現役時代に南海(1954-1977/1970-1977は選手兼任監督)、ロッテ(1978)、西武(1979-1980)の3球団で捕手としてプレーし、その後はヤクルト(1990-1998)、阪神(1999-2001)、楽天(2006-2009)で監督を歴任した野村さん。今回の訃報を受けて、監督時代の教え子からも追悼の言葉が寄せられている。
1990年から1998年の9シーズンにわたり同じ捕手として野村さんの薫陶を受けた古田敦也氏は11日、テレビ局の仕事で訪れていたヤクルト2軍キャンプ地(宮崎・西都)で取材に対応。「時に厳しく、時に優しく指導していただいたので今の自分がある。あれがなければ自分もプロ野球で活躍できていないし、今の僕があるのも野村監督のおかげ」と、感謝の言葉を述べたことが各メディアによって伝えられている。
野村さんとは1993年から1998年にかけて選手、監督の間柄だった真中満氏は、12日に出演した『とくダネ!』(フジテレビ系)の中で「僕らは沙知代さんに怖いイメージしかないんですよ。だけど、野村さんに対して強いのは沙知代さんだけだったので、僕らは『すごいお母さんだなあ…』と思って見てました。本当にいい夫婦でしたよね」と、2017年12月8日に虚血性心不全で亡くなった沙知代夫人を引き合いに出しつつ野村さんを偲んだ。
1999年から2000年にかけて野村さんの下でプレーした元阪神・新庄剛志氏は、11日に自身のインスタグラムに「野村克也という人間に野球人生の終了は1%も無い 俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください(>_<) 本当に笑顔で有り難うございました(^^)また会う日まで野村克也監督。」と追悼文を投稿。
また、同日には自身のユーチューブチャンネル上で生配信も敢行。「野村さんに『俺が死ぬときは笑顔で見送ってくれよ』って言われたから悲しまずに、今日は野村さんとの思い出を語っていきたい」とし、約45分にわたり野村さんとのエピソードについて語っている。
2007年から2009年の3年間、野村さんから指導を受けた元楽天・田中将大(現ヤンキース)は、11日に自身のツイッターに「突然の訃報に言葉が出ません。野村監督には、ピッチングとは何か、そして野球とは何かを一から教えていただきました。プロ入り一年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。 どんなに感謝してもしきれません。心よりご冥福をお祈りいたします」と投稿。プロ1年目から先発ローテーションに抜擢するなど目をかけてくれた恩師との別れを惜しんだ。
ヤクルト、阪神、楽天の3球団を合わせ、実に16年間も監督を務めた野村さん。監督時代に指導を受けた教え子たちはみな、偉大な恩師を失った悲しみに打ちひしがれているようだ。
文 / 柴田雅人
記事内の引用について
新庄剛志氏の公式インスタグラムより
https://www.instagram.com/shinjo.freedom/
新庄剛志氏の公式ユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UCjt6NPFj7irkSHbntZyxMKw
田中将大の公式ツイッターより
https://twitter.com/t_masahiro18