三笑亭夢之助は1977年から1979年までの2年の間『笑点』の大喜利メンバーとして活躍。短期間の出演ながら計3回、座布団10枚を獲得し当時として番組初となる海外ロケにも参加。若さ(加入当時28歳)と底抜けに明るい性格を活かしたキャラでお茶の間の人気者となっていた。
このまま笑点の長期レギュラー、そして真打昇進も間近と思われた1979年、夢之助は突如笑点メンバーを降板することになった。
当時は「真打になるための修行」という説明が視聴者へあったというが、降板の真相はまた別にあったという。
笑点は今も昔もメンバー全員の挨拶から大喜利のコーナーを行っていくのだが、ある日夢之助は挨拶の際に「市販の薬はあまり効かない」と発言。会場ではウケていたが後日、番組スポンサーを務める龍角散がカンカンになり夢之助にクレームを入れてきたという。
龍角散はのど薬をはじめとする市販薬を作っている製薬会社であり「市販の薬が効かないとは何事だ」となったのだ。
その結果、夢之助はレギュラーを降板。わずか2年という短い期間に終わったという(なお、このエピソードには諸説あり、夢之助が龍角散スポンサーの番組出演者にも関わらずライバルの市販薬会社のCMに出演したために怒りに触れたという話もある)。
少なくとも、番組にとってスポンサーは「命」そのものであり、しくじると何より恐ろしい目に遭うということがよくわかる出来事として、芸能界では有名なエピソードになっているという。