これから様々なメディアに出て、大阪モーターショーを盛り上げていければと思ってるよ。
そもそも俺は、学生の頃からクルマやバイクが大好きだった。けど、免許を取ったのは新日本プロレスに入門してからだったな。
免許を取って、最初のクルマは姉貴から買った中古のスカイラインだった。まだ、練習生で道場にはクルマで行っちゃダメだったんだけど、こっそり合宿所に置いてたね。その後は中古の「フェアレディZ」をローンを組んで買った。その頃には、デビューして寮長ぐらいにはなってたかな。
それから海外遠征に行くことになったから、クルマを売ることにした。100万円ぐらい手元に返ってきたんだけど、遠征してからしばらくはプロレスで稼げなかったから、このカネで食いつないだよ。
最初にヨーロッパ遠征したときは、クルマは必要なかったんだけど、アメリカのカンザスシティに行ったときは、自分で会場まで行かなきゃいけなくなった。それで買ったのが「ビューイック」。そんなに大きいクルマじゃなかったけど、中古で3500ドルぐらいだったね。
そのビューイックでカナダにもアラバマ州も行った。トランクにレスリング道具一式や、生活用品を入れておいて、毎日500キロぐらい往復して会場に行ってたよ。
その後、ドイツに行くんだけど、このときもカネがないから「BMW316」っていう、小さな4気筒車で、それも中古で10年落ちぐらいのやつを買った。このクルマは、その時から付き合っていたマルティーナ(現夫人)の知り合いから買ったんだよ。
このクルマを買ってすぐの頃、橋本真也選手がドイツに遠征してきた。合流して、一緒にアウトバーンを飛ばしてウィーンの会場まで行く予定だったんだ。
1000キロぐらいのドライブになるんだけど、走り出した100キロぐらいのところで、エンジンを回しすぎてシリンダーのヘッドがバーン! って弾け飛んだ。ボンネットが内側からボコンッてなるくらい完全に壊れて、結局、会場にたどり着けなくて3試合ぐらいキャンセルしたよ。
このクルマで、マルティーナと2人でウィーンからイタリアのベニスまでロングドライブしたこともある。
この時も、イタリアとオーストリアの国境近くでエンジンがトラブり、修理に3〜4時間かかって、ベニスに入ったのは夜中。休みは週末だけだったから、着いてすぐに出なきゃいけない。帰り道はアルプスの山越えをしなくちゃいけなかったから、『エンジン持つかな』ってハラハラしながら運転してたよ。
なんとかウィーン近くまで返ってきたんだけど、今度はマフラーが取れちゃって、もうバババーン! ってすごい音が5キロぐらい先にも聞こえるくらい響き渡ってね(笑)。ウィーンに暴走族が来てるぞ! みたいなことになってたよ。
遠征した頃のクルマはトラブルだらけだったけど、どれも思い出深い。
日本に帰ってきてからの愛車遍歴は、次回に語らせてもらうよ。
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蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。