2人は、97年のデビュー前から連ドラの主演を何度も務め、社会現象と呼ばれた作品に数多く出演。同世代Jr.の中では群を抜いて、人気・知名度が高かった。直の師匠は、解散したSMAP。入所直後からおよそ2年にわたってバックダンサーを務めている。
「KinKi Kidsを名乗る前は、ほんの少しの間、違う名前で活動していました。SMAPが92年に『NHK紅白歌合戦』(NHK総合)に出演した際、『KANZAI BOYA』(カンサイボーヤ)と紹介されているからです。KinKiになったのは、その翌93年4月。『キスした?SMAP』(朝日放送ほか)で紹介されて以来、今の形で落ち着きました」(女性週刊誌の芸能記者)
KANZAI BOYAからKinKi Kidsに移行するわずかな間、4人組の「ジパング」というユニットが生まれている。ほかの2人は、V6・井ノ原快彦とTOKIO・長瀬智也だ。ジャニー喜多川社長は、関西(KANZAI)出身の4人組で歌手デビューまで持って行きたかったようだ。しかし、剛&光一があっという間に人気者になったため、4人組は幻と化した。井ノ原が東京都、長瀬が神奈川県出身だったのも、取りやめた理由だ。
そんなジャニー氏お得意の思いつきプランに弄ばれたのは、長瀬だ。長瀬はJr.時代、仕事では井ノ原とステージの立ち位置がシンメになることが多く、プライベートでは剛&光一と遊ぶ仲だった。剛はファンの子から、「ジパングで歌手デビュー」という噂を聞かされたこともあった。
しかし、ふたを開けてみれば、奈良県出身の剛と兵庫県出身の光一が、近畿の冠を有してメキメキ頭角を現した。長瀬と井ノ原はハシゴを外された格好。KinKiと親友だった長瀬は、「もうオレはこの2人とは一緒にやらないんだぁ」と肩を落としたという。
結果的に、CDデビューはTOKIOが94年、V6が95年、Kinkiが97年で、剛&光一がいちばん遅い。今では、TOKIOから山口達也さんが脱退して4人になり、音楽活動は休止中だが、3グループはジャニーズタレントのまま。すでにキャリア20年を超えており、ベテランの域に達している。ジパングは発展的解消を遂げて正解だったのだ。
(伊藤由華)