そんな風潮を大きく変えた存在が、1985年に誕生した「おニャン子クラブ」である。彼女たちは、「アイドル(女子大生)をイジる」という当時としてはタブー視されていた手法を用いることで有名だった『オールナイトフジ』(フジテレビ系)の特番から生まれたエポックメイキングな存在だった。それまでの神聖化されたアイドルに比べると、実に身近で人間的な存在あった彼女たちは、いわばその後のモーニング娘。やAKB48の系譜の源流ともなった存在と言えるだろう。
そんなおニャン子は、国生さゆりや工藤静香、渡辺美奈代など、現在も精力的に活動を続けるスターを多く生み出し、一大アイドルブランドとして名を馳せることとなったのである。
★喫煙事件によって番組打ち切りの危機に…
とはいえ、そうした素人集団だった彼女たちは、他のアイドル以上に多くのスキャンダルが付きまとい、中には“消えた”メンバーも少なくないのである。彼女たちが起こしたスキャンダルの中で最も知られているのは、やはり結成直後の85年4月に起きた「喫煙事件」だろう。
これは彼女たちのデビュー番組とも言える『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の初回放送から2週間ほど後、主要メンバーだった奥田美香、榎田道子、吉野佳代子、樹原亜紀、友田麻美子、佐藤由美子の6人が、フジテレビ近くの喫茶店で喫煙しているところを週刊誌によってスクープされたものである。この6人のうち、喫煙をしていなかった樹原以外の5人は、エースと目されていた奥田美香を含めて解雇の憂き目に遭った。奥田は後に『プレイボーイ 日本版』におけるプレイメイトジャパンで準ミスになり、同誌でおニャン子初となるヌードを披露したことでも知られるが、そんな逸材をも容赦なく切り捨てたのである。
他にも、消えたメンバーの代表格として寺本容子が挙げられる。その美少女ぶりから人気を集めた寺本だったが、学業と芸能活動の両立が難しく、おニャン子の活動に専念するために学校を自主退学。ところが、この行動がおニャン子の「学業と芸能活動を両立する」という規定に違反しており、脱退を余儀なくされたのだ。彼女はその後、モデルとして活動を続け、96年に結婚をきっかけとして芸能界を引退。また、グラビア雑誌『Momoco』(学研)から派生した「モモコクラブ」出身の赤坂芳恵と松本亜紀の2人も、幻のメンバーとして知られている。赤坂は通っていた学校に報告せず無断で番組出演したため、在籍1週間でおニャン子を解雇され、学校からも退学させられた。松本に至っては同じく学校に無断で出演したことが発覚、合格当日に解雇され、学校も退学させられるという厳しい処分が下されたのだ。
ある意味、そんな素人的な脇の甘さこそが魅力の一つだったと言えるおニャン子クラブ。彼女たちが活動を続けていたら、日本のアイドルシーンは今とは変わったものになっただろうか?