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王と長嶋〜プロ野球を国民スポーツにした2人の功労者〜(22) 意外にも低い「記録の王」の査定

 「記録の王」「記憶の長嶋」をタイトルで追ってみよう。

 ルーキーイヤーの1958年に、いきなり本塁打王と打点王の2冠を獲得した長嶋さんは、翌59年には初の首位打者。60年も2年連続の首位打者。61年には3年連続の首位打者と本塁打王の2冠。62年は無冠だが、63年も首位打者、打点王の2冠。その後、2年間はタイトルなしで、66年に首位打者。68年から70年までの3年間は打点王。71年の首位打者が最後のタイトルになっている。トータルすると、首位打者が6回、本塁打王2回、打点王は5回。これはこれで文句なし、立派なスーパースターの記録だ。
 ところが、世界の王の記録の前には、長嶋さんの影は薄くなる。首位打者が68年から70年まで3年連続、さらに73、74年の合計5回。打点王は62年、64年から67年まで4年連続、71年から78年まで8年連続、合計13回。世界の王の看板である本塁打王は、62年から74年まで13年連続。75年に阪神・田淵に1度だけタイトルを譲るが、その後に76、77年と2年連続で取り戻し、通算15回もホームランキングになっている。
 あらためてこう振り返ると、「記録の王」は半端でないことがわかる。長嶋さんを称賛するのに、「記憶の長嶋」と呼ぶのは、記録では勝負にならないからという一面もあるのではないか。王さんが「野球は本来、記録がすべてのはずだ」と不満を隠せないのもわかるような気がする。が、V9巨人時代の担当記者に言わせると、ONと並び称しても、人気面ではその差がかなりあったという。

 「たとえば、ONに関する書物が出る。ミスターの本は必ずと言っていいほど売れる。が、ワンちゃんのはあまり売れないんだよ。その差は歴然としていた。インタビューでも、ワンちゃんは答えを聞く前から予想していた通りのものになる。が、ミスターは全く意表を突いた答えが返ってくる。意外性の面白さがある。野球でもそうだ。敬遠のボールに飛びついてホームランを打ったり、ベースを踏み忘れたり、ミスターには計算できない意外性のドラマがある。だからファンは熱狂する」。V9巨人担当記者はこう具体的に証言する。
 長嶋さん本人によると、「三振して尻もちをついたり、ヘルメットを飛ばすことなど、ファンを意識してやっていた。スタンドがどよめくからね。ファンは長嶋のオーバーアクションを期待している。だから、派手なパフォーマンスをやった」という。意外性も計算の内というのだが、ファンが熱烈支持したのは事実で、球団側は年俸面でも高い評価をしている。
 その一方で、王さんの記録に対する査定は意外に低い。だからこそ、王さんは内心で割り切れない感情を抱き、「ミスターばかり持ち上げる」と時折、親しい記者に不満を漏らしたりしたのだろう。
 実際に「記憶の長嶋」査定と「記録の王」査定はどうだったのか。検証してみると、確かに首をひねりたくなる点もある。
 世界の王への第一歩となった、一本足打法に取り組んだプロ入り4年目の62年に、初めて本塁打王、打点王の2つを獲得したところから、ONの激烈なタイトル争奪戦が始まっている。そして、「長嶋の年俸がナンバーワンで、王が超えることはない」という巨人軍の不文律が見え隠れしてくる。

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