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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「サルマン・ハシミコフ」衝撃デビューを飾ったレッドブル軍団のエース

 1989年4月24日、新日本プロレスの記念すべき初の東京ドーム興行『’89格闘衛星・闘強導夢』が開催されたが、そのきっかけとなったのが史上初となる旧ソビエト連邦出身のレスラーたちだった。大将格のサルマン・ハシミコフはセミファイナルに出場し、クラッシャー・バンバン・ビガロを146秒で葬ってみせた。

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 アントニオ猪木のプロレスの特徴は、リアルさの追求にあった。それまでのプロレスがアクション活劇だとしたら、猪木が目指したのは社会派ドキュメンタリーとでもいえようか。

 例えば、「プロレスラーの強さを証明するためにモハメド・アリと対戦する」というように、社会的に認知されているボクシングの世界王者を引き合いに出すことで、プロレスラーの強さにリアリティーを持たせようとした。

 リング上の闘いぶりはもちろんのこと、その闘いに至る動機の部分においても一般に通じる理屈を用意したわけである。

「伊勢丹前の路上でタイガー・ジェット・シンに襲われる」「IWGP決勝というプロレスのセオリー的には猪木が勝たなければならない場面で、失神KO負けを喫する」なども、リアルさを追い求めた結果であったのかもしれない。

 猪木はそうすることによって「しょせんプロレスなんて」という層の人々にまで、その魅力を伝えようとした。かつて猪木は「プロレスに市民権を」とよく口にしていたが、五輪競技のように広く世間一般にまで浸透させることを最終目標としていたのだ。

「芸事の神髄は虚実の皮膜にある」とは江戸時代の戯作家・近松門左衛門の言葉だが、猪木はそんな近松の言葉通りに、虚構と真実の間の微妙な境界を目指し、そのことによって長く語り継がれる存在となった。

 1989年に参議院議員となった猪木は、それまで以上に“実”のほうへ舵を切っていく。国会議員の立場がそうさせたのだろうが、肉体的な衰えから“虚”をつくることが困難になったのも事実であった。

★ぎこちない動きの裏にある強さ

 そんな中での最大の成果といえるのが旧ソビエト連邦、イラク、北朝鮮で開催した『平和の祭典』で、プロレスの枠を超えて国際政治をも巻き込む一種の事件となった。

「イラクは人質救出、北朝鮮はその後の交流などで話題となりましたが、プロレスビジネスとして見たときには、ソ連との関係が一番大きかったでしょう」(プロレスライター)

 きっかけはソ連のペレストロイカを機に、協栄ジムの先代会長だった金平正紀氏がソ連人ボクサーの輸入を画策したことで、このときにソ連側からアマレスや柔道選手のプロ化の要望が出され、金平氏と縁のあった猪木のところに話が回ってきたのだという。

 この申し出を気に入った猪木は、さっそくソ連の有力選手たち30人ほどを招集し、馳浩らをコーチ役としてソ連に派遣。ロープワークや受け身の特訓を行ったところで猪木もソ連入りし、自ら「プロレスラーの心得」を説いている。

 結果、そうした中で選ばれたのが、サルマン・ハシミコフ、ビクトル・ザンギエフ、ウラジミール・ベルコビッチの3人。もう1人、フリースタイル重量級で五輪連覇していたソスラン・アンディエフの参戦も当初は発表されていたが、直前に交通事故に遭ったことで、本来は副将格だったハシミコフがソ連レッドブル軍団のエースとされた。

 そうして迎えた’89年4月、ソ連人レスラーたちは新日本プロレスの東京ドーム大会で主役級の扱いを受けることになる。それまでもロシア人ギミックのプロレスラーは多数いたが、本物のソ連出身はレッドブル軍団が初めてのことであった。

 これをビッグビジネスにつなげようとの意図もあったのだろう。ハシミコフはクラッシャー・バンバン・ビガロやビッグバン・ベイダーといった大物外国人選手を次々に下して、一気にIWGPヘビー級王座にまで駆け上がる。

 プロレス的な動きとしてはまだぎこちなく、観客へのアピールも皆無であったが、そんなアマチュアっぽさが逆に強さを感じさせたものだった。

 同年の大みそかにはモスクワでの凱旋試合で、マニー・フェルナンデスに勝利。翌年にはアメリカWCWにも参戦を果たしたが、それ以降は尻すぼみとなってしまった。

 観客に飽きられてしまったのか、猪木の興味がソ連勢よりもイラクや北朝鮮、あるいは自身の引退に向いたことにあったのか。また、’91年末のソ連崩壊が何かしら影響を及ぼしたことは想像に難くない。

 その後のハシミコフの主な戦績が、’93年にUWFインターナショナルで髙田延彦に敗れた試合ぐらいしかないのは、いささかもったいない話ではある。

サルマン・ハシミコフ
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PROFILE●1953年5月4日生まれ。旧ソビエト連邦チェチェン共和国出身。
身長180㎝、体重120㎏。得意技/水車落とし。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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