「監督に直接相談して下さい」
「何時ごろ、お電話すればご迷惑になりませんか。監督さんのご迷惑にならない時間帯が分かれば教えて下さい」
そう聞き返すと、電話は保留状態となり、暫くたらい回しにされる。
「どういったご用件ですか?」
辿り着く先は学校長である。こちらの言葉が足らなかったのか、学校長の手を煩わせてしまったことを詫び、電話を改める。数日後、ようやく、監督さんと繋がったが、「野球部長か、学校長に先に確認してくれ」と言う。さらに2、3日を費やす。今度は副校長が対応してくれた。
「監督が取材を受けてもいいって言ったんですか?」
確か、監督は「まずは学校長に許可を取ってくれ」と言ったはずだが? 改めて、監督さんに電話を掛け直し、もう1度お願いをしてみる。
「副校長が取材はダメだと言ってました」
取材NGはよくあることだ。そんなことで腹を立てる取材記者は1人もいない。何故、自分の言葉ではなく、「誰かがそう言ったから」なんて回りくどい言い方をするのだろうか。こちらに配慮しての言動だとしても、学校として、外部対応(取材等)の窓口が一本化されていないのは芳しくないだろう。
取材当日に「アレッ!?」と思わされる学校もあった。学校の受付に行くと、「取材が入るなんて聞いていない」と言うのだ。こちらは同日朝、監督さんに確認の電話も入れていたのだが…。
高校野球とは、監督が球児たちを牽引して行かなければならないものだ。一般論として、大学の野球部員は「自分たちで練習しろ!」と突き放される。もちろん、全体練習もあるが、各位で練習メニューを組み立てなければならない。言わば、大人扱いされるのである。残念ながら、高校球児にはそんな『大人の野球』はまだできない。良くも悪くも、監督、指導者は「オレに付いて来い!」という姿勢を見せなければならない。従って、「誰かがダメと言っているから」という取材の断り方をする学校に対し、「大丈夫か?」と思ってしまう取材者は筆者だけではないのだ。
また、部外者との付き合い方について、こんな気苦労も聞かされた。OB、近隣住民の行き過ぎた関与である。
関東圏の私立高校監督がこう言う。
「あちらがご厚意で面倒をみてくださったのは分かっているんですが…。ワタシが悪者になるしかありませんでした」
同監督が野球部監督に迎えられるまで、『町の顔役』が夏の予選前、野球部員全員を自宅に呼び、食事をご馳走していた。その『町の顔役』と学校は、自ずと深い関係になっていく。その顔役は時折、グラウンドにもやって来る。それだけならまだしも、監督の指導内容に口を挟み、定例の食事会では監督の悪口も言っていた。部員が監督の言うことを聞かなくなる…。先の監督は「歴代監督が皆、短期間で同校を去った」理由が分かった。
「ワタシに全てを任せてください」
同監督は顔役に訪ね、頭を下げた。言葉を選んだつもりだが、顔役にすれば、「もう学校に来るな」「余計なことはするな」と言われたのも同然である。
この私立高校の監督は4年後に甲子園出場を果たしたが、その顔役とは和解できなかった。県予選でブザマな負け方をすれば、今でも自分のクビが吹っ飛ぶのは分かっているという。
「OBの関与が多すぎてダメになった高校もあります。強豪校には監督の他に、コーチがいます。監督とコーチスタッフは指導内容をすり合わせ、食い違いが起こらないよう注意しています。OBも善意で練習を手伝っているのでしょうが、決してプラスにはなりません。監督が赴任して日が浅い学校は、とくにその傾向が見られます」(中部圏の監督)
高校野球は誰のものなのか…。大人の都合で振り回されているのだとしたら、その学校の球児は不幸である。(スポーツライター・飯山満)