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6月10日から12日まで開催された同映画祭は、オードリーの人気作を上映するイベント。109シネマズ二子玉川では『ローマの休日』、『おしゃれ泥棒』、『シャレード』、『マイ・フェア・レディ』、『パリの恋人』の5作品が特集上映された。加藤は司会の笠井信輔アナウンサー、本映画祭ナビゲーターで、やはりオードリーと親交のあった映画評論家・清藤秀人と壇上に上がるとオードリーの思い出を回顧。
清藤は「僕をライター業界に引き込んでくれた人。会うとユーモアの塊で、実際は写真で見る以上に彫りが深くてギリシャ彫刻のようでした。目の輝きもすごくてヒスイ色でした」とオードリーの印象を紹介。加藤もオードリーと実際やりとりした手紙をスクリーンで紹介し、「とってもシャイな方。でも、彼女の書く字はものすごく意志のある字で、みなさんが想像されるような華奢な字ではなかった。意志のある字でした。そしてものすごく忍耐の強い方でした」と話す。
加藤はCMなどのコーディネートでオードリーと何度も仕事をした経験があり、「心遣いのできる方。(日本での仕事では)文化も風習も違う中、心遣いをしてくれて、時間にも一度も遅れたことがなかった。プロフェッショナルそのものでした」と紹介。オードリーと最初の現場で仲良くなれた理由についても、「現場の女性スタッフが私だけ。だから心を許してもらえたのかも」と話す。
オードリーは出会った当時、子育てに懸命だったとも紹介し、「ある日、打ち合わせで気まずい空気が流れた時に、オードリーが席を立ったので怒ってしまったかなって思ったら、赤ちゃんを抱いて戻ってきた。『This is my baby.』って。(会議中の良くない雰囲気の中)どうしたら空気を変えられるかと考えていたのかも。そういうところも心遣いの人だったと思います。(子育てのために)爪も切ってあって、マネキュアも塗っていなかった」と振り返る。
オードリーはその後、映画の世界から離れてしまうが、加藤が「どうして映画から遠ざかったの?」と尋ねると、「私は女優。でも他に女優はたくさんいる。今優先したいのは子育て。この子にとって母親は私だけだから」と話したという。また、その後も続いたオードリーとの友情についても感慨深げに振り返り、「(亡くなるまで懇意に接してもらえたのは)女優として付き合ったのではなく、はじめっから人間オードリー・ヘプパーンとして付き合っていたのが良かったのかも」と分析。「亡くなった時はすごくショックでした。これからどうしたらいいんだろうって思いました。でも、私は彼女といろんな話をした。それをこれからどんな形で伝えていくか、そのことを考えました」と話していた。
(取材・文:名鹿祥史)