今年は、アルバム制作やライブツアーなど多忙を極めた工藤。しかしながら、「時間がないという言い訳はしたくなかった。だから初めて自宅に画材を全て持ち込んで描きました」とプロ意識をむき出しにした。
工藤は、2000年12月にタレントの木村拓哉と結婚と妊娠4か月であることを発表。20世紀最後の大物カップルとして大きな話題となった。そして、01年5月に長女、03年の2月に次女でモデル・Kōki,を出産。その後は、育児に専念し、音楽活動からは遠ざかっていたが、05年2月におよそ3年ぶりのシングル『Lotus〜生まれし花〜』をリリース。これを期に、芸能活動を再開した。
若かりし頃の工藤は、恋多き女としても知られていた。そんな“元カレ”たちと木村は当然、“共演NG”になるのが暗黙の了解である。中でも、“SMAP”級の大物レベルのX JAPAN・YOSHIKIと工藤の交際は広く知られていたが、2015年末の『NHK紅白歌合戦』での木村とYOSHIKIのニアミスが恐れられ、注目を集めた。
さかのぼること、1994年3月。工藤とYOSHIKIの交際が発覚したのは、なんとYOSHIKIの逮捕がきっかけだった。スクープした当時の『FRIDAY』(講談社)によると、YOSHIKIは米・ロサンゼルスにて飲酒運転及びスピード違反で現行犯逮捕され、その際、助手席に同乗していたのが工藤だった。さらに、逮捕前の2人のアツアツぶりもスッパ抜かれ、人目もはばからずベタベタしまくり、見かねた店員から注意を受けるほどだったという。
これに対してYOSHIKIは、「彼女とはお付き合いをしています」と工藤との交際を認め、周知の事実となったのだ。その後も順調な2人は、結婚秒読みだと誰もが思っていた矢先の1996年1月、工藤が「彼とはもう会っていない」と突然の破局宣言をしたのである。
「その数か月前に、YOSHIKIが別の外国人女性と熱愛しているとの報道が流れ、工藤との破局はYOSHIKIの浮気が原因とも報じられたのです。破局後、2人は接点がなかったとされていましたが、2000年11月に工藤がリリースした『深紅の花』をYOSHIKIがプロデュース。当時、木村と交際中だった工藤へ、メディアの間ではあらゆる憶測が流れました。仕事とはいえども、工藤が木村を引き寄せるための策略に、元カレを利用したのではと噂されました。工藤の思惑どおり、“三角関係”にイラだった木村が工藤に熱を上げたのでしょうね」(芸能ライター)
そんなこんな経緯から15年後に、一応の“共演”の場を持たれた両者。『紅白』でX JAPANは、サプライズ出演を予告しつつ、SMAPの2組前に登場した。当日は、NHKホールで生中継される中、YOSHIKIの存在を危惧する関係者が続出したわけである。
当時、国民的アイドルとして『紅白』にSMAPはつきもの。本番前に行われるリハーサルでは、出場歌手が顔を揃えるのだが、“共演NG”と言われた両者は内心穏やかではなかったはずだろう。周囲からしたらある意味、見どころの一つだったようだ。
「多くの歌手が一堂に会す『紅白』では、さまざまな人間模様が交錯します。大舞台となる『紅白』だけに、私情どうこう言っていられない木村と、局側に押しに押されて出演したYOSHIKI。以降、両者が顔を合わせた機会は皆無に等しいでしょう」(テレビ関係者)
木村の妻になって間もなく20年目を迎えようとする工藤。“策略”がお好きなのか、周囲の雑音にも微動だにしない。“鉄の心”を支える源は、2人の愛娘と“日本一モテた男”と言われる夫の存在だろう。