さて、前回までは離島で夏休み気分を満喫しておりました。ただ、この夏にやり残したことが1つ。「海岸視察」です。
自然というのは四季折々、様々な表情を見せてくれます。釣りにおいても「その時期を逃すと、また来年までおあずけ」という魚は珍しくありません。件の「海岸視察」もこれと同じ。夏休みが終われば、また1年待たねばなりません。
「今のうちに目に焼き付けておかねば! 早く行かねば終わってしまう!」
何かに急かされるように向かった先は、昭和の大スター・石原裕次郎が愛した神奈川県・葉山町。東京からも近く、夏休みには多くの海水浴客で賑わいます。
「もう夏休みも終わったし、海辺の賑わいも失せてしまっているかも?」
そんな不安を胸にJR逗子駅に降り立つと、いましたいました そんないかにも海に向かいそうな出で立ちの人々にまじって、海岸廻りの路線バスに乗り込みます。
海が見える側の窓際のベストポジションを狙って着席。街中を縫うように抜けたバスは、やがて海岸沿いの道路に出ました。
いましたいました♪ 歩道にも水着のオネイサンやカップルが行き交っており、安心と胸の高鳴りが共存する不思議な状態に襲われます。落ち着け、オレ!
ひなびた狭い海沿いの道をバスは進み、やがてお目当ての森戸海岸に到着。砂浜は期待どおりの賑わいで非常によい雰囲気。さっそく視察を始めましょう。
しかし、アレですね、この水着というヤツは、もはや下着も同然ですな。街中では完全にアウトなのに、夏の砂浜では下着(みたいなの)姿が普通なんですから、たまりません。
海岸の常識は世間の非常識、なんつって、グヘヘヘ。興奮しすぎて、自分でももう何を言っているのか分からなくなってきました。
★目的を完遂し晩の肴獲りへ
と言いつつ、決して水着姿のオネイサンを見に来たのではありません。釣り場としての状況を見に来ているのです。その最中に目に入ってしまう不可抗力なのです。ですから、モロに見ないことが重要です。
とはいえ、オッサンが独りでビーチを歩く姿はかなり違和感がありますから、誰かを探しているような雰囲気で周囲を見やるのがベストです。時には対象のやや先を見ながら「お〜い、たけし〜」などと言いながら歩くとベストです。
「お〜い、ひろしぃ〜、じゃなかった、たけしぃ〜」
本当に探している訳ではないので、名前を間違えてしまいました。
とりあえず名前を叫びながら海岸をうろつくことしばし。瞼の奥に仕舞いきれないほどの思い出を納めました。もちろん、釣り場としての視察も完璧です、多分。ついでに、せっかく来たことですし、海岸の隅にある岩場でひと遊びしていくことにしましょう。
こちらには磯遊びに興じる子供や家族連れが多く、微笑ましい光景が広がります。それにまじって岩場を観察すると、いましたいました「スガイ」という小さな貝が(当地では漁業権設定なし)。実は、コイツが美味なんですね。
ひとしきり小磯を見て回り、晩酌の肴には十分の量が獲れたあたりで磯から揚がります。遠くに目をやると海岸はまだ大賑わいで、先ほどの視察の情景が頭に浮かびます。
イカンイカン、今はパンイチですから、竿を伸ばすわけにはいきません。急いでズボンを穿いて事なきを得ました。
★シコシコ出して嗚呼、昇天
帰りのバスも当然のように海側の窓際に陣取り、最後までしっかり視察。この「夏を諦めない」心がけが重要です。この時もモロに見るのは不快感を与えてしまいますから、バスの窓を開けて「たけしぃ〜」と叫ぶのがよいでしょう。
さて、帰宅後は獲ったスガイを塩茹でにします。小さいながら石灰質の白い蓋を持つスガイは、さながら可愛いサザエ。
その昔、子供たちがこの蓋を酢に浸け、溶けながらクルクル回る様を見て遊んだ、ということがスガイの名前の由来だそうです。今回、初めてマトモなことを言った気が…。
茹で上がったスガイの身に楊枝を刺し、ひねるように身を取り出して一口。かすかな磯の香りとしっかりとした身の甘さが感じられて美味です。
小さすぎて食べでがないのが唯一の欠点ですが、そこは仕方がありません。冷酒をチビチビやりながら、楊枝でシコシコとほじくっては食べて昇天…せずに視察の情景を肴に、じゃなかった、オカズにシコシコと昇天させていただきました。ありがとうございます!
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三橋雅彦(みつはしまさひこ)子供の頃から釣り好きで“釣り一筋”の青春時代をすごす。当然の如く魚関係の仕事に就き、海釣り専門誌の常連筆者も務めたほどの釣りisマイライフな人。好色。