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東山というと、小学6年生のときに東京・渋谷のスクランブル交差点での信号待ちで、たまたま車で通りがかった故・ジャニー喜多川さんの目に留まり、社長自らスカウトした逸材。1979年にジャニーズ事務所に入所し、先輩アイドルのバックダンサーを務めた後の82年に少年隊のメンバーに。85年12月、『仮面舞踏会』でデビューを果たすと一気にスターダムを駆け上がった。
これまで、多くの女性ファンを魅了してきただけに、色恋沙汰でもメディアをにぎわせていた。数々の人気女優との浮名を流してきた東山だが、1999年に『FRIDAY』(講談社)が報じた女優・深田恭子との熱愛に関しては風当たりが厳しかった。
なぜなら当時、深田は17歳の女子高生だったからだ。このときの深田は主演クラスの女優に出世し、同年5月にはシングル『最後の果実』で歌手デビューするなど、ブレイク真っただ中。一方の東山も大河ドラマに出演するなど俳優としても飛躍していたころだが、16歳も離れた当時33歳・東山との報道に世間やマスコミは騒然となった。
記事では、17歳の誕生日を迎えた深田が東山のマンションを訪れ、東山からの誕生日プレゼントと思われる紙袋を大事そうに抱えながらマンションを後にする一部始終が報道された。
さらに、2人の密会はこれにとどまらなかったのだ。逢瀬を交わした誕生日の直後に深田は仕事で海外に渡航。そして、帰国するや否や一目散に向かった先は東山のマンションだったという。
「記事にはスクープされる以前にも、東山の自宅マンションからほど近いラーメン屋で仲睦まじくしている姿が目撃されていたと掲載。ちなみに2人の出会いは1998年11月発売の雑誌『The Ichiban』(オリコン)での対談がきっかけのよう。報道時点で、交際期間は半年ほどといわれていたことから、16歳にして超大物アイドルをとりこにさせた深田にも驚愕です。またニュースサイト『週刊女性プライム』では当時、東山は女優・牧瀬里穂と9年にわたり結婚目前の交際を続けていたものの、深田に乗り換えたという話。あげく“略奪説“までもが浮上しました」(芸能ライター)
この報道を受け、東山は「年長者としての配慮が足らなかった」と謝罪し、深田は「いい先輩の一人」と釈明。双方ともに交際を否定していたが、まもなくして破局を迎えたといわれている。
「未成年だった深田との交際に世間の反応はNO。この報道でさすがのヒガシもファン離れが加速し、仕事にも影響が出ることを恐れたのでしょう。双方の事務所から厳重注意を受けるなど、別れる以外に選択肢はなく、体裁を気にした大人のヒガシが深田を納得させたという噂も」(前出・同)
それからおよそ10年が経ち、東山は女優・木村佳乃と2010年10月に結婚。11年11月に長女、2013年5月には次女が誕生し、今はジャニーズきってのイクメンパパとして知られている。
今なお絶対的なアイドルの地位と大きな存在感を放つ東山だが、かつては近藤に負けず劣らずのスキャンダルを振りまいてきた。冒頭の苦言には自戒の念も込めているのかもしれない。