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蝶野正洋の黒の履歴書 ★白熱したWCWとWWFの“興行合戦”

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提供:週刊実話

 先日、川口オートレースで開催された『第13回 週刊実話杯』のイベントで、トークショーをやらせてもらった。暑かったけど、たくさんのお客さんが来てくれて、大いに盛り上がった。

 俺は『バラいろダンディ』という生放送番組のMCをやらせてもらってるけど、トークショーはテレビで喋るのとはまた勝手が違う。どちらかといえば、リング上でマイクアピールする感覚のほうが近いな。

 とはいえ、俺が所属してた新日本プロレスは『ワールドプロレスリング』という中継番組があるから、マイクアピールは会場のお客さんだけでなく、テレビの向こうの視聴者も意識しなくちゃならない。プロレスはライブであり、テレビコンテンツでもあるんだよ。そのことを俺は、アメリカ遠征時に学んだ。

 俺は1996年頃に、アメリカのWCWというプロレス団体に参戦していた。その頃のWCWは、ライバル団体のWWFと激しく競い合ってて、月曜夜の同じ時間帯にテレビ生中継を行って、「マンデーナイトウォーズ」と呼ばれる視聴率戦争を繰り広げてたんだ。向こうよりも1%でも多く取るというのが命題で、対戦カードをお互いギリギリまで出さない。生中継が始まってから試合順を変えるなんてのもしょっちゅうで、あっちがじっくりとシングルやってるから、こっちは派手なジュニアのタッグ戦で視聴者を奪おうとか、そういうことをリアルタイムでやっていた。

 お互いにスパイの選手を潜り込ませていて情報を探り合ったり、どうせスパイがいるんだからガセ情報を流そうとか…、ホントに戦争みたいな雰囲気だった。

 一度、ニューヨークの川を挟んだ会場で、WCWとWWFが興行戦争するということになった。WCWの会場モニターでWWFの中継を見てたら、向こうの選手がジープに乗り込んで、こっちの会場に向かってきている。試合をやらずに殴り込みをかけてきたんだよ。

 そしたらフロント陣から「WWFが殴り込みに来る。選手はゲートに集まってくれ」という指令が下った。みんな殺気だち、鉄パイプなんか持って、WWFを待ち構えた。結局、ゲートまでは来なかったけど、不良中学生がやる学校同士のケンカみたいだったよ(笑)。

 あるときは生中継してるときに、急に向こうを挑発しようっていう流れになった。俺もマイクを渡されたんだけど、何言っていいか分かんないから『ファッキュー!』とか叫んだら客が大盛り上がり。いま思うと、生放送だからヤバかったよ(笑)。当時はこんなことが毎週繰り広げられてんだから、見てるほうもエキサイティングだったと思う。

 プロレスって不思議なジャンルで、単なるスポーツ中継番組でもないし、バラエティーでもない。テレビ的にいえば、ニュースをエンターテインメント的に扱う「報道バラエティー」みたいなものかもしれない。

 いま、日本の『ワールドプロレスリング』は深夜放送で録画になってるけど、これはもったいない。昔みたいにゴールデンで生中継をやれば、もっと面白くなるし、ファンも増えると思う。

 そもそもテレビが生まれた頃のキラーコンテンツはプロレスだった。プロレスとテレビは切っても切り離せないし、そのポテンシャルはまだまだあると思う。

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蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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