南アW杯に挑む日本代表で、岡田監督から絶対的な信頼を得る背番号10の俊輔。14日のトーゴ戦の際には「スルーパスばっかり狙って得点やアシストした方が目立つかもしれないけど、それじゃチームの先がない。自分が動いてハードワークして周りをサポートしないとダメだから」とリーダーの自覚をしっかりと示した。
最近はこのような一歩引いた発言が目立つ。それも「代表への強いこだわり」があるからだ。
少年のころからW杯にあこがれ続けてきた彼だが、その大舞台で活躍する夢はいまだにかなっていない。最初のチャンスは1998年フランス大会。41歳の岡田監督は非凡なパスセンスを持つ18歳の俊輔を代表候補に抜てきした。しかし同年のJリーグで衝撃的デビューを飾った1つ年下の小野伸二(ボーフム)との競争に破れ、メンバー入りを逃す。「俊輔と伸二を比較した場合、短期決戦では伸二の方が使える可能性が高い」という岡田発言は、若き俊輔の心に突き刺さったことだろう。
ゆえに、次の02年日韓大会は絶対に出るという強い意気込みを持っていた。ところが次の指揮官フィリップ・トルシエは大のスター嫌い。メディアに祭り上げられる俊輔にいつも辛く当たった。
しかも中田英寿、小野伸二が同じチームにいて、彼は左サイドで使われた。当時の彼は「自分こそ司令塔だ」という意識が非常に強く、左に回される不満を公言していた。こうした事情から最終的には落選を突きつけられた。トルシエは「中村はケガをしていたから」と理由を語ったが、根深い確執が影響したのは間違いない。
屈辱を胸に02年夏、イタリア・レッジーナへ移籍。05年にはセルティックへ飛躍した。4年間の海外経験を02年秋に代表監督に就任したジーコも認め、中田英と並んで特別視した。
そして06年ドイツ大会出場がついに実現する。が、今度は精神的重圧からか、原因不明の発熱が続く。気温30度を超えたクロアチア戦の後、分厚い上着を着て、青白い顔で取材ゾーンに現れた姿が実に痛々しかった。
本人は「魔物にとりつかれた」と語っているという。結局、日本は惨敗。彼は10番としての責任を果たせなかった。
そんな苦い過去があるからこそ、南アW杯に懸ける気持ちは人一倍強い。「欧州では『代表はどうでもいい』という選手が多いけど、オレはそうじゃない。代表あっての自分だから」と口癖のように言っている。その姿勢を岡田監督も高く評価し、大黒柱に据えている。
だが、「4度目の正直」を前に不安材料が増大している。まず今夏移籍したエスパニョールで微妙な立場に置かれていることだ。出場時間もまだ短く、代表3連戦直後の18日のテネリフェ戦も出番なし。セルティック時代ならどんな過密日程でも全試合に出ていた。それだけ位置づけがハッキリしていない。
日本代表でも本来の鋭い動きが減っている。トーゴ戦でもミスパスが多かった。本田圭佑(VVVフェンロ)の急成長を脅威に感じているのかもしれない。8カ月後は本当に大丈夫なのか。まさか「外れるのは俊、中村俊」などと、98年のカズ(三浦知良=横浜FC)落選の再現だけはないだろうが…。俊輔の復調、4度目の挑戦となる大舞台での活躍を祈りたいものだ。
俊輔はカズとよく比較される。俊輔は8日の香港戦で代表90試合出場とカズを超えたが、「内容も存在感もカズさんが上。オレは足元にも呼ばない」と至って謙虚だった。カズが89試合目を記録した時は31歳。俊輔も全く同い年である。
そのカズも「W杯に縁のない男」だった。93年の「ドーハの悲劇」はあまりに有名だ。その後、ファルカン、加茂周監督時代の代表をけん引したが、97年フランスW杯最終予選で負った尾てい骨骨折の影響から急激に調子を落とす。城彰二(現解説者)の台頭にも押され、最後の最後でフランスW杯に行けなかった。
俊輔の場合も30歳を過ぎてからケガが絶えない。両足つけ根痛を頻発させ、9月の欧州遠征では左足首ねんざと体調万全な時が少ない。加えて本田という若きライバルが出てきた。この構図はカズと全く一緒だ。
この奇妙な因縁が今後の俊輔にどう影響するのか。大いに気になる。