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いまやバラエティ番組の司会者やコメンテーターとして歯に衣着せぬ物言いが好評を得る坂上だが、かつては俳優として一世を風靡。一方で、辛酸をなめる時代もあった。
坂上は、3歳から劇団に所属。やがて“天才子役”として名をはせたが、複雑な家庭環境のもと、両親の借金返済のためだけに子役の仕事を続けたという苦労人でもある。そのうえ、いつまでたっても子役のイメージが払しょくされず仕事が激減した時期も経験。1984年には歌手に転向したが、1988年公開の映画『クレイジーボーイズ』でのヤクザ役が転機となり、役者業に専念した。
この頃、坂上は女優・いしのようこ(当時石野陽子)と“ついたり離れたり”する関係が3年ほど続いていたと、一部報道で伝えられている。そんな最中の1990年10月、いしの(当時23歳)が坂上(当時24歳)の自宅から朝帰りしたところを『FRIDAY』(講談社)に激写された。
「1985年にアイドル歌手としてデビューしたいしのは、ドラマに映画にと引っ張りだこでした。1987年からは『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(同)に出演し、コメディーの才能も開花。当時のいしのは坂上よりも“格上”だったことから、『FRIDAY』の見出しはいしのがメインで掲載されていました」(芸能ライター)
記事によると、坂上が記者の取材に応じ「今いちばん大切な人」といしのについて語り、交際を認めたとのこと。だが、同誌の発売翌日に、いしのが自らワイドショーに出演。報道について言及した。いしのは「あの日は熱を出した坂上さんのお見舞いに行っただけ」と掲載された写真を説明、「友達だったけど、しつこいのでもう会わない」とまさかの“絶縁宣言”で、交際を全否定したのだ。
「一部報道によると、坂上をなじるような発言をしたいしのに坂上サイドが激怒したそう。周囲からは、『いしのは志村けん(故・志村けんさん)を選んだが、結局は視聴率を選んだということ』などと比喩されたのです。一方の坂上ですが、“公開処刑”を食らい、このことがきっかけで女性不信になったといううわさも」(前出・同)
1990年春に、いしのは志村さんとの“18歳差交際”が一部週刊誌に報じられていた。その矢先の坂上との朝帰り報道であったことから、いしのの“二股疑惑”が浮上。だが、この報道をきっかけに、いしのへの想いが煮え切らなかった志村さんがいしのに急接近し、その後はいしのと志村さんは同棲へと発展したという。
結果的に、坂上はいしのにあっさりと捨てられてしまった形となり、志村さんが死去した2020年4月発売の『女性自身』(光文社)では、いしのを巡った“三角関係”とも報じられた。
同年10月、坂上は14歳下の元女優との事実婚を冒頭番組で公表。一方のいしのも2019年7月放送の『人生イロイロ超会議』(TBS系)に出演した際、1歳下の一般男性との事実婚を告白した。別々の人生を歩んだ2人だが、近い時期に“結婚”ではなく“事実婚”を選んだということに、なんとも不思議な縁を感じる。