、家庭という最小の共同体が機能しなくなり、アトム化(個人と周囲の人との関係がなくなったり少なくなったりすること)した人たちが増えたことに関係があると思います。
共同体が、人を傷付けることの怖さや生命の大切さを教える“場”でなくなっているんです。私が子どものころには大人たちから戦争の悲惨さをよく聞かされましたが、今はそういうこともなくなりましたね。
−−確かに共同体と“個”の変質は以前から指摘されています。
宮崎 私が青春時代を過ごした高度成長期は、全てが近代化されましたが、まだ古い共同体の体質が残っていました。もちろんそれには窮屈な部分もあるのですが、人の温もりがありました。「オッサンのノスタルジー」と言われればそうだけれど、若い人にも読んでほしいですね。
(聞き手・吉原美姫)
宮崎学(みやざき まなぶ)
1945年、京都府生まれ。評論家、作家。'96年のデビューから共著を含めて100冊以上を出版。近著に『異物排除社会ニッポン』(双葉社)など。