明治時代、この地域は巣鴨村と呼ばれるひなびた集落だった。何もない場所で、村おこしの一環として監獄の誘致をすることになったという。そして、巣鴨監獄が建設されると、37年には東京拘置所に名称が変更された。
第二次大戦後は、前述のA級戦犯7名だけでなく、BC級戦犯52名も絞首刑に処された。その後、東京拘置所は現在の東京・小菅へ移管され、78年にサンシャイン60が建設。あれから40年余り、今やこの場所が処刑場だったことを知らない世代のほうが増えた。
しかし、現在でも軍人の霊などの目撃証言は絶えず、サンシャイン劇場で戦争を題材にした演目をするときは、お祓いをする団体もあるという。
興味深い話は、ドラマ『東京二十三区女』にも登場する。
主人公の凛々子に助言を与える民俗学者の島野は、サンシャイン60が60階建てなのは、処刑されたA級戦犯7名とBC級戦犯52名、そして他の場所で処刑された1名の合計が60名に、弔いの意味を込めて60階建てになったという説を披露するのだ。
また、白い建物であるサンシャイン60と東池袋中央公園、そして公園内にある池によってお墓のかたちを成しており、死者を弔っているという説があることも明かしている。確かに、そのセリフを頭に入れ、改めてサンシャイン60を見上げてみると、それはまるで巨大な墓石のように見えてくるのだ。
終戦後、戦犯の烙印を押され、無念のまま処刑された旧日本軍関係者たちの魂は、まだこの地をさまよっているのかもしれない。