神田は1989年、14歳で芸能事務所に所属。17歳のときの1992年に雑誌『プチセブン』(小学館)のモデルに抜擢され、タレントでもブレイク。セレブな”お騒がせタレント“として業界からも一目置かれる存在となった。私生活では、2007年10月にパチンコチェーン店や不動産会社を経営する日拓グループ社長・西村拓郎氏と結婚。2011年10月、長女を出産すると、ママタレとして一時代を築き上げた。
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「趣味は結婚式」と公言する神田だけに、これまで7回の結婚式を挙げている。ただ、かつて夫妻は“離婚寸前”ともいわれていた。
2008年、夫妻はそろって不倫を報じられた。先に神田が『FLASH』(光文社)にキャッチされた同年2月、仕事先のパリで西村氏との共通の友人であるリゾート会社の男性社長と密会したというものだった。そして同時期に、西村氏は美人ホステスとの「函館一泊火遊び旅行」を『FRIDAY』(講談社)に報じられたのだ。
翌3月、神田は都内で取材に応じ、“W不倫疑惑”を笑顔で一蹴。まず、自身の不倫疑惑について「会っていません。(パリで)見てもいません」ときっぱり。続けて、「私のは誤解です。彼は実際に行ったんだけど」と西村氏の疑惑に言及した。
これに神田は、「行くのは聞いていたけど、ホステスも連れて行ってビックリ」と発言。実は同月、夫妻は急きょグアムに旅立ち、現地でバーベキューをする姿が目撃され“仲直り旅行か”と注目されていた。これに神田は、「仲直りというより、誤解解き旅行。私の方がかなり誤解していた。今はすごく納得して、逆に2人の絆が深まりました」とあっけらかんとし、昨晩も西村氏が「豆乳入りとり鍋を作ってくれた」とノロケを見せた。
だが2010年6月、一部スポーツ紙が夫妻の別居を報じるなど、結婚生活は決して順調とはいえなかった。2012年12月のニュースサイト『日刊サイゾー』では、“週刊誌記者”の証言を掲載。タレコミによれば、「(夫妻は)離婚寸前までいったが、周囲から夫婦関係解消のために子作りを勧められて一念発起」したとのこと。
ところが同月、西村氏の元愛人を名乗る銀座のホステスが『週刊文春』(文藝春秋)に夫妻の内情を激白。ホステスによると、西村氏は「もとより女好きの性分」と明かし、「結婚してもおかまいなし」で派手に女遊びを繰り返していたという。さらに、神田がセクシー下着で夜の夫婦生活を迫る行為に、西村氏は「ウゼーんだよね」とうんざりしていたとし、「我慢と努力を重ねている」生活を送っていたとまでブチまけた。
同サイトでは、神田がタレント・美川憲一のススメで子作りに励んだことに触れ、神田が停滞した夫婦仲を美川に相談する中で、「子どもを産めば変わるわよ、まだ諦めちゃダメ」と諭されて子作りに励んだと報じている。そのかいあって、長女の誕生後、西村氏は女遊びや夜遊びをパタリとやめたと前出・『週刊文春』が報じている。
夫妻は離婚の危機を乗り越えたが2020年11月、西村氏が脳梗塞で倒れ、同時期に神田も入院を余儀なくされた。2021年9月、神田はニュースサイト『AERAdot.』の独占取材に応じ、夫への献身的な介護と想いを吐露。かつては、「愛よりお金」と豪語していた神田だが、「生きてくれさえすればいい」と夫への愛を語った。妻として母として、女性としても輝き続ける神田のさらなる活躍に期待したい。