さらに2月23日には、新たな共産党綱領を「JCP(註:日本共産党の略称)MANIFESTO」と題したオシャレな冊子にして配布している。よほどイメチェンを図りたいとみられる。
「実は2月13日の衆院本会議で、安倍首相が共産党について『(同党の)暴力革命の方針に変更はない』と答弁したのです。これに対し、志位和夫共産党委員長は記者会見でデマ、事実無根と抗議し撤回を求めました。この手の答弁は夏の幽霊と同じで、年に1回はあるものですが、共産党のトップが、ここまで強く反論するのは初めてです。よほど同党の“革命色”を消したいのでしょうね」(政治ライター)
共産党は目下、野党共闘に執着しているから「暴力革命」などという過去は表に出されたくない。そのため志位氏は会見の中で、「党が分裂した時期に一方の側が取った誤った行動はあった」と、分裂した側に責任を押し付けた。
「一方の側とは、党が分裂した1950年以降の数年間の徳田球一書記長ら共産党最高指導部を指している。彼らが起草した『51年綱領』は、『日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成し得ると考えるのは間違い』とし、『武装の準備と行動を開始しなければならない』という“軍事方針”を採択しているのです。その下で組織された山村工作隊や中核自衛隊が、警察官殺害、テロ、窃盗など多数の事件を全国で引き起こしたのです。ですから1952年に行われた第25回総選挙では、35議席からゼロ議席になったのは当然のことでした。これら一連の犯罪を志位氏は『分裂側にある』と責任転嫁しているのです」(同・ライター)
安倍発言を立憲民主と国民民主の両党も「不適当だ」とし、首相の謝罪と撤回、議事録の削除を求めていくという。野党共闘の芽は残っているわけだ。
稲垣がは、こんな歴史を知っていたとは思えないが…。