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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(21)

 第2次大戦の勃発に伴い、1941(昭和16)年、根岸競馬場に「敵国人収容所」が設けられた。神奈川県では、根岸競馬場のほか、横浜市中区新山下町ヨットハーバーの中にも収容所は併設され、イギリス、アメリカ、フランス、カナダ、フィリピン、オランダなどの敵性外国人675人が保護警戒の目的で収容された。警戒警備は警察部外事課が行なったとされている。

 これら「敵国人」は翌1942(昭和17)年4月から7月にかけ、氷川丸などの交換船で帰国するが、なおも男性53人、女性9人が残留し、男性は引き続き根岸競馬場内の収容所に収容されていた。そして1943(昭和18)年6月、彼らは県西の「神奈川県第一抑留所」へ移された。
 1942年の春秋の根岸競馬はこれまで通り開催されているので、競馬運営に支障を及ぼさない形だったと思える。
 日本競馬会としても、太平洋戦争開戦に伴い、「敵国外国人」を各競馬場の振興会員から排除することになり、根岸関係の横浜競馬振興会も重鎮を担ったS.アイザックスら55人を除名した。
 また開戦後にできた敵産管理法によって、1942年7月にはアイザックスとC.H.モースの所有馬や関係財産の入札による売却処分が根岸競馬場と北海道の牧場で行われている。入札に付されたのは、アイザックスが競走馬10頭、厩舎、社宅、牧場の種牡馬7頭、モースが競走馬1頭、牧場の種牡馬1頭であった。
 ※参考文献…根岸の森の物語(抜粋)/日本レースクラブ五十年史/日本の競馬

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