歌蔵 80年代半ば、インディーズ御三家と言われたラフィンノーズ、ウィラード、有頂天。特にラフィンとウィラードはライバル視されていた。ラフィンが陽ならウィラードは陰、何かと比較されたバンドでしたよね。
キョーヤ そうだね。
歌蔵 僕もその陰ともいえたウィラードにやられたクチなんですが。そのラフィンにキョーヤさんが入るなんてね(笑)。80年代当時じゃ考えられなかった。ウィラードをやめて5〜6年のブランクがあった。きっかけは?
キョーヤ モスキートスパイラルってバンドやっててさ、当時、俺は中華料理屋でバイトしてて、バンド以外の日はがっちり働こうと思って15時間くらい働いてリハに出てたの。けど、きつくて、もうこんな生活やだなあとメンバーにこぼしてたら、モスキートのギターがラフィンでもギター弾いてて、今度ラフィンのドラムがやめるんでレコーディングとライブのツアーもあるんで手伝いませんかって誘ってくれてさ。じゃやってみようかな、お金にもなるしって軽い気持ちで。
歌蔵 ラフィンはウィラードとは違ったんですね(笑)。
キョーヤ そう(笑)。レコーディングをやって発売ツアーに参加した。
歌蔵 それまでラフィンのメンバーとは一緒にスタジオに入ったことはなかったんですよね。しっくりきました?
キョーヤ うん。ウィラードをやってたからラフィンの曲で叩けない、とかそんなのはないと思うよ。
歌蔵 メンバーもキョーヤさんのドラムに一目惚れしたでしょうね。
キョーヤ チャーミー(ラフィンのヴォーカル)はそう言ってくれてるよ。俺はヴォーカルを気持ちよく歌わせたいと思って叩いてるから。
歌蔵 で、正式加入のオファーがあった?
キョーヤ ツアーの途中でメンバーから頼まれた。それからもうラフィンに入って2年経つんだね。
歌蔵 ふたつの日本のパンクを代表するバンドを体験してどうです? 違いって何です?
キョーヤ ドラムやってて、ウィラードっていうのはレコードを再現するタイプ。タイム感もきっちりしてないと、AメロからBメロへ突入する際もちょっと突っ込んだりすると(ジュンが)キッと後ろをにらむ。
歌蔵 厳しいなあ(笑)。
キョーヤ だからってそんなにきっちり叩けないんだよ(笑)。ライブ後、楽屋でお前らの演奏が気になってうまく歌えねえんだよ、音程はずしちまうんだよって、人のせいにするんだよね。そういうバンドだった(笑)。
歌蔵 音程はずすのはバックのせいなんだ(笑)。それがラフィンには?
キョーヤ まったくない。ラフィンだと間違えても、気にすんなって、かえって俺に気を使ってくれるというか(笑)。ま、でもそれがそれぞれのバンドのスタイルだから。
歌蔵 どっちが良いとは断言できないですよね。
キョーヤ そうだね。ただ俺はチャーミーっていい加減なヤツかなって思ってたんだ。けどメンバーになってから実はすごい音楽家だなって思うことが多々ある。チャーミーはミュージシャンって言われると照れる人なんだけどね。いろんな音楽を聴いて自分たちの中で消化してきた人たちなんだなって他のメンバーを見ても思うね。バンドのメンバーは全員尊敬できる人たちだよ。カッコいいバンド、カッコ悪いバンドの差って何だろうって思った時にバンドの音が一体となってガーッと出てすごいエネルギーを感じる、それがカッコいいと俺は思うんだよね。
歌蔵 キョーヤさんが入ってラフィンに新しい血が導入された感じが。
キョーヤ それは昔からラフィンを聴いてるファンも意識するから、もっとラフィンをカッコよくしようという野心はあるよ。
歌蔵 しかしこの前ライブを拝見したら若い客が1000人以上も集まってすごかったですよね。その若いヤツらをドラムのビートで揺り動かすパワーはすごいですよ。
キョーヤ いや、謙遜するわけじゃないけど、ビートってドラムの仕事って思われるかもしれないけど、バンドが一体になんなきゃダメなんだよね。
歌蔵 やっぱりチームプレイなんですね、バンドは。ドラムが土台だとは思うんですけど。
キョーヤ うん、土台だね。ドラムが下手でカッコいいバンドってのは見たことないかな。
歌蔵 それにしてもキョーヤさん、スッポリとラフィンにハマッたのはすごいですよ。
キョーヤ ラフィンのファンも暖かいんだよ。反対にラフィンからウィラードに入ったらこんなに受け入れられたか(笑)。
歌蔵 バンドのカラーでしょうね。やっぱり太平洋と日本海みたいな(笑)
キョーヤ うん(笑)。
歌蔵 これからの目標は。
キョーヤ そりゃもう走り続けないとね。ウィラードには感謝してるんだよ、今の俺がいるのもあのバンドのおかげだし。ただ楽しく叩けてなかったからさ。振り返ると長かったね、ウィラードにいたのが。だから今は楽しみたいよね。死ぬ前に俺、ドラムやってよかったなって思えたらいいな、そのためにも良いライブをやっていけたらいいなって思ってる。
〈KYOYA(キョーヤ) プロフィール〉
1986年ウィラードでデビュー。97年脱退。03年にモスキートスパイラル結成。06年7月ラフィンノーズに正式加入
〈ラフィンノーズ プロフィール〉(ウィキペディアより抜粋)
1982年、大阪で結成。日本に確たるハードコアシーンが形成される以前から、その中心的バンドとして活動していた。轟音、粗暴、ノイジーなハードコア界にあって、いち早くポップセンスを取り込み、その単純明快な楽曲は全国のパンクスの絶大な支持を得た。メジャーデビュー前である80年代前半から、ウィラード、有頂天と並び、「インディーズ御三家」といわれるほどの爆発的な人気を博した。
1985年には新宿スタジオアルタ前で自分たちの作品が収められたソノシート(聖者が街にやってくる)をばらまき、話題となる。同年メジャーデビュー。1987年4月19日、日比谷野外音楽堂でのライブ中、ステージに詰め掛けたファンが将棋倒しになる事故が発生。死者3名、重軽傷者27名。ライブは即時中止となり、バンドは責任を取る形で一切の活動を停止するが、ファンの後押しにより活動を再開することができた。
しかしその後も、事故が原因で各地の会場から締め出しを食らったり、幾度かのメンバー脱退(PONとNAOKIはCOBRAに参加)、チャーミーのステージ上でのケガ、新メンバーが不祥事を起こすなどの度重なるトラブルに見舞われ、1991年にバンドは一旦解散。
1995年、PONの復帰をきっかけに活動を再開。同時に自主レーベルも復活させる。その後はライブハウスを中心に地道ながらも確実な活動を続けている。
〈ラフィンノーズ LIVEHOUSEワンマン スケジュール〉
6月6日(金) 心斎橋KING COBRA
6月8日(日) 名古屋Tiny7
6月13日(金) 新宿LOFT