ケインは、1982年に父で俳優のショー・コスギ主演の映画に出演し、芸能界デビュー。1993年、NHK大河ドラマ『琉球の風』に出演。以降は、俳優を軸に活動した。22歳のとき、優れた身体能力を生かして『スポーツマンNo.1決定戦』(TBS系)に初出場。以来、6度の総合No.1に輝き、文武両道の活躍を見せている。
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ケインといえば、かつてはプロゴルファー・東尾理子と結婚秒読みといわれていた。2002年3月、一部女性誌に“ホワイトデーデート”を報じられ熱愛が発覚。同月、都内で行われた体脂肪計メーカーのイベントに出席したケイン(当時27歳)は、「(東尾の)全部が好き」と交際を認め、さわやかに交際宣言した。また、同月の『日刊スポーツ』(日刊スポーツ新聞社)では、東尾(当時26歳)の父親で野球解説者・東尾修氏公認の交際であることも伝えられた。
「2人は2004年9月に放送された『筋肉番付』の関連番組で知り合ったといいます。ケインが東尾に筋肉トレーニング法をアドバイスし、ゴルフは東尾が“先生”になるなどスポーツを通して意気投合したようです。2005年に入って交際をスタートさせ、東尾家の食事にケインが招待されるなど家族ぐるみの付き合いだったといいます。修氏について、報道陣に問われたケインは『すごくおもしろくて、やさしい、いいお父さん』とコメントしていたほど。東尾は米国留学の経験もあり、米国育ちのケインとは英語と日本語の半々で会話をしていたようです」(芸能ライター)
2人の交際は順調で、結婚は時間の問題ともささやかれた。ところが2005年10月、一部スポーツ紙は2人の破局を報道。同月、仕事先の米・ロサンゼルスから帰国したケインは報道陣の問いかけに応じ、「今夏に2人で話し合って別れを決めました」と笑顔で答えた。破局の理由については「お互いに仕事が忙しくて。2人には夢があって、夢に向かえば向かうほど会えなくなってしまった」と明かした。
ケインは2005年春からハリウッド映画に本格進出し、東尾もその頃は米ツアーに参戦していた。しかし、同月の同紙によれば、2人が同じ米国で活動しながらもすれ違いが続くようになったという。ケインは、報道陣から「結婚は考えてましたか?」と聞かれると「いや、それは」と言葉を濁した。
だが、こんな声も漏れ聞こえる。
「2人は将来を真剣に考えていたといいます。しかし、俳優としてまだ大成していないケインとの結婚に修氏が不安を抱き、娘のことを思って結婚を反対したとのうわさも流れました」(芸能関係者)
2009年7月、東尾は俳優・石田純一との交際が明らかとなり、同年末に結婚。2010年3月、都内のイベントに出席したケインは東尾の結婚に「おめでとうございます。幸せそうですし、結婚してよかった」と祝福した。
不妊治療を経て東尾は2012年11月に待望の長男、2016年3月に長女、2018年4月には次女を出産し、3児の母となった。一方のケインも東尾と同タイミングとなる2009年11月、香港出身で3歳下の一般女性と結婚。2019年3月に長女が誕生した。
現在は、何かとお騒がせな“石田ファミリー”の肝っ玉母ちゃんとしても印象強い東尾。ケインの『SASUKE』参戦も、陰ながら応援していることだろう。