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新重賞今昔物語 1999年天皇賞・秋 逆境を乗り越え、復活を果たしたスペシャルウィーク

 ふたつの思い切った勝負手が、窮地に立たされた名馬を鮮やかによみがえらせた。

 1999年、秋の天皇賞。スペシャルウィークはデビュー15戦目にして、初めて3番人気以下に落ちた。セイウンスカイ、ツルマルツヨシ、メジロブライトに続く4番人気。ダービーを5馬身差で圧勝した東京で、それは屈辱的といってもいい低評価だった。
 陰りはすでに春から見え始めていた。5歳(旧表記)になったその年、滑り出しこそAJCC、阪神大賞典と連勝。春の天皇賞で前年覇者のメジロブライトを倒すなど強さを発揮したが、そのころから調教で妙なズブさを見せるようになる。
 そして単勝1.5倍と圧倒的1番人気で臨んだ宝塚記念で、グラスワンダーに3馬身差の完敗。表明済みだった凱旋門賞挑戦は、白紙に戻さざるを得なくなった。
 国内に専念して巻き返すはずの秋だったが、初戦の京都大賞典が7着の惨敗。そして迎えた天皇賞は、最終追い切りの併せ馬で500万の馬に負けるという失態を演じてしまった。スペシャルは終わった…レース前に武豊が「今回は自信が持てない」とコメントしたことから、その流れは決定的になった。

 だがレースに出走する以上、少しでも工夫して上位を目指すのがプロというもの。それが武豊ならなおさらだ。
 大胆な手綱さばきだった。古馬になって定着していた安定した先行策を捨て、道中14番手の待機策に出たのだ。無駄な脚を極力使わず、瞬発力をぎりぎりまでためることによって、馬の負担を減らす。アンブラスモアが作り出したハイペースも幸いした。
 一方、白井調教師も勝負に出た。当日の馬体重は16キロ減の470キロ。ダービー当時の468キロまで絞り込むことで、馬を研ぎ澄まし、闘争心の復活を促した。
 狙いは当たった。どんな流れでも大崩れせず、まじめな公務員的走りが特徴だった馬が、このときばかりはサンデーサインレス産駒らしい荒々しさを出した。スペシャルが怒っているように見えた。
 直線は鬼気迫るフットワークで伸びてくる。前半の1000メートル通過が58秒0というハイペースの競馬で、上がり3Fは驚異的な34秒5。もちろんメンバー最速の末脚で、粘るステイゴールドをクビ差差し切った。1分58秒0は見事なレースレコード。タマモクロスに続く史上2頭目の天皇賞春秋連覇となった。

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