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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(30)

 先週に引き続き、根岸競馬場の昔を知る関係者の座談会をお届けする。

 N(元騎手) 新厩舎があったよね。調教師の寮みたいなもの。厩舎から下見所へ行くには、おがくずが敷いてあってね。そこを行くと万歳館の前を通って馬場に出るわけ。そこを通るといい匂いがするんだ。ホント、辛かったなぁ、減量している身にとっては。

 B(元騎手) うーん。減量では苦労したものね。当時のイサツエンとかいう緩下剤を20本飲んだりしてね。

 N 慢性になって効かなくなるんだよね。今みたいにレースが多くないから、シーズン・オフが長くて肉がついてしまったんだよ。

 T(元理事) いつかタクシーに乗った時に、年配の運転手さんが、滝之上のバス停のそばに大きな楠がありますが、昔、その木によじ登ってよく競馬を観ましたよ、と、懐かしそうに話をしてました。

 S(元騎手) 皇族用だと思うんだが、その大きな木があったところに送迎門が建っていたけれど、それは、どの辺だったのかな?

 N 1800mのところに馬頭観音さんがあるだでしょ?その近くに大きな楠があった。

 T 馬頭さんは、今はバス通りの外になっているが、あれは競馬場の中にあったのを動かしたんじゃないかな。

 K いや、昭和八年ごろの僕の記憶では、あれは昔のままだね。あれは、競馬場の外にあったんだ。

 N 馬場の内側はゴルフ場だったかな。

 K ゴルフ場の会員には、日本人はまずいなかった。

 N 土手の草刈りやっていると、ゴルフボールがいくつも出てきたな。

 K 草刈りもよくやった。トラ刈りにすると、よく怒られたね。

 N 露を含んだ重い草を運ばされたよね。

 当時、中山や府中に、関西からも馬が来たのだが、輸送はどんな方法だったか、は、また来週…。

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