池谷は大阪・清風高校3年生の88年にソウル五輪に出場。体操では高校生として初の五輪代表だったが、団体総合と種目別の床で2つの銅メダルを獲得。同学年で現日本大学芸術学部准教授の西川大輔氏とともに「清風コンビ」として女性ファンの黄色い声援を浴び、アイドル並の人気者となった。
日体大に進学し、92年のバルセロナ五輪では団体で2大会連続の銅、床で金メダルを獲得。96年のアトランタ五輪では金メダル獲得が期待されたが、五輪後、あっさり引退しタレントに転向した。
体操はメダル級の池谷氏だったが、女性関係がなかなか上手く行かず、今やバツ2となってしまった。
「95年に今は一般人の元セクシーグループメンバーと結婚。女児をもうけたが、すでに退社したテレ朝の女子アナとの不倫を写真誌で報じられ、そのことが原因で98年に離婚。その後、12歳年上で2人の子供がいるバツイチの女性実業家と00年に再婚したが、04年に離婚。再婚当時、池谷氏はあまり仕事がなく、池谷氏は女性の子供たちに体操を指導することを条件に生活の面倒をみてもらっていた。いわば強力なスポンサーだった」(週刊誌記者)
ちなみに、2番目の妻のバックアップで東京・小平市に「池谷幸雄体操倶楽部(IGC)」を設立し、池谷氏は現在まで熱心に子供たちの指導にあたっている。
タレント活動ではやはり“肉体派”系の仕事が多くなり、挙げ句の果てには、 07年のおおみそかにはプロレスイベント「ハッスル」にリングネーム・池谷銀牙として参戦している。
「彼は、こっちがお願いしたら嫌な顔をせず、なんでもこなしてくれるので、使いやすかった」(バラエティー番組関係者)という池谷氏。
96年には制作サイドに求められるがままに、バラエティー番組の収録で東京・渋谷駅前交差点にある信号機にぶら下がり車輪を披露する“ウルトラC”を披露したが、少々やり過ぎてしまい、道路交通法違反で書類送検されるホロ苦い経験もしている。
選挙戦では、「選挙カーの上で倒立」という“仰天マニフェスト”を公約しているが、期待にしっかりこたえてくれそうだが、何事もやり過ぎは禁物。
出馬会見で池谷氏は「(政治も体操も)両方とも得点が出るのは同じ。相手がどう評価するというのも似ています。スポーツと教育が専門分野なので、しっかりやっていきたい。トップ当選をねらうつもりで頑張りますよ」ときれいに“着地”を決めたが、政治の世界でそう簡単に“高得点”が出るだろうか?