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この頃はあまりインディアン・スタイルのプロレスラーを見かけなくなった。
かつては若手時代のアントニオ猪木が、テレビドラマ『チャンピオン太』出演時にインディアンの“死神酋長”を演じ、平田淳嗣が海外修行時にインディアンの“サニー・トゥー・リバース”を名乗ったように、日本でもわりとポピュラーなものだった。
しかし近年では、90年代前半にWWF(現WWE)で人気を博したタタンカや、80年代前半にリッキー・スティムボートとのタッグで鳴らしたジェイ・ヤングブラッドあたりまでさかのぼらねばならない。
2007年にIWGPタッグ王座を獲得したトラヴィス・トムコ(タイトル獲得時のパートナーはジャイアント・バーナード)はインディアンの血を引き、それに由来するタトゥーを施していたが、羽根の飾り物などのコスチュームは使用していない。
「流行語にもなった『インディアン嘘つかない』のフレーズから、日本ではどこかコミカルなイメージがあるものの、アメリカにおいては歴史や人種の絡む重いテーマです。かつては“開拓民を襲ったヒール役(悪玉)”やあるいは“略奪された先住民への判官びいき的なベビーフェイス役(善玉)”と、土地柄によってどちらもできる、ある意味では便利なギミックでしたが、近年は人権意識の高まりもあって安易に手を出せないのかもしれません。また、情報化の進んだ現代では偽のインディアン・ギミックはすぐにバレてしまうので、やりづらいというのもあるでしょう」(プロレスライター)
実はヤングブラッドも出自はメキシコ系で、それがインディアンを名乗ったとなれば、昨今なら大きな批判を浴びかねない。
インディアン系で最も成功したレスラーといえば、これはもうワフー・マクダニエルで間違いなかろう。
オクラホマ州出身の純血インディアン。なお、オクラホマとはインディアンの言葉で“赤い人々”を意味し、もともとはインディアン各部族を全米各地から強制移住させる目的でつくられた州であった。
★50歳を超えてもメイン級で活躍
学生時代にアマレスとアメリカンフットボールで名を成したワフーは、卒業後にAFL(のちにNFLと合併したアメフトのプロリーグ)へ所属。’61年頃からはシーズンオフにプロレスのリングへも上がるようになった。
’69年にプロレス一本となってからは、全米各地でメインイベンターとして活躍。米プロレス専門誌のベビーフェイス部門では、長きにわたってランキングのトップ10圏内に名を連ねていた。
得意技は、手刀を相手の脳天に叩きつけるトマホーク・チョップ。大きく振りかぶって打ち下ろす様子を、インディアンの使う斧(トマホーク)に見立てた命名である。
しっかり間をとってからチョップを放つ際に、観客が「ワーオ!」「フーッ!」と合いの手を入れたことから、これを合体させて「ワフー」のリングネームになったという(本人がチョップを放つときの叫び声に由来するとの説もある)。
50歳をすぎるまでメイン級で活躍していたことからも、いかにアメリカでの人気が高かったかがうかがえよう。ワフーの人気にあやかって、それを真似た選手が増えたという面もあったはずだ。
一方、日本においては、初来日の国際プロレスでストロング小林からIWA世界王座を奪取したり、全日本プロレスでは遺恨のあったアブドーラ・ザ・ブッチャーとの対戦が組まれたり、アメリカでの評価を受けて特別扱いがなされたが、それにふさわしいだけの人気獲得には至っていない。
「アメリカで人気がありすぎたため定期的に来日参戦するのが困難で、ファンが付きづらかったということもあったでしょう。しかも、ラフファイト主体で試合運びは単調。実はアマレス仕込みのテクニックに長けており、グラウンドでの相手のさばき方などは見事なものなのですが、当時としては地味な印象は拭えませんでした」(同)
しかし、それよりも大きかったのが日米の文化の違いであろう。
アメリカにおけるインディアンと白人社会の確執や葛藤。前述した「インディアン嘘つかない」も初出となったドラマ『ローン・レンジャー』では、その前段として「白人嘘つき」というセリフがあった。
白人にだまされて土地を奪われたインディアンの悲哀とワフーの人気は表裏一体で、そこのところを日本人が理解するのはやはり難しかったようだ。
ワフー・マクダニエル
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PROFILE●1938年6月19日生まれ〜2002年4月19日没。アメリカ合衆国オクラホマ州出身。
身長183㎝、体重120㎏。得意技/トマホーク・チョップ、トマホーク・ドロップ。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)