その作品とは、07年の「市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件」で、12年4月に無期懲役の判決が確定した市橋達也受刑者の逃亡手記を映画化した13年公開の「I am ICHIHASHI 逮捕されるまで」。当時はまったく話題にならなかったが、フジオカは同年11月に行われた公開初日の舞台あいさつで「市橋をヒーローにするつもりはない。こういう悲惨な事件が二度と起こらないような社会になればいいなという気持ちで作品を撮った」と監督をつとめた心境を明かしていた。
「市橋受刑者の手記についてはかなり話題になり、映像化の話もあった。水嶋ヒロの主演でドラマ化の話もあったが、結局、被害者女性の遺族の感情などに配慮した結果、話が流れた。しかし、それに当時は台湾を活動の拠点にしていたディーンが食いつき、自ら主演と監督を買って出て映像化。しかし、単館上映で期間も短かったので、ほとんど話題にならなかった」(映画ライター)
その初日舞台あいさつでフジオカは、「市橋が最後に逮捕された大阪のフェリー乗り場に行って、逮捕劇を売店から見ていたというおばさんに話を聞いたり、彼が隠れていた島の近隣の住人の方に当時の様子をうかがったりした」と自ら“取材”を重ねていたことも告白。監督としては“取材”を重ね、主演としての“役づくり”につとめていたことも明かしたのだ。
「なかなか、日本の俳優で自身のイメージをダウンさせかねない作品のオファーを受ける俳優はいない。現在も、所属事務所の公式サイトにはしっかり同作もクレジットされている。今後、日本でも監督作品に挑戦する可能性が高そう」(映画関係者)
この男、ただのうわついたイケメンではなかったようだ。
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ディーン・フジオカツイッター
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