松本は1982年、NSC大阪校の1期生として入学し、相方・浜田雅功とダウンタウンを結成。1987年の帯番組『4時ですよーだ』(TBS系)で大きく注目を集め、関西でアイドル的な人気を博す。1988年の『夢で逢えたら』(フジテレビ系)で東京に進出して以来、多数の冠番組を抱え、お笑い界の頂点の座に君臨する。
中田に「権力が集中している」と言われた松本だけに、芸能界で確執が生じる相手も少なくはない。2017年1月、格闘家でタレントの角田信朗が自身のブログで、松本から“共演NG”になったと告白した。
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角田は「ダウンタウン松ちゃんに伝えたいこと」と題した投稿で、自身が2009年ごろに『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』(日本テレビ系)の企画「叩いてかぶってジャンケンポン」へのレフェリーのオファーがあったことを告白。しかしその当時、K-1はミスジャッジ問題に揺れていたことから、角田はあえなく同番組への出演を断念したという。
だが、角田によれば以来、ダウンタウンの番組への出演依頼はなくなったと主張したが、その約1年後に別番組『ダウンタウンDX』(同)に呼ばれる機会があったと明かした。ところが、収録当日に角田の出演は中止になり、この理由についてマネージャーからは「松本さんが台本を見て角田の名前を見つけた途端に収録は中止や!!ということになった」と説明を受けた、と主張した。
これに角田は、「ボクはこの事件恐らくこうであろうと推理します」とブログにつづり、「松ちゃんの提案にボクの出演を安請け負いして名乗り出た担当者がまさかのNGの回答に松ちゃんに対する自分の体面を保つ理由を作るには他人(角田)を悪者にするしかなかったのではないか?」と仮定し、「真相は霧の中」と締めくくった。
同月、『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演した松本は、角田との“確執”について言及し、角田へのレフェリー依頼と詳細について説明。企画は壮大なスケールであったことから大勢の芸人の出演を予定していたといい、これに当初は角田も快諾し、レフェリーの衣装まで全部決めていたと明かした。
ところが、収録の2日前に角田が“ドタキャン”し、『ガキ使』のスタッフらと慌てて代理を探したが結局、収録に間に合わず、「(企画が)とんだ(中止)んですよ」と告白。角田の“ドタキャン”は関係者の間でも非難轟々だったといい、「いろんな芸人さんがスケジュールを押さえてたのも、みんななしになった」と厳しく指摘。続けて「僕が怒っているとか、そういうことじゃなくて、番組の問題とか、吉本興業とか、もっと言えば日本テレビとの問題なので。僕の共演NGとかそんなちっちゃい話じゃない」と訴え、所属事務所やテレビ局も巻き込む大騒動だったとぶちまけた。
さらに、『ダウンタウンDX』での当日出演NGとした件については「(角田を)何かの手違いでオファーしちゃった」とし、「吉本としても番組としてもやっぱり無理だと。やっぱりこの世界のしきたりといいますか。(ドタキャンをした)その人と数カ月後に笑いながら仕事していたら、ほかの人からしたら『なんやねん』という話になってきますから」と出演NGの“裏側”を告白した。
また、松本はこの“一悶着”をブログで発信した角田に対して「8年後にブログでっていうのはルール違反」とチクリ。さらに、「これ(この番組のオンエア)を見てブログで(返答する)っていうのも正直僕はちょっともう……。これはもう会社通してやってほしい」と苦言を呈した。
放送の翌日、角田は自身のブログに謝罪文を掲載。事の重大さを痛感したのか以降、松本への“提言”などはしていないとみられる。また、当然ながら両者の共演は確認できない。
冒頭の“松本批判”を受け、お笑い界隈では不穏な空気が流れている。中田の今後も心配だが、「この世界のしきたり」をひっくり返すことは困難であろう。
記事内の引用について
中田敦彦のユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UCFo4kqllbcQ4nV83WCyraiw