昭和の喜劇王・萩本欽一(78)は、ダービーに出走した馬を持っていた。競馬解説者の吉沢宗一氏が騎乗していたパリアッチで、ラッキールーラが勝った1977年のダービーで9着だった。
この時、欽ちゃんは競馬場にいて、涙をこぼすぐらい感激。周りにいる人も、思わずもらい泣きするぐらいだった。
以後も馬を持ち続け、その中には1999年の小倉記念をレコード勝ちしたアンブラスモア(フランス語で「私にキスして」の意味)がいる。欽ちゃん、この馬には今でも感謝している。というのも…。
1993、1994年に『欽ちゃんのシネマジャック』というオムニバス短編映画を2本、自ら2億円を出資して製作したが、残念ながら大コケしてしまい多大な負債を背負っていたのだ。数年かけて完済したが、その時に助けとなったのが、アンブラスモアの稼ぎだった。
同馬は1996年10月6日にデビューして以来、引退するまでの5年半で3億3343万円の賞金を獲得。手元にその8割が入ったおかげで、事務所存続の危機を乗り越えたという。
(明日に続く)