そんなタッグマッチにおいて、歴代でもトップクラスの存在が、ザ・ロード・ウォリアーズだ。
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プロレスの起源については「グレコローマンスタイルの賞金マッチ」「イギリスにおけるキャッチ・アズ・キャッチ・キャン」「サーカスの見世物として行われていたカーニバル・レスリング」など諸説あるが、いずれにしても基本的には他の格闘技と同様、1対1の闘いとして行われていた。
今ではすっかりおなじみとなったタッグマッチが世界で初めて行われたとされるのは、1901年のアメリカで、サンフランシスコのプロモーターが考案したという。
このときのタッグとは、いわゆる「鬼ごっこ」の意味で、レスラー同士がタッチによって交代する様子と、鬼ごっこで鬼が相手にタッチすることの類似から命名された(コーナーで選手がロープを握って待機する様子と、船がタグロープで港につながれる様子が似ているため“タグマッチ”と称されたとの説もある)。
ともかく、タッグマッチの発明は興行としてのプロレスを大きく変革し、発展させることとなった。
「1対1で勝敗を決するのが基本だった時代には、数時間たっても決着しない試合もあった。また、膠着状態になることが多いため、観客には退屈で、レスラーの肉体的負担も大きかった。それがタッグマッチならカットプレーで膠着を打破できるし、個々のレスラーの出場時間が短くなるぶん負担も減る。さらに、複数の選手が試合に関わることで、それにまつわるストーリーの幅も広がりました」(プロレスライター)
例えば、かつての新日本プロレスでは、アンドレ・ザ・ジャイアントのタッグパートナーとして、よくベテランで小柄のレネ・グレイが起用されていた。このグレイの存在は、アンドレの巨体をより際立たせるとともに、グレイが前面に立つことでアンドレの肉体的負担を軽減し、シリーズでの連戦を可能にしていた。また、難攻不落の“人間山脈”にも、タッグマッチでならグレイを攻めて黒星をつけることができた。
力道山が日本で興行を行う際、最初にシャープ兄弟とのタッグマッチを持ってきたのも、プロレスにおけるゲーム性の面白さや他の格闘技との違いを示す上で、より効果的との判断があってのことだった。
歴代最高のタッグチームとして、日本のファンからはジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲、スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディの超獣コンビ、ザ・ファンクスなどの名前が挙がるだろうが、世界的に見たときには、そのインパクトや後世への影響力から、ザ・ロード・ウォリアーズ、ホーク&アニマルの名前は外せない。
★タッグ戦ゆえに際立った持ち味
’83年に顔面ペイントのスタイルでコンビを結成してからは、途中でアニマルの脊椎損傷による長期欠場などはあったものの、およそ15年にわたってタッグチームの頂点を争い続けた。
NWA、AWA、WWF(現WWE)の世界三大タッグ王座をすべて制覇したのはウォリアーズだけで、この事実からも人気と実力の高さがうかがえる。
ウォリアーズの闘いぶりの特徴は、一気呵成に攻め立てて勝負を決める暴走ファイト。そのインパクトは絶大で、もともとはヒールとして登場しながら、多くのファンから熱狂的に支持されることになった。
「ただ、こうしたスタイルはタッグだからこそ成立したものだと言えます」(同)
ウォリアーズの様式をまねたシングル選手としては、WWFのアルティメット・ウォリアーがその代表格。ウォリアーズがWWFに参戦した当時は、名称がかぶることから「ザ・リージョン・オブ・ドゥーム」と別名義にされたほどの人気者であったが、アルティメット・ウォリアーが同団体の王座に君臨したのは、わずか2年ほどであった。
「シングル戦ではどうしても相手を叩きつぶすだけの単調な試合になりがちで、そもそも勝ちっぱなしでは闘う相手がいなくなってしまう。また、メインイベントが短時間決着で終わると、興行自体が締まらないんですね」(同)
同様にハイスパート・レスリングで一世を風靡した長州力も、IWGP王者を3度獲得したものの通算の在位期間は1年ほどでしかない。
ウォリアーズの暴走ファイトが成立したのは、やはりタッグマッチだからこそと言えそうで、こうしたところにもプロレスの奥深さが感じられよう。
ザ・ロード・ウォリアーズ
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PROFILE●アニマル・ウォリアー:1960年1月26日生まれ。アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身。身長189㎝、体重135㎏。
ホーク・ウォリアー:1957年9月12日生まれ〜2003年10月19日没。アメリカ合衆国ミネソタ州出身。身長191㎝、125㎏。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)