山田は、「ほとぼりが冷めてもかなり人々に気持ち悪さが残り もう、二度と出られなくなる。時間をあけずにひたすら謝って、出た方がいい」と“雲隠れ中”の渡部にアドバイス。ネット上では称賛の声が上がる一方で、「お前に言われたくない」と一喝するコメントも見られた。
山田というと、1981年のデビュー以降、80年代から90年代前半にかけて女優やお笑い、モノマネ、司会などで大活躍。山田の名前が番組名に使用された冠番組をはじめ、長年にわたり好感度タレントの代名詞ともなった。
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また、山田は全盛期にテレビ番組のレギュラーを週14本抱え、民放の各キー局に山田専用の「仮眠室」が存在し、最高月収は1億円を超えていたといわれている。芸能界において、女性で「唯一天下を取ったお笑いタレント」と評される。
ところが1992年、高視聴率だった『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)が突然打ち切りとなったのをきっかけに、露出過多が原因で帯番組の視聴率は下降。95年を境に週刊誌からのバッシング記事も相次ぎ、仕事が激減していった。
そして同年12月、『FOCUS』(新潮社)が妻子ある男性との不倫をスクープ。山田はメディアから執拗に追い回され、いら立ちから芸能リポーター・井上公造に対して、「お前モテないだろう」「バカじゃないの」と罵倒。そのシーンがワイドショーで繰り返し放送され、反感を買いまくった山田はテレビから姿を消していったのだ。
2000年、略奪不倫愛を実らせた山田は結婚し、都内の一等地に8億円といわれる豪邸を購入。だが、07年には乳がんが発覚。幸いにも病を克服し、その後はタレントのかたわら、がん早期発見の啓もう活動や講演、本の執筆など、精力的に活動をしている。
「2015年放送の『サワコの朝』(TBS系)に出演した山田は、テレビの露出が減った原因を『出過ぎてブームが終わった』『“あいつばっかり”とみんなが悔しがり、かなり激しいブロックに遭った』と言い張っていましたが、本当の理由は“略奪不倫”が致命傷となったといわれています」(芸能関係者)
ただでさえ許されない不倫の上、非モテキャラの山田が取った行動は世間に衝撃を与え、視聴者の嫌悪感を煽ったのかもしれない。あれから四半世紀が過ぎ、ほとぼりがさめた今だからこそ、的確な助言は妙に説得力があるといえる。